「昔はここもドブ川だった」みたいな話、たまに耳にしませんか?
工場などが近くにあるという地域で育ってきた人にとってはあるある話かもしれないが、見た目には普通の川なのに、その土地に古くから住んでる人からすれば「随分きれいになった」なんて言われるケースがある。
まだそこまで何十年も昔って話ではないが、かつては工場が環境にあまり配慮せずに廃液などを流したり、燃やしたら有害のものを燃やして煙を充満させていたり…。
こういう時代がたしかに日本にはあった。
高度経済成長期と呼ばれる、昭和30年から48年頃までの期間において、各地では前述の光景が散見されていたという事実があった。
そのせいで廃液まみれになった川から魚が消えたり、あるいは魚に奇形が見られるようになったり、その魚を食べた人が病気になることもあった。あるいは工場から大量に排出される煙によって体調を崩す人も出た。
俗に言う、公害である。
昭和の高度経済成長期の日本では、急速な発展の裏にこのような公害問題がはびこっていた。
高度経済成長期の日本、その発展には暗い影として公害問題が
総務省が公開する「公害等調整委員会」の活動内容が掲載されるウェブサイトに「公害とは?」と題されたページが用意されている。
ここに公害の定義や、その種類などが紹介されている。
そしてこのページには「公害紛争処理制度の沿革」という項目があり、ここを読むと日本が経験してきた、かつての公害問題についての記述も見られる。
昭和30年代以降から公害は社会問題化したとし、具体的なその種類についても振り返っている。
その一節を一部引用させていただきたい。
「この時期、我が国は、高度経済成長を遂げつつありましたが、公害の発生も増加し、水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病など、大気汚染、水質汚濁等による悲惨な疾病が多発し、その被害住民と発生源とされた企業との間で大規模な紛争が生じました」
上記のように、学校の授業で誰もが習ってきた公害とそれにかかる病についての記載があり、ときには企業と住民側で問題が勃発したことにも触れている。
日本がこの時期、急速な経済成長を行っていたことは今も戦後復興の具体例として広く認知されている。
しかし、その発展の影には環境への重大な過失があったこともまた、あわせて認知されているところだ。
大気、水質が急激に汚染された昭和の経済成長期
今では滅多に直面することもなくなったさまざまな公害が、この頃の日本にはひしめいていた。
ヘドロなどは、その代表例と言えるかもしれない。
ヘドロ自体は今も家庭からの排水に含まれる、自然界にとっては有害な物質やプランクトンの死骸などがその発生原因となっているが、かつては工場廃液などが甚大な環境汚染を引き起こしたこともあって、その数は今の比ではない。
海底にヘドロが体積して悪臭を発生させ、生物にも甚大な影響をあたえた。
この公害はビジュアル面でも衝撃的なものであったため、高度経済成長期でもいくつかの映像作品の題材としてもとりあげられている。
特に被害が有名なのが静岡県富士市の田子の浦。
ここでは社会問題化するほどの深刻なヘドロ公害が発生しており、その原因は当時海にも近い潤井川に面していた製糸工場からの汚水の無思慮な放流であった。
昭和42年には、田子の浦のヘドロ公害をそのままモチーフにした『ゴジラ対ヘドラ』も公開され、当時の子どもたちに公害被害の恐ろしさをディフォルメして伝える役割も果たしていた。
また、都市部では光化学スモッグが発生することもしばしばあった。
この煙、大辞泉によると紫外線などによる光化学反応で、大気中のオキシダントなどの濃度が高まって発生するスモッグという。
炭化水素や窒素酸化物が反応して発生して、人体にも動植物にも有害なものであった。
人体への被害としては、目の痛みや呼吸の苦しさをおぼえるなど、正常な活動を阻害するものが多かったとされている。
現在の日本では環境に配慮する工場の操業が当たり前となっているので、前述のヘドロの原因になるような廃液の流出もかなり抑えられているし、光化学スモッグ自体もかなり減っている。
今では光化学スモッグの発生というと、大抵は一部の外国で起きた他人事のようになっているが、かつては光化学スモッグ注意報が頻繁に発令される時代もあったのだ。
公害による被害拡大に対して、日本はギリギリのところで踏みとどまれたのかも…
高度経済成長期は日本という国の発展という意味では間違いなくこれに強く寄与したが、公害の蔓延を招いたことを考えると功も罪もあった。
その結果川や海が悪臭を放ち、魚が奇形化する事態を招き、それを食べた動物や人が有毒物質に汚染されて大変な被害を受けた。
土壌だって汚染の対象となったし、上を見上げれば害悪なスモッグが当時の人々を見下ろしているという地獄絵図。
まさに経済成長のために多くの国民と、日本に住む動植物が代償を払っていた時代といえる。
昭和46年になって、日本政府は環境庁を発足。
これを機にこの国では、自然や暮らしを省みることなく発展のために環境汚染をし続ける姿勢に「待った」がかかることとなった。
環境改善にかかる事業をこの環境庁が請負い、公害対策にも手が及ぶようになる。
それから平成13年になると省庁再編によって環境省が発足する。
環境省ではそれまで環境庁の担ってきた環境改善の施策に加えて、廃棄物リサイクル対策を行うようにもなった。
独立行政法人環境再生保全機構のホームページに見る「環境省の発足と大気汚染対策(2001年~平成13年以降)」という項目にその詳細が記載されている。
これによれば公害健康被害補償予防制度等の推進、自動車排出ガス総合対策等の推進、地球温暖化対策等の推進など、現代では当たり前に耳目にするようになった言葉が登場するようになる。
そして概ねこの頃までには、かつて日本を席巻していた多数の公害とその被害もかなり縮小されており、過去には生き物がほぼいなくなっていた汚染された環境も改善されたというケースも増えた。
高度経済成長期には魚がいなくなった水域にふたたびきれいな環境が戻り、魚も戻ってきたというような事例は特に都市部には多く見られるところである。
そもそも日本の高度経済成長期なんて、せいぜい20年程度の短い期間でしかなかった。
しかしその短い期間の中で、環境をとことんまで破壊する公害問題が頻出したのは事実であり、無思慮な開発がいかに環境を簡単に破壊するかを明らかにした。
環境が破壊されれば、すぐに人体にも公害病という形で反映されるのが恐ろしいところ。
日本では水俣病などの公害病が発生したことで世論が大きく動き、世の中の流れが環境の改善にも向かうようになった。
ギリギリのところで踏みとどまれたから、今、この日本ではかつてほどの公害被害は発生していないし、ヘドロも光化学スモッグもあまり馴染みの薄い単語になっている。
ただし、今でもかつての環境汚染によって公害病の後遺症に苦しんでいる方はいる。
私達はそうした方々がなぜ被害を受けてしまったのか。そしてその原因となった企業はどう事態を把握し、どう謝罪し、どうやって操業を改めて今に至るのか。
このような部分にもたびたび目を向けて、二度と公害の頻発するような状況を繰り返さないように意識を共有しておく必要がある。
文/松本ミゾレ
編集/inox.
【参考】
総務省 公害等調整委員会「公害紛争制度の沿革」
独立行政法人環境再生保全機構「環境省の発足と大気汚染対策(2001年~平成13年以降)」