ども。時代はすっかり大YouTube時代。若い層がテレビよりもYouTubeに夢中なのはもう説明はいらないと思います。さて、その流れは音楽業界にも確実に来ており若者に人気な音楽の上位にまふまふさんやAdoさんなど顔出しをしないミュージシャンが名を連ねます。今回もこのムーブメントを昔のトレンドを引っ張り出して「温故知新」、考察していきましょう。
顔出しをしない文化を作った90年代のビーイング
まず顔出しをしない文化。これが一番世代によっての理解度が変わる部分だと思います。歌番組全盛期で育った世代にとって歌手=顔出しするもの。顔がわからない人の楽曲に若干のうさんくささを感じてしまう人もいるようです。
しかし、若い世代は顔出しに関するこだわりが圧倒的に低く感じます。いわゆる「歌い手」と言われるジャンルの方々も顔画像は一部をスタンプで隠したり、ライブでもボケたサービス映像を使ったりと明瞭に顔出ししないのですがファンの皆さんはそれで大満足。2次元で描かれたアイコンも相まってアーティスト像が壊れたりすることもないようです。とはいえミュージシャンが顔出ししない文化は最近のものなのでしょうか。
思いを巡らせると90年代のビーイング系ミュージシャンが頭に浮かびます。ZARD、大黒摩季、T-BOLAN、WANDSなど、90年代初頭を中心に数多くのヒットアーティストを輩出したビーイング。ここの戦略は徹底したメディア露出の規制でした。ZARDは初期には歌番組に出ることはありましたが、中期からカメラ目線を外したふんわりとした映像と画像のみ。大黒摩季さんにいたっては出演がなさすぎて当時「大黒摩季は存在しないんじゃないか」なんてことも言われていました。決してビジュアルが悪いわけでもないのに、テレビに全く出ないビーイング系アーティストは常に謎めいていてミステリアス。リスナーはどんどん夢中になっていきました。アーティストのビジュアルに気を取られることなく楽曲に集中できたので、曲の浸透度も高かったのかもしれません。事務所の戦略は大成功だったわけですね。
「わからない」が生むストレスと好奇心
現代においても積極的に顔を見せないミュージシャンとして冒頭でご紹介したアーティストの他、amazarashiやヨルシカ、ずっと真夜中でいいのに。やEveなどが挙げられます。米津玄師さんや秋山黄色さんも髪で顔を隠しミステリアスなイメージを保っています。
本来本人がパフォーマンスするはずのMVはアニメーションやイラスト、ほかの演者による映像だったり。さらにはリリックビデオというMVと歌詞カードの間の子みたいな形態も。この流れは2010年代から始まったボカロブームの影響が大きいでしょう。初音ミクらのイラストとデザインされた歌詞の表現で主に10代を魅了したボカロを聴いてきた世代が大人になり、ミュージシャンになり、リスナーになり、その文脈で作られる映像作品に親和性があるのは当然の流れではないでしょうか。
ネットがあるのが当たり前、わからないことがあるとググったら2秒で解決するこの万能な世界で、ミュージシャンに対して「わからないこと」があることに魅力を感じるリスナーが増えているのは何とも皮肉な話です。すぐに現像できない『写ルンです』や再生が面倒くさいカセットテープが若い人の中で流行(はや)っているのも同じ流れではないでしょうか。そう考えると前述の90年代ビーイングの「わからない」をあえて作り出すのは戦略として時代を先んじていたと言えるでしょう。
芸能人はかつて高額納税したら公表されたり、自宅に芸能リポーターが来るのは当たり前、住所録が公然と出回っていました。新曲が出たら歌番組に出るのは当たり前だし、結婚したら会見をする。現代とは違う形ですが「わからない」がない時代だったのかもしれません。そんなところに「わからない」を設置してある種のストレスと好奇心を湧かせるのは、とても粋な戦略だと思います。2022年、情報飽食の時代。私は「わからない」がもっともっと出てくるのを楽しみにしています。あ! そういえば私、ヒャダインもニコ動時代顔出ししてなかった! 元・ミステリアス。
文/ヒャダイン
ヒャダイン
音楽クリエイター。1980年大阪府生まれ。本名・前山田健一。3歳でピアノを始め、音楽キャリアをスタート。京都大学卒業後、本格的な作家活動を開始。様々なアーティストへ楽曲提供を行ない、自身もタレントとして活動。
※本記事は、2022年6月16日に発売された雑誌「DIME」8月号に掲載された記事を転載したものです。