寝不足だ。それというのも昨晩YouTubeで1980~90年代の歌番組をたまたま見てしまってから勢いづき、連続で視聴してしまったためだ。昔の映像がこんなにも身近に見られるようになったのは単純に驚きであるし、ネットのビデオ配信サービスでも今や数多くの昔の映画が視聴できる。“過去に生きる”ことがますます容易になっているのだ――。
寝不足気味で“集団ノスタルジー”について考える
昨晩視聴したYouTubeの影響で、いわゆる“懐メロ”が脳内でループしている。30年前に逆戻りである。
所用を終えて電車で高田馬場に戻ってきた。時間が押してもう夜8時を過ぎている。疲れてはいるのだがどこかでひと息つきたい。駅を出て早稲田通りを早稲田方面へ進む。
YouTubeの投稿画像のおかげで、“懐メロ”の映像にどっぷり浸るという事態を迎えている。もちろん以前からその種の動画はあったが、今はその量がひと昔とは比べものにならないほど増えている。興に乗って見ているとアッという間に時間が過ぎてしまう。
駅前の信号を渡る。右には駅前広場がある。若者たちが度を越した“路上飲み”をしたことで一時期閉鎖されていたが、今は開放されている。見たところ広場は閑散としていて、路上飲みもチラホラとしか見受けられない。しかし脇にある喫煙所にはけっこう人が立ち入っているので、酒盛りの現場になるポテンシャルは秘めていることになる。学校が夏休みに入ればまた路上の酒宴が増えるのだろうか。
依然として予断を許さないコロナ禍の状況に加えて長期化する戦争と、何かと“昔はよかった”という気分になりがちになるのは、おそらく多くにとって否定できないことなのだろう。そして投稿動画やネット配信で昔の映像コンテンツが充実している昨今、“楽しかったあの頃”に浸るのはいとも簡単にできてしまう。
昨晩自分も興味本位1980年代の歌番組の動画をYouTubeで見てしまったところ、見終わってからも関連する同様の動画を次々と見続けてしまった。ノスタルジーに浸りながらこうした映像を視聴するのは楽しいひと時ではあったのだが、睡眠時間が大幅に削られてしまったことは言うまでもない。毎晩こんなことをしていては仕事に支障をきたすのは間違いないだろう。おまけにある歌詞が脳内でループしてしまっている。
もちろん“昭和レトロ”なる言葉もあり、これまでにもひと昔前を懐かしむノスタルジーは一部でずっと愛好されていたが、今の状況はそれもう一段階レベルアップさせたような感もなくはない。いわば“集団ノスタルジー”の現象ということだろうか。
ノスタルジーに浸るとポピュリズムが台頭する?
通り沿いに連なる雑居ピルの1階には飲食店が連なっている。この一帯の半分以上の店には入ったことがあるが、利用回数が最も多いのは韓国料理の純豆腐の店だ。純豆腐は好物の1つなのだが、さすがにこの暑さでは少し憚られてくるし、今は食事よりも「ちょっと一杯」の気分である。もう少し先へ進もう。
個人的にも世の中的にもノスタルジーに包まれているともいえそうなのだが、そこには見過ごせないリスクもあることが最新の研究で報告されている。個人的なものであれ集団的なものであれ、ノスタルジーは政治的な「ポピュリズム」に有意に結びついているというのである。
ポピュリスト運動は通常、社会問題において「エリート」を非難する悲観的な見方を支持します。なぜこのポピュリストの世界観は多くの市民にとってとても魅力的なのでしょうか?
ポピュリズムはより良い過去への感傷的な憧れとして定義されるほろ苦い気持ちであるノスタルジーと関連していることを提案します。このアイデアは事前に登録された3つの研究でテストされました。
結果は、ポピュリストによるスピーチの暴露が個人的および集団的なノスタルジーの両方を増加させたことを明らかにしました。
すべての研究において、これらの影響は政治的志向性とは無関係に現れました。どうやら懐かしさの感情はポピュリストの態度と密接に関連しており、市民がポピュリストの世界観を魅力的に感じる理由を説明するのに役立つかもしれません。
※「Wiley Online Library」より引用
ノースカロライナ州立大学とバージニア・コモンウェルス大学の合同研究チームが2022年4月に「Political Psychology」で発表した研究では、政治的ポピュリストの態度は、個人的ノスタルジーと集団的ノスタルジーの両方に関連していることが報告されている。
ポピュリズム(populism)は有権者を「エリート」と「大衆」の間の闘争として解釈する世界観で、「大衆」の権利こそ尊重されるべきだと主張する政治思想をいう。ポピュリスト運動は右翼も左翼も含んでおり、右翼的ナショナリストとしては移民受け入れ反対などの感情があり、左翼的には富の分配の不平等性を断罪するなど、政治的争点全体に及んでいる。
今日世界的にポピュリズムが再び台頭しているといわれ、かねてから研究者たちはポピュリズムが市民にとって非常に魅力的である理由に興味を持っていた。
そこで研究チームは今回、3つの調査を通じてポピュリズムはノスタルジーと関連していることを実証した。ポピュリストの指導者たちは社会問題の解決策として、輝かしい過去への回帰を約束する戦略を採用しているというのである。まさにトランプの「メイク・アメリカ・グレート・アゲイン」がそれだ。
25歳以上のアメリカ居住者355人がオンラインで参加した1つの調査では各設問によって、個人的な実存的不安と社会を憂う集団的不安に加えて個人的ノスタルジーと集団的ノスタルジーが測定され、最後に参加者のポピュリストの態度が測定された。
収集したデータを分析した結果。どちらのノスタルジーも右翼的政治志向と関連していた。さらにポピュリズムは左派と右派の両方で発生する明確な政治的態度であることも示された。
追加の調査では、ポピュリストの態度とポピュリスト候補に投票する可能性の増加との間には関連があり、ポピュリストのスピーチを聞かされた後、人々はより集合的でより個人的なノスタルジーを感じたことが示された。つまりポピュリズムは個人的および集団的なノスタルジーの感情と関連しているのである。
個人的にも集団的にもノスタルジーに浸りやすい状況は、政治的ポピュリズムに傾きやすいことになる。“楽しかったあの頃”を思い返すことには何の罪もないとはいえるが、過度にノスタルジーに浸ることで多様性を否定したり、政府や大企業、外国資本などへの反感を必要以上に強めていないかどうか、折に触れて自己チェックが求められているのかもしれない。
昭和レトロな食堂で“食堂飲み”を楽しむ
早稲田通りを進む。途中、小学校の敷地に面して商店街は途切れるが、少し歩けば再び商店街の様相を呈する。
カラオケ店に続いて中華料理店などの飲食店も並んでいる。夏の湿った温い夜風に当たり、徐々に額も汗ばんでくる。さっさと入る店を決めよう。
カフェやハンバーガーチェーン、焼肉屋が並んでいるが今はどれも食指が動かない。もう少し歩いてみよう。それでも見つからなければ通りの反対側に渡ってみてもよい。
メガネ店の先に大衆食堂がある。古くからある店ですいぶん前に入ったことがあった。まずはひと息つきたい今の気分にはなかなか相応しいように思える。入ってみよう。
程よいお客の入りで混んでいるわけではないが、この中途半端な時間でもそれなりにお客は入っている。テーブル席に着かせていただき、ひとまず喉を潤したかったのでお店の人にハイボールを注文する。つまり“食堂飲み”をする魂胆だ。
ザッとメニューを眺めて、ハイボールが届いたところで「まぐろ山かけ」、「揚げ出し豆腐」をお願いした。
このお店は内装こそ改修してこざっぱりとしているが、おそらく昭和時代からの“昭和レトロ”なお店である。その意味では人によってはノスタルジーを感じられるお店だ。大学生のみならず地元の常連のお客さんも多いのだろう。
山かけがやってきた。チビチビと飲みながら山かけをいただくとしよう。この時間でも飲んでいる人のほうが少なそうに見える。もちろんその時々の客層だとは思うが、混んでいないこともあるし暫しの間、食堂飲みを堪能させていただこう。
“昭和レトロ”なお店に入るのは好きなほうだが、ひと昔前のそれなりに景気がよかった時代の話を聞かされるのは個人的には食傷気味だ。思い出話として“楽しかったあの頃”に浸ってみてもいいとは思うが、我々はこれからもどうであれ生きていかなければならないのだ……。
揚げ出し豆腐もやってきた。これもチビチビと飲みながらゆっくりと食べられる酒のアテだ。もう少し卓に根を張って楽しむことにしたい。
寝不足気味なので心なしか酔いも早い。それでもあともう1杯くらいは飲むとは思うが“シメ”となるご飯ものなどは食べられそうもない。部屋に戻ったら今夜はYouTubeは見ずに早めに眠ることにしよう。
文/仲田しんじ