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白洲次郎に学ぶカッコいいデニムの選び方

2022.07.08PR

ヴィンテージデニムアドバイザー藤原裕のデニム講座 連載第5回

原宿のヴィンテージショップ「ベルベルジン」でディレクターを務め、ヴィンテージデニムアドバイザーとして活躍する藤原裕氏は、デニムの魅力を発信し続けていると同時に、文化としてのデニムにも興味を持ち、日本のデニムの歴史について研究を続けている。(前回「まさに一獲千金!凄腕デニムハンターが狙う「お宝ヴィンテージデニム」はどこで見つかる?」はこちら)。

このほど、日本人で最も早い時期にデニムを日常的に身に付けた人物として著名な白洲次郎(しらす じろう、1902~1985年)のデニムについて、歴史的な発見をした。写真に残されていたデニムのメーカーが明らかになったのである。

白洲次郎はケンブリッジ大を卒業した日本の実業家。戦後、吉田茂の側近として占領軍との交渉で大活躍し、戦後は貿易庁の長官を務めた。妻の白洲正子とともに、日本のファッションリーダーとして注目を集めていた人物である。

藤原裕氏は早くから白洲次郎とデニムの関係について調べていたが、このほどそのメーカーが発見された。日本のデニム界の歴史に残る偉業である。

発見の決め手となった2つの要素

――今回の発見の経緯について少し詳しく教えてください。

藤原先生 白洲次郎さんといえば、白いTシャツにジーンズを合わせたスタイリングで、タバコ片手に足を組んでいる写真が有名です。我々の業界でも、白須さんは王道「Levi’s 501 XX」を着用されていたというのが通説で、ファッション雑誌でもこれまでそのように紹介されてきました。

しかし、『教養としてのデニム』執筆にあたり、角度の異なる様々な写真資料を見比べて細部をクローズアップしてみると、リーバイスではなくLeeのジーンズであることが判明したのです。これは、デニムの歴史を揺るがす重要な大発見です!

なぜ分かったかというと、まず一つはロールアップした裾の折り返し部分です。チェーンステッチが入る箇所の幅はブランドによって異なりますが、Levi’sのものよりもLeeは折り返し部分の幅が広いのです。

そして2つめは、ヒップポケットのステッチです。

Levi’sは弓形(アーキュエイトステッチ)、Leeは波型(レイジーSステッチ)です。白洲さんのヒップステッチを注意して見ると、椅子に腰をかけているのでシワが寄っているとはいえ、アーキュエイトとは反対の弧を描いていることが分かります。「ベルベルジン」の姉妹店「フェイクアルファ」店長・澤田一誠氏にも意見を聞いて、白洲さんが着用していたモデルは「リー101ライダース」である事を確信しました。

白洲次郎のデニムは反骨心の現れ

――大発見ですね!

藤原先生 さらに言うと、LeeにもLevi’sと同じ様に大戦モデルが存在しますが、白洲さんの写真が1951年に撮られている事や生地が色落ち具合から大戦モデルである可能性が高いです。

というのも、Leeは通常色落ちが少しやわらかい印象の左綾、Levi’sは右綾の生地を使っていますが、第二次世界大戦中の大戦モデルと呼ばれる時代はディテールの簡素化とともに当時安かった生地に変更されます。

大戦時に変更された生地は、両ブランドともにオンスが厚く、色味は濃く、生地が粗く、現代では反対に良質とされる生地になるのです。そして、Leeは大戦モデルのみ、右綾を使っています。

1951年の写真ですが、この白洲さんがジーンズを手に入れたのは40年台、もしくは40年台に製造されて残っていたものを白洲さんが購入されたとしたら、白洲さんのジーンズは「リー」101ライダースの大戦モデルではないかと、推測します。今はなかなか出てこない、貴重なデニムです。

藤原さんの手書き

白洲次郎も着用していた「リー」101ライダース(ベルベルジン)

――藤原さんだからこそ、見分けられたのですね!ここからは推測に過ぎませんが、どうしてLeeのデニムだったと思いますか?

藤原先生 白洲さんは生粋の伊達男ですから、Levi’sとLeeどちらもお持ちだったとは思います。

しかし、なぜ写真を撮るときにLeeだったのか。勝手な推測ではありますが、敗戦間もない日本の特派員として、大国アメリカへ大事な交渉のため訪れる白洲さん。外交として、アメリカ文化に敬意を払いつつも、ド直球の王道=Levi’sではなく、やや変化球なLeeを着用するというのは、“反骨心の現れ”と“違いのわかる男”であることを、彼なりに示したのではと考えます。あくまで憶測の域ではありますが。

ジェームズ・ディーンも好んだLeeの魅力

――なるほど!納得できます。改めて白洲次郎氏をも魅了したLeeの魅力について教えてください。

藤原先生 Levi’sとLee、どちらもワークウエアから誕生しましたが、1940年台後半はファッションに昇華される過渡期でした。その中でも、Leeは本格派のカウボーイからの支持が熱いウェスタンジーンズ、Levi’sはファッションジーンズという印象が強まっていきます。シルエットは年代によっても異なるので、ぜひ穿き比べて体感していただきたいですね。

あと思い出すのは、ジェームズ・ディーンは80年代のLevi’sの広告が有名ですがが、生前の全盛期に私生活で愛用していたのはLeeだったことはあまりにも有名な話。Levi’sとLeeはデニムブランドの2大巨塔である所以、様々な逸話が残っています。

――白洲次郎は吉田首相の特使として米国を訪れた時、飛行機の機内でデニムに履き替えたという記録が残されています。どうして着替えたと思いますか?

藤原先生 あくまで私の見解ですが、当時の日本ではまだまだ和装が多かったなか、アメリカ文化を心得ていることのアピールだったのではと空想します。

大国アメリカとの交渉に向かうジェット機の機内で着替える事で、フォーマルなスーツと同じ様にカジュアルなデニムを着ることでアメリカの生活様式に合わせる、いわばTPOを意識していたのではないかと想像を膨らませます。

機内で着用することで「なめられてたまるか!所詮は作業着だろ!」という意思の現れではないか、などと諸説ありますが、私は良いように考えて、白洲さんなりにTPOのリテラシーを見せつけたかったのかなと思います。

今回の発見がもたらした日本人とデニムの深い関係

――今回の発見は日本人とデニムの深い関係を明らかにしました。ヴィンテージデニムの魅力を発見したのも、日本人が最初でしたね?

藤原先生 今でこそ世界中にコレクターが存在し、ものによっては数千万円もくだらないヴィンテージデニムですが、1980年代以前は着古したデニムやスゥエット、スニーカーなどは単なる古着、また不用品として扱われていました。

そんなゴミ同然のものにヴィンテージという付加価値をつけたのが、80年代の日本の古着屋であり、日本人のファッショントレンドだったのです。

その後、90年代にかけて日本のヴィンテージデニム・ブームが起きます。もともと日本には詫び寂びの文化があり、経年劣化による汚れや欠損を唯一無二の美しさと捉えることができる文化を持っていました。

――最後に今回の白洲次郎氏のデニムの発見は、日本のデニム界にとって、どのような意義があるのでしょうか?

藤原先生 ヴィンテージデニムの発見と同時に、今回の白洲次郎さんの発見の意義は大きく、日本人とデニムがいかに深く結びついていたかが、改めて認識できるようになりました。

本書で詳しく紹介していますが、エルヴィス・プレスリーはLevi’s 501 XXにGジャン507XX(通称:セカンド)、ジェームズ・ディーンは101Z(通称:センター黒タグベルトループ5本1950年台後半)など、アメリカが世界に誇るレジェンド級のスターが着用したモデルは「エルヴィス・プレスリー モデル」や「ジェームズ・ディーン モデル」と呼ばれ、ヴィンテージ市場で価値が高くなります。

ヴィンテージ市場はこうやって見方や切り取り方を変えることで価値が上がる、奥深い世界なのです。

Lee101を「白洲次郎 モデル」に

藤原先生 日本発のファッションレジェンドとして、謳い方によってはLee101を「白洲次郎 モデル」として新しい価値を見出すことができるのではないかと考えます。

日本ではEDWINさんがLeeのライセンスを持っていますが、「白洲次郎 モデル」をつくったら、そそられる方は多いのではないかな。

そういった意味で、本件はデニム界の発展に大きな影響を及ぼす、新しい価値であると確信しています。歴史に残る日本人が早くからデニムを穿いていた事が重要で、白Tシャツにデニムという現代でも定番の合わせ、Leeのこれからのブランディングに関わる重要な発見です。

白洲次郎さんに限らず、古き良き時代のミュージシャンやファッションアイコンの写真や資料から着用しているモデルを発見することで、これまたヴィンテージデニムに触れる愉しさを知っていただけたら嬉しいです。

――日本のデニムの新しい可能性を感じさせる、大発見でした!ありがとうございました。

2022年は白洲次郎生誕120年を迎える。デニムを切り口にすると、白洲次郎氏の魅力がより増してくる気がする。白洲のデニムは日本の外交戦略にも影響を与えたかもしれないのだ。こうして、ひとつひとつ日本のデニムの歴史を紐解いていく藤原先生のデニムに対する姿勢にも、改めて圧倒される。ぜひ4刷目の重版が決定し大好調な、藤原先生の近著『教養としてのデニム』(KADOKAWA発刊)で、藤原先生のデニム愛に触れて欲しい。

また、白洲次郎の未発表写真が掲載された「写真家 白洲次郎の眼 愛機ライカで切り取った1930年代」(著・権利者/牧山桂子 編/渡辺倫明、小学館発刊)もぜひ合わせて読んで、白洲次郎の魅力にも触れて欲しい。

●藤原 裕 YUTAKA FUJIHARA
1977年、高知県生まれ。原宿の老舗古着店「BerBerJin」ディレクター。別の名を〝デニムに人生を捧げる男〟。店頭に立ちながらも、ヴィンテージデニムアドバイザーとして人気ブランドの商品プロデュースやセレブリティのスタイリング、YouTube配信やメディアでの連載など、多岐にわたりデニム産業全般に携わる。マニアからの信頼も厚い、近年ヴィンテージブームの立役者。
https://www.youtube.com/c/v-d-a-f-501xx/
https://www.instagram.com/yuttan1977/
https://berberjin.com/

教養としてのデニム 日本人が見出したヴィンテージの価値
服が売れない時代に、なぜヴィンテージデニムが1千万円で取引されるのか?
〝デニムに人生を捧げる男〟が起源から未来予測まで解説する新しい入門書。

文/柿川鮎子

編集/inox.

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