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【私たちの選択肢】梅田サイファー・KZさんが語る「私が引きこもりからラッパーになった理由」

2022.06.22

【私たちの選択肢】KZ(梅田サイファー)前編

マスクのなかが洪水になる体験は初めてでした。

その日、わたしは渋谷WWWでラッパー・KZさんのワンマンライブを観ていました。ライブの開催直前、SNSで偶然出会った楽曲『ダンスは続いてく』を知り、予備知識のないままチケットを取り会場へ。

生い立ち グラビティ 舌打ち 疑ぐり 俺を縛る それらの繋がり 音楽よ 解き放ってくれ、歌われる言葉のひとつひとつが、なんとなく苛立っていた日々に必要な言葉だと思ったからです。

https://twitter.com/HiroyaBrian

https://twitter.com/HiroyaBrian

ライブの1時間半、わたしは棒立ちで泣き続けました。両隣に並んでいた知らない誰かも泣いています。その光景はライブタイトルの「すくわれろ」そのもの。帰り道、使用済みのデジタルチケットの画面を眺めながら、これはわたしが今日を生きた証だと思いました。

人生に行き詰まると、わたしたちは目の前の世界しか見えなくなります。そんな時、知らない世界や知らない誰かの人生を知ると、すこし気持ちが楽になったりします。

人はいくつもの選択肢をもっている。そして自由に生きることができる。このインタビューは、同じ世界に生きている”誰か”の人生にフォーカスをあてていきます。

最初の記憶は、両親の喧嘩と警察

ラッパーとしてアーティスト活動をしているKZさん。ヒップホップグループ・梅田サイファーのメンバーとして華やかなステージに立っていますが、SNSのプロフィールでは自殺未遂経験を公表しています。”All My Peopleすくわれろ(「すくわれろ」より)”と願うようになるまでのグラデーションは、決して美しく鮮やかなことばかりではありませんでした。

人生いちばん最初の記憶は、両親の喧嘩を止める警察官の姿だったと言います。

「父親と母親が、お酒をたくさん飲む人たちでした。酔っ払うと夫婦喧嘩が始まるんですけど、その日はあまりにヒートアップして近所の人が通報をしたんですよ。気づいたら自分の家に警察が来ていました。それが人生で最初の記憶ですね」

見慣れた自分の家と、見慣れない警察官。家の外まで聞こえる両親の怒鳴り声、お酒のにおい。不穏な風景は強烈な印象として頭に残っているそうです。その後、両親は離婚。母親は働きに出るため、KZさんは離れた祖母の家で寝泊まりをすることになります。母親と祖母は熱心な創価学会の信者だったため、休日は言われるがままに会合に連れていかれ、お題目をあげることに時間をとられていました。

「おかんは自分の子どもを母子家庭にしてしまった負い目があったのかもしれません。母自身が高卒なので、就職活動ではしんどい体験をしたみたいです。”とにかく子どもには質の高い教育を与えたい”と、がむしゃらになっているように見えました」

母親の教育熱心ぶりは日に日にエスカレート、小学校にあがるとすぐに塾通いが待っていました。同じクラスの友だちは、休み時間も放課後もミニバスに夢中。しかし、KZさんはそこに参加することはできませんでした。中学受験を決められていたので、遊ぶ時間などなかったのです。そのタイミングで母親と祖母が大喧嘩。祖母から、”もううちでは面倒はみない”と言われてしまいます。しかたなく母親の家に戻ることになったKZさんは、片道1時間をかけて登下校。ますます自分の時間が減ってしまいました。

「ほんとうは自分もミニバスをしたかった……。だけど、母の存在があまりにも大きかったので反抗はできませんでした。自由な時間がないのは苦しかったけど、当時の自分にとって、母は恐怖の対象だったんです」

愛情が抑圧に変わっていく日々。息苦しさに押しつぶされそうになったKZさんはついに、母親への抵抗手段を思いつきます。それは、自分のために勉強を強いてきた母に対するいちばんの復讐でした。

「中学受験のテストを白紙で提出したんです。とんでもないことだけど、他に気持ちを表す方法が見つからんくて。別に母親が嫌いだったわけじゃないし、自分と同じ苦労を俺にはさせたくないっていう愛情でもあったと思う。でも、その時の俺にとってはそれが”俺のため”とは思えなかったんです」

人と喋るのが好きなお調子者から引きこもりへ

中学受験の失敗をきっかけに、地元の中学校へ進学。仲の良かった友だちとも別れ、まわりは知らない人だらけです。思春期まっただなか、心は不安だらけでした。

「友だちもいなくて、すべてがゼロの状態。孤独でした。そこで初めて仲良くなった人が今で言う”やんちゃな人”だったんです。気が合ったし話しやすかった。のちに知るんですけど、彼と俺はお互い母子家庭育ちだったんですよ」

気がつけばやんちゃな人たちが集まるコミュニティに所属。そこには自分と似た環境の人がたくさんいました。楽しい半面、同族意識はだんだんと自分たちだけの世界を作り上げ、社会への苛立ちや憤りを持て余し始めます。悪いことを勧められ、断れば殴られる。そんな仲間とつるむなかで、自分はこのままここにいてもいいのか不安を感じるようになります。

その不安はすぐに現実となりました。14歳のときに、警察に捕まり家庭裁判所に行くことになったのです。

「ここから抜け出したいって思いました。このままみんなと一緒にいると、俺は弱いからまた同じことを繰り返すんやろなって。だけど、コミュニティから抜けたいって言えば殴られる。こわかったんですよね。だから、急に連絡も全部ブッチして、家から出えへんようになったんです。もう誰とも関わらんって思った。そこからガチガチの引きこもりになりました」

もともとは活発で人と喋るのが好きなお調子者キャラでしたが、その日を境に真逆の生活に。心配した母親は心療内科に連れて行きましたが、”全てに対して中指を立てたかった”という当時のKZさんと医師の間に信頼関係はできず、診察は進みません。なにもかもがうまくいかない。でも、そんな通院の合間にも楽しみがありました。

「病院の帰りに本を買ってもらうのが唯一の楽しみでした。カフカの『変身』がすごくおもしろかったので、カフカと同じく”ノーベル文学賞”をとった人の本を読むって決めてヘミングウェイを読んだり、スティーブン・キングや北方謙三も好きでした。人間ってどんなに仲良くなっても100%わかりあうことはできない。その割り切れない部分を、文学や音楽が肩代わりしてくれたんやろなって思います」

青春も進学もできない、飛び降りて死のうと思った

いくら読書が楽しくとも、本を閉じてしまえば現実に戻ります。誰とも会わずどこにも出かけず、自分の部屋だけが日々の全て。活発だったころの自分は遠い昔のように思えました。

「人と仲良くしたかったし、女の子と付き合ったりする普通の青春がしたかったのに、憧れていた学生生活はなにひとつできなかった。そのころにはもうコミュニケーションを諦めてしまっていました。引きこもっているから今さら進学もできへんし、未来は真っ暗。今になって思えば未来は閉じていないし、自分がその場所から出えへんだけやって思えるんですけど、14歳の自分には引きこもる以外の道がまったく見えなかったです」

誰にも必要とされていない。こんなはずじゃなかった。世界から完全に拒絶されたように感じました。絶望が限界にのぼりつめた日、近所で一番高い14階建てのマンションから飛び降りようと決めました。階段をのぼり、はじっこまでスタスタと歩いて行く、あとは勢いで飛べばいい。何度もなんども頭のなかでシミュレーションをします。

そして決行の夜。

「いざ14階まで登ったら想像と全然違ったんです。足が震えて立ち上がれないから、地面に這いつくばって赤ちゃんみたいにハイハイをしてマンションのへりまで行きました。それでも、あまりにこわくて飛び降りられへんかったんです」

真下に広がる見知った街に目を向けます。自分が過ごせなかった青春のこと、部屋の外では時間が流れつづけていること、生きることができないのに死ぬこともできないこと。結局その場を動けず、朝になるまで泣き続けました。早朝、家に帰る途中でコンビニに入ると翌日発売のヤンマガが並んでいました。

「ヤンマガのなかにちょっとエッチな漫画があって、それを読みながらオナニーをしていたら、”俺はさっきまで死ぬか生きるかの瀬戸際にいたのに”って急に冷静になったんです。自分は必要とされていないし生きる意味がないって思っていたけど、自分が勝手にそう決めつけただけやって。そんなん全部が無意味でくだらなく思えた。”無意味”って絶望みたいに聞こえるけど、自分にとっては大きな希望でした」

なにひとつ思い通りにならない世界のなかで、たったひとつ自分自身が自由にできるのは自分の命だけ。ならば、生きていくしかない。それが世界に対して自分ができる抗いだと感じました。無意味という希望を知ってから、完全な引きこもりから徐々に脱していきました。夜中にコンビニへ散歩をするようになり、15歳になるころには日中の図書館へ行けるまでになりました。

部屋から路上へ

なんとか中学校を卒業したKZさんは工場へ就職。しかし、3日目の朝には起き上がれなくなり出勤ができなくなりました。焦る気持ちに自分の身体がついていかないのです。

しかたなく、フルタイムで働くことは一旦諦めて、夕方から夜までのバイトに変更。日中の持て余した時間はパソコンに向かい、好きな音楽を探していました。

KZさんとヒップホップの出会いは、中学生のときに通っていたブックオフです。有線で流れていた曲に衝撃を受けて、歌詞をメモして家のパソコンで検索。ケツメイシの『手紙~未来』という曲でした。その後、気になる曲に出会うと歌詞を調べるようになっていました。ある日、いつものようにヒップホップ関連のサイトをめぐっていると、自分のリリックを書き連ねていく掲示板・ネットライムにたどり着きました。

「そこではみんながそれぞれ歌詞を書いて、ディスりあったり評価しあったりしていました。ここなら顔も見えないし本名もわからない。それなら俺も書いてみたい、と思ったんです」

歌詞を書いていると自分の考えていることがどんどんクリアになります。KZさんにとって”書く”というアウトプットは、自分の気持ちを初めて完全な形で外に出せる喜びでした。

同時期、エミネムの自伝的映画『8 Mile』が公開、全国からプロアマ問わずラッパーがフリースタイルバトルをする「UMB」という大会には2千人ほどが集まりました。ネットライムもラップから派生した文化です。”自分もラップがしてみたい。だけど自分みたいな人間は絶対に人前でラップなんてできない”、そのはざまで揺れているなか、即興でラップをする”サイファー”が梅田で開催されることを知ります。

「告知には”初心者も歓迎”って書いてあったんです。あの日の緊張は今でも覚えています。自分がネットに言葉を書き始めたのが16歳で、初めて梅田サイファーに行ったのが20歳なので、路上に行くまでに4年かかったんですね。」

あれほどこわかったコミュニケーションですが、その場の感情をぶつけあうフリースタイルはKZさんの心にしっくりときました。うまくできたわけではなかったけれど心のなかはスカっとしていて、”来週も絶対来よう”と思ったそうです。

https://twitter.com/HiroyaBrian

https://twitter.com/HiroyaBrian

どこまでも真っ暗だと思っていた未来に風穴を開けたのは書くこと、そしてラップをすることでした。後半は、KZさんが自分の感情を身体の外に出せる手段=サイファーに出会ってからの変化についてお聞きしていきます。

KZ

大阪、梅田サイファーが出自のラッパーKZ。UMB18、19、20にて3年連続、激戦区大阪代表の座を勝ち取る。 19年1月にリリースした「マジでハイ」がYoutubeにて 800 万回再生を記録し、19年夏から梅田サイファーの主要メンバーとして全国ツアーを成功させる。出演したTHE FIRST TAKEの動画は現在1950万回再生。ソロとしても年間50本近いライブを行い、全国各地の大小様々な箱でマイクを握る。 ラッパーだけではなく、映像監督やトラックメイカーとしての側面を持ち、作詞としては人気コンテンツである「ヒプノシスマイク」にも作詞提供を行っている。

文・成宮アイコ

朗読詩人・ライター。機能不全家庭で育ち、不登校・リストカット・社会不安障害を経験、ADHD当事者。「生きづらさ」「社会問題」「アイドル」をメインテーマにインタビューやコラムを執筆。トークイベントへの出演、アイドルへの作詞提供、ポエトリーリーディングのライブも行なっている。EP「伝説にならないで」発売。表題曲のMV公開中。著書『伝説にならないで』(皓星社)『あなたとわたしのドキュメンタリー』(書肆侃侃房)。好きな詩人はつんくさん、好きな文学は風俗サイト写メ日記。

編集/inox.

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