今年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品された映画『PLAN 75』で、早川千絵監督は新人監督に与えられるカメラ・ドール特別表彰を受けた。この映画はさかのぼって2018年に公開された、是枝裕和監督が総合監修を務めたオムニバス映画『十年Ten Years Japan』に収められた短編を出発点にしている。それが問題作である理由とは?
「プラン75」が高齢化社会の問題を抜本から解決?
教会のミサでも行われているかのような、クリアで硬質なピアノの旋律。焦点の合わない目線のその先、光がゆらゆら揺れる廊下に、ライフルを構えているらしい男が突然に姿を現わす。画面に暴力的に映し出される、血にまみれた男の腕。周囲には、大きな車輪が空回りしているひっくり返った車椅子と、放り出された誰かの杖が転がっている。
「増え過ぎた老人がこの国の財政を圧迫し、そのシワ寄せをすべて若者が受けている。老人たちだってこれ以上社会の迷惑になりたくないはずだ」。自分に言い聞かせるようにブツブツと何事か言ったあと、男は銃口を自らに向けて引き金を引いた――。
映画『PLAN 75』は、こんな不穏なシーンに始まる。続いてラジオから、「75歳以上の高齢者に死を選ぶ権利を認め、支援する制度〈プラン75〉が国会で可決されました」と伝えるニュースの音声が。そこは高齢者が襲撃される事件が相次ぎ、高齢化社会がもたらす問題を抜本から解決するための法案が成立した世界であるらしい。そういう意味では「近未来SFか?タイトルもそれっぽいし」などと思う。
でも、近未来SFという言葉から連想されるようなサイバーパンク感はそこにはない。あるのはただ、われわれが生きている今この現実とあまりに地続きな日常。ベッドメイクの制服に身を包んだ老女が仕事の手を止め、カメラをじっと見つめる…。
色彩を抑えた寒々しいような乾いた映像、ハッとした一瞬をもたらす洗練された構図、静かに鳴り響く音楽。決して強引ではないやり方で、でも確実に観る者の心を捉えるオープニング。早川千絵という監督の、新人と思えない確信を持った演出は最後まで続く。
磯村勇斗演じる岡部ヒロムは、申請者としてやってきた伯父(たかお鷹)と再会する。
慎ましく生きる78歳のミチの日常を丁寧に描写
まずは倍賞千恵子演じるこの映画の主人公、角谷ミチの日常が描かれる。78歳にしてホテルの客室掃除の仕事を続け、同年代の女友達の同僚もいて仕事の合間にはおしゃべりをするし、ときにはカラオケで楽しんだりもする。そんなミチが帰宅するのは団地の小さな一室。夫と死別して長年慎ましい一人暮らしを続け、テレビと向き合って食事をとるような静かな孤独を生きている。
ある日、同僚のイネちゃんが勤務中に倒れる。「年寄りを働かせたらかわいそう」という誰かの投書があったからと、ミチらも職を追われることになる。しかもミチが暮らす団地の取り壊しが決まり、引っ越し先も見つけなくちゃならない。まだ体は動くんだからもう少しがんばろう、生活保護を受けるなんて誰かの世話にはなりたくないし。ミチはひとりでなんとか踏ん張ろうとするも、世間の風は理由なしに優しくはない。特に資産があるわけでもない高齢者に対しては。少しずつミチの希望が損なわれていく。
そんな日々のそこここに、「プラン75」が登場する。あるときは例のがん保険のCMみたいに、利用者が登場して、そのシステムがいかに素晴らしいかをテレビ画面のなかで笑顔で語っている。街角では買い物ポイントカードの受付みたいな気楽な感じで相談窓口が設けられ、ポップなイラスト入りののぼりを立てて、道行く人の気を引こうとしている。生きる希望が確実に少しずつ薄れていくミチの心にそれらは知らず知らず入り込み、もっと生きていたい!という気持を侵食していく。
やがてミチは決意する。
TVから「プラン75」のCMが流れる。こんなCM、よくありますよね…。
「プラン75」が、いまを生きる自分に与えるインパクトにおののく
とにかく、倍賞千恵子が素晴らしい。カメラを見据える数秒で心をつかまれてから、シワの刻まれた彼女の顔に見入ってしまう。とにかく美しい。早川監督が切り取る日常のなかで、ミチの一挙手一投足が凝視するに値すると思える。
声もいい。劇中「いい声だな~って」と言われたりするのだが、ちょっとハスキーで温かく、湿り気があって説得力を備えている。この声が嘘をつくことはないだろう、と思わせる。俳優という人たちは年齢を重ね経験を積むと、このレベルに到達することができるのかと改めて驚く。そこには役づくりの苦悩とかセリフ覚えの苦労みたいな痕跡は一ミリもない。ただその人として、カメラ前に立っている感じ。それでいてそこで生活している人としての異様な説得力があり、そのときどきのミチの心情が画面越しにビシバシと響いてくる。
そのせいだと思いたい。ミチが「プラン75」に惹かれていくことにごく自然と感情移入してしまう。75歳になったら自分の生死を選び取ることができる――。その日がいつ訪れるかと不安になる必要はないし、その日までに自分自身で身辺整理をすることができる。あとのことはなにも心配いらない。その日を迎えるまで定期的に専用のコールセンターの担当者が電話をくれて心配事があったら相談できるし、ちょっとしたおしゃべりも楽しめる。
それでその瞬間は痛みを感じることなく、眠るように。そのあとの火葬や埋葬もお任せで。他の人たちと一緒にするというプランだと無料!お墓どうしよう?お葬式は?なんて考えなくていい。しかも支度金として10万円もらえる!いいじゃん!みたいな。「安楽死」と聞くと、即座に拒否反応が起きるというのに、やけに乗り気になっている自分がいる。
コールセンターで働き、ミチの担当となる成宮瑶子を河合優実が演じる。この人の名前は覚えておいたほうがいいかも。
同時にもちろん、よくわからない引っ掛かりを感じる。劇中、そうした思いを年若い登場人物が代わりに担ってくれているように思えてくる。
磯村勇斗演じる岡部ヒロムは、市役所の「プラン75」申請窓口で働いている。これまではただの仕事として、正確に誠実に高齢者に対応してきた。そんなヒロムのもとに疎遠だった伯父が申請にやってくる。これまではただの職務としてこなしてきたことが、その申請者の人生の終わりにどんな結末をもたらすのか?伯父の存在によって改めて実感を伴って考え始める。
「プラン75」のコールセンターで働いていて、ミチ担当となる成宮。彼女は電話越しに続けるミチとの15分の会話、そしてミチに請われていちど直接会って楽しい時間を過ごしたことで、もう電子音のような受け答えはできなくなってしまう。22歳の河合優実が、どっしりと肝の据わった演技で見せる。
「人々の不寛容がこのまま加速していけば、<プラン75>のような制度は生まれ得るのではないかという危機感がありました」と早川監督。この映画には「泣けます!」みたいにわかりやすい結末はない。もたらされるのは、静かでズシリとした重みを感じさせる確かな衝撃。
ラストシーン、あなたはなにを感じるだろう?
(作品データ)
『PLAN 75』
(配給:ハピネットファントム・スタジオ)
●監督・脚本:早川千絵 ●出演:倍賞千恵子、磯村勇斗、たかお鷹、河合優実、ステファニー・アリアン、大方斐紗子、串田和美 ほか ●新宿ピカデリーほか全国公開中
©2022『PLAN 75』製作委員会/Urban Factory/Fusee
文・浅見祥子