生ハムを薄く切る
コロナに気を取られてちょっと目を離していた隙に、日本のイタリアンレストランで出される生ハムが年々薄くなっていたことに、皆さんお気づきでしょうか。不景気で薄くなったわけじゃありませんよ。極薄にスライスしたイタリア産生ハムって、下のマンガじゃないけど、フワッとしていて脂が口の中で溶けてなくなる感じで、本当においしいからなんです。
生ハムの極薄スライスが流行したキッカケは、広尾のイタリアン『ペレグリーノ』の高橋隼人シェフが、2018年に日本テレビの『行列のできる法律相談所』に出演し、日本に1台しかないイタリア製スライサーを使って生ハムを0.1mmに切ってみせ、それを食べた有村架純が悶絶したこと。この番組の放送以後、イタリア製のスライサーは一気に東京中のイタリアンに広まりました。
『ペレグリーノ』はパルマで修業した高橋隼人シェフが2009年に西麻布に出店したイタリアン。2014年に「ミシュランガイド東京」で一つ星を獲得。2015年に広尾に移転してからも、食べログで4.5点台というとんでもなく高い点数を得ており、2021年の「食べログ・イタリアン東京百名店」の第1位。使っているスライサーはベルケル社製。日本の生ハムを極薄にした立役者の店です。◆住所:渋谷区恵比寿2-3-4 ◆電話:03・6277・4697
そもそもハムとは、塩漬けにした豚肉。それを加熱・煮沸したのが日本人の思い浮かべる普通のハムで、加熱・煮沸抜きで乾燥・熟成させたのが生ハム。日本人は、何でも「3大」が好きなので、最初に「世界3大生ハム」を紹介しておくと、第1にイタリアのエミリオ・ロマーニャ州パルマで作られているプロシュット・ディ・パルマ、第2にスペイン全土で作られているハモン・セラーノ、第3に中国・浙江省の金華地区で作られている金華ハム──このうち、中国は昔から材料に火を通さずに生で食べる習慣がなく、金華ハムもだしの素として使われるだけなので(それはそれでムチャムチャおいしいんですが)、ここでは話をイタリアとスペインに絞りましょう。
日本では、食品衛生管理法で生ハムの輸入が長らく禁止されていましたが、1996年にイタリア産、2000年にスペイン産の輸入が解禁。それ以前は、イタリアやスペインを旅行したシェフが現地で買った生ハムをスーツケースに隠して日本に持ち込み、店の常連客に「生ハム密輸したけど、食べに来ない?」と電話し、連絡を受けた客が慌てて店に駆けていたものでした。当時は、切り方なんか誰も気にしてはおらず、したがって、日本の生ハム文化はたかだか25年前後の歴史しかないことになります。
スペインは国土が山だらけで、生ハムも標高の高い寒冷地で作られるため、塩を肉に早く浸透させる必要がなく、使われるのはもっぱら粒の大きな粗塩。その代わり皮をはがして表面に粗塩を振るので、むしろしょっぱいのが特徴。80%は白豚のセラーノ豚を使ったハモン・セラーノで(「セラーノ」は「山の」の意味)、20%は黒豚のイベリコ豚を使ったハモン・イベリコ。スペイン料理店のカウンターでホルダーにのせられた骨付きの生ハムを見て、ヒヅメが白ければハモン・セラーノ、黒ければハモン・イベリコ。ヒヅメの黒い生ハムを見たら「このハモン・イベリコをもらおうか」と言えば食通として尊敬されますので、お試しください。
スペインでは、生ハムはナイフを使って手で切るもの。現地の飲食店にはコルタドールと呼ばれる生ハムを切る専門職がいて、客の見ている前で部位ごとに最適のサイズに切ってくれます。1ピースは、イタリアの生ハムより厚くて小さめ。基本、肉の繊維に平行にスライスするので、歯ごたえがあります。また、いい生ハムは脂で皿にピタッと貼り付くため、生ハムを並べた皿をひっくり返しても全然落ちないと言われています。
イタリアの代表的生ハムスライサー
1880年創業の調理機器の会社。日本に技術者が常駐しており、メンテナンスがラク。
1898年創業の最高級ブランド。スライサーを最初に生み出した会社だそうです。
一方、イタリア産の生ハムは、概してスペインより低い標高で作られ、気温が高くて湿気が多いので塩を早く浸透させなければならず、使われるのは粒の小さな塩。湿気でカビが表面につく場合も多く、このカビに存在する微生物が肉の発酵・熟成を助けるのだそうです。こうした製法で作られるイタリアの生ハムの中でも特に有名なのが、パルマ産のプロシュット・ディ・パルマ(「プロシュット」とは「豚の腿肉」の意味)。また、プロシュットとは別に、豚の尻肉を使うクラテッロという生ハムもあり、パルマ県北端のジベッロ村で作られるクラテッロ・ディ・ジベッロは「生ハムの王」と呼ばれます。広尾のイタリアン『ペレグリーノ』はクラテッロ・ディ・ジベッロがウリなので、『行列のできる法律相談所』で有村架純が悶絶したのも、クラテッロではないかと思われます。
クラテッロもプロシュットも、基本、スライサーを使い、肉の繊維に対し、垂直に切ります。スライサーには電動式もありますが、電動は刃が熱を持ちカットすると脂が溶けてしまうので、こだわる店は必ず手動を使っています。ここ数年、ベルケルとかタマニーニとかいったパルマの老舗メーカーの最上級の手動スライサーが日本でも使われるようになり、より薄くフワフワに切れるようになりました。ちなみに、イタリアの生ハムは、皿をひっくり返すと全部落ちちゃうので、スペインの生ハムと同じ真似は絶対にしないように。
東京で極上極薄の生ハムを食べようと思ったら、イチオシはやはり高橋隼人シェフの『ペレグリーノ』ですが、この店は席が5席しかなく、予約が数か月先まで満杯なので、もっと気軽に行ける店として、TBSの『情熱大陸』でも紹介された女性シェフ、仲田睦が2月に麹町に開いた『トラットリア・ムツミ』をおすすめしておきます。仲田シェフは前にいた恵比寿の店でも、生ハムのスライスで定評があった料理人で、新しい店でもメニューのトップに生ハムがあります。この店の生ハム・フォカッチャなんか食べた日には、本当に毎日通いたくなっちゃいますよ。
『トラットリア・ムツミ』は、『情熱大陸』にも登場した女性スター・シェフ仲田睦を厨房に迎えた、麹町の新宿通り沿いのオフィスビルの1階の北イタリア料理店。仲田シェフは10歳からテニスを始め、プロ選手を目指したものの、23歳の時、ケガで断念し料理の道に進んだという経歴の持ち主で、北イタリア各地で長く修業した人。使っているスライサーはタマニーニ社製だそうです。◆住所:千代田区麹町3-2-3 ◆電話:070・8931・3924
【秘訣】イタリア産生ハムは、スライサーを使って極薄に切る
取材・文/ホイチョイ・プロダクションズ