6月に入り、持続化給付金の組織的不正受給が続々と報道されるようになり、すっかり世間から忘れ去れてしまった『山口県阿武町の4630万円誤振込騒動』。
お金は返還されないと思われていた矢先、突如オンラインカジノの決済代行業者から町の口座にお金が振り込まれ、結果的に誤振込した金額の約9割を法的に確保されるに至り、世間は一見落着モードです。しかし、世間の言う勝ち負けで表すならば「誤振込された公金を1円でも使われてしまった時点で町側の負け」であることはあまり知られていません。
今回は、騒動が落ち着いたところで改めて問題点と世論の動きを整理した上で、その理由を説明しようと思います。
分断された世論の正体とは?
まず私個人として、この騒動の興味深い点は『誰が悪いのか』という点でSNSにおける世論が、はっきりと分断されたことです。
実際、私がこの誤振込騒動をYouTubeで取り扱った際『これは町が悪いだろ!』というコメントに対して『いやいやお金を使うやつが悪い』と噛み付く人が現れるなど、コメント欄が良くも悪くも久しぶりに活気に満ちた状態になりました。
どっちが悪い論に関する私のスタンスとしては、『杜撰な公金管理の結果、男が犯罪者になるきっかけを使ってしまったのは町役場だが、犯罪者になる道を選んだのは男自身』として、騒動の中にはおおよそ3つの問題が存在していると考えています。
①町役場の公金取り扱いに関する問題
②誤振込後の行政の返還対応に関する問題
③返還を拒否し、別口座にお金を移した男の問題
そして、私は世論が大きく分かれた理由についても、「個々人が元々持っている対象に対する感情によって、上記①~③の中のどの問題を特に問題視するかが変わり、その結果『問題の本質』の見え方が各人において全く異なるものになったから」だと捉えています。
例えば、元々行政に対して不信感を抱いている人は特に①②を問題視して、誤振込に至る過程や杜撰な公金管理に騒動の原因があると考え、ある程度男に同情する立場を表明する一方、犯罪者に対して絶対に許さないとする立場を取る人や規範意識の高い人は③を深刻に捉え、お金を返還せずにオンラインカジノに使い込んだと供述する男の行動を強く非難しているのだろうと思います。
しかし、今回の騒動の問題点を整理すると、今回のケースは双方に問題があり、一概にどっちが絶対に悪いと言えないのが本当のところでしょう。一方、SNSでは文字数が制限されていますから、この騒動について語る際には「どっちが悪い」と視点を決めて投稿せざる得ない側面もあったと考えられそうですが……。
ただし、今回の最大の被害者は「町役場」「誤振込された男」ではなく「町民」であることは、最低限頭に入れておかなければなりません。
ここで少し話を戻し、ここから冒頭にお話しした「誤振込された公金を1円でも使われてしまった時点で町側の負け」となる理由について説明したいと思います。
4630万円のうち1円でも手をつけられた時点で阿武町側の負け
さて、今回の騒動についてですが、男の逮捕と決済代行業者からの返金で一気に「町の勝ちムード」で盛り上がりました。
しかし、これは偶然の連続によって、予想より敗戦処理が上手くいっただけの話です。
以下の点で、今回のケースは本当にラッキーだったと言えます。
・男が国民健康保険税を滞納していた。
(国税徴収法に基づく自力執行が可能に)
・お金の渡った先がオンラインカジノの決済代行業者だった。
(グレーな部分を探られたくない業者の弱みに町側が付け込むことができた)
反対に考えると、
・もしも男が税金を滞納していなければ……
・善意の第三者にお金が振り込まれていたら……
回収は非常に困難なものになっていたでしょう。
そして、ここで考えなければいけないことは「1円でも公金を使われてしまえば、回収には使用された金額以上のコストや時間がかかってしまう」ということです。
本来はあってはならないことですが、仮に誤振込があったとしても、誤振込に気づいた時点で1円も使わせないまま組戻しの手続きを終えていれば、ここまで問題は大きくならなかったでしょう。また、組戻しの手続きには受取人の了承がなければなりません。
つまり、行政の努力だけでなく、相手の協力も必要なのです。
しかも誤振込については役場側のミスによるものですから、相手がどんな対応をするのかも不透明です。理屈(法律の話)で「アナタのお金ではない」と説明したとしても、組戻しの手続きに協力しないどころか、お金を使ってしまうかも知れません。
そのため、まず町役場が考えなければいけなかったのは、受取人(男)が組戻しの手続きに協力したくなるような譲歩の案の提示だったように思います。
そして、町ができる譲歩案の例として、最大のものを1つ挙げたいと思います。
・感謝状の授与
・副賞として10万円(給付金額と同じ金額)
(町長等の責任者のポケットマネーで)
読者様の中には、荒唐無稽な話だったり、誤入金されたものは返すのは当たり前の話なのに感謝状は意味不明だと感じたりする方もおられるかも知れません。
もちろん、本来は誤振込の説明を受けたら返すのが当たり前です。
しかし、今回の受取人の男については税金を滞納しています。
つまり、払わなければならないものを払わない人物ということです。また、このような人物の場合、生活に困窮している可能性があり、そんな状態のときに突然4630万円もの大金が振り込まれたことに気付けば、魔が刺してしまうことも十分に考えられます。
ここを誤振込に町役場が気づいたときに把握していたかは不明ですが、相手の素性を見極めるよりも先に組戻しの協力を要請するのは、交渉の方法としては悪手です。身銭を切る覚悟も必要でしょう。
そもそも面倒な手続きのきっかけを作ったのは町役場の方であり、さらにお金が返還されないことで大きなダメージを負うのは町側(町民を含む)だからです。
組戻しを拒否された、お金が使われてしまった、この時点で回収のための新たなコスト発生するわけですが、回収にかかる費用も税金で賄われます。
そこを理解した上で、あくまでも「協力に対する御礼」を目に見える形で先に受取人に提示することができれば、結末も「田舎のとんでも騒動」から「町のミスから始まった美談」へと大きく変わった可能性が高いわけです。
もちろん、誤って振り込まれたお金は、最初から自分のお金ではありません。気づいた時点で返還しなければならないわけですが、その「当たり前」をあえて「善行」として表彰してあげることが、相手が気持ちよく返還する気になることに繋がるかも知れないと言いたいわけです。
たらればの話になりますが、初日に組戻しの手続きを無事に終えることができていれば、少なくとも町に1日数百件も苦情の電話が殺到する事態や、職員が誹謗中傷の被害に遭うことは避けられたはずです。
今回の騒動で阿武町の役場は大きなダメージを負いました。弁護士費用以外にも、町のイメージダウン(ふるさと納税は急増したらしいですが)や取材や苦情対応に割かなければならない時間まで含めると、大きくマイナスです。
しかし、その全ては、公金の杜撰な管理から始まっています。
他人事ではなく、個々人が考えるべき問題
さて、改めてこの騒動について思うことは、町側の公金を取り扱うことに対する意識の低さです。
誤振込が発覚したあの日(4月8日)は、組戻しに同意してもらうまで帰らないくらいの気持ちで対応しなければならない日でした。それを前提に「返してもらえるだろう」ではなく「絶対に今日返させる」ことを念頭に「どうすれば相手も気持ちよく返してくれるか」を頭に入れて行動しなければならない深刻な事案だったわけです。
しかし、呑気に考えている間に事態は徐々に悪化していき、今日に至ります。
私たちも、男を罰してお金を回収できたら万事解決ではなく、町側の再発防止策についても引き続き注目しなければなりません。なぜなら、誤振込の話も私たちの住んでいる自治体でも起こり得ることだからです。
今回の事件は、自治体の公金の取り扱い体制について一石を投じる形になりました。
同時に、納税者である私たちも自治体等の公金の取り扱いについて、もっと関心を寄せていくべきだと思います。
文/犯罪学教室のかなえ先生
2020年9月にデビューした、元少年院教官のVtuber。 登録者2.22万人(2022年3月末時点)。親しみやすい関西弁と幅広い学術領域を横断した事件解説が持ち味。特に、多くの犯罪者と関わってきた本人の目線から語られる事件解説は、その背景にある人間の弱さや社会問題への理解度が深まると定評がある。
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