いい買い物をした。履き心地もなかなかよいし、わりといろんな服装に合わせられそうで、久しぶりに買った革靴は大正解だったといえる。さすがは“インフルエンサー”推奨の品ということになりそうだ——。
“情報発進”について考えながら高円寺の街を歩く
活発な“情報発信”を行っている一部のツイッターなどを見ると、一日の中でよくもこれだけ“つぶやく”ことができるものだと感心させられることも少なくない。同居している家族にすら言わないようなことを際限なく“情報発信”できるという、なかなか凄い時代を迎えているのだともいえる。これまでなら“独り言”だったものが“情報”になったのである。
所用で訪れた国立市某所からの帰路、JR中央線を高円寺駅で降りた。今日はもう急ぎの用もないので、あまり“開拓”していない街を少しばかり徘徊してみたくなったのだ。すでに日は暮れ、夜7時になろうとしている。駅の北口を出て特にあてもなく歩く。少しばかり歩いた後はどこかで何か食べてもいいし、「ちょっと一杯」にしてみてもよい。
街歩きしたい理由は実はほかにもあった。なかなか履き心地の良い革靴を入手して今日初めて履いているのだ。
個人的にも靴選びというのは生活上の難問のひとつで、これまでにも幾度となく失敗を積み重ねている。特に革靴については靴擦れを起こしたり、足が痛くなったりと今でも難題だ。
そうしたこともあり、最近は地味なデザインのスニーカーを履くことが増えているのだが、先日、偶然に目にしたネットの動画でファッション系の“インフルエンサー”が1万円代で買えるお勧めの革靴を紹介していて思わず見入ってしまった。
さすがは人気の“インフルエンサー”という納得できる内容だったこともあり、紹介されていた4種類の革靴の中の1足を某ファッション通販サイトで購入してみることにしたのである。昨日に宅配便で届けられ、さっそく本日履いて出かけることにしたのだ。
特に意味もなく駅前ロータリーの外側の歩道を歩き、有名な「純情商店街」のアーチに差しかかる。
この商店街を進んでみてもよいのだが、足を踏み入れれば店の選択肢が多すぎて迷いそうな気もする。ここはまた今度にしよう。引き続きロータリー沿いをあてもなく歩く。おろしたての革靴の歩き心地も良い。
いずれにしても“独り言”が“情報”になるというSNS全盛時代を迎えているわけであり、SNSで活躍する“インフルエンサー”がこうして実際に有益な情報を届けてくれることが現実のものとなっている。ぜひとも自分も見習って積極的に情報を発信し、人々との活発な交流を図ってみたいという気持ちがしないわけではない。
しかしそうは思っても、日々の生活の中で発信すべき“情報”は実に少ない。コンスタントな情報発信としては、せいぜいその時に食べたものくらいしかないようにも思えてくる。どんな些細なことであれ“情報”にはなるのだろうが、ほとんど意味がないと思える事柄は発信する気にもなれない。
そしてそもそも、今以上の人的交流を自分は望んでいるのかと問われれば即答はできそうにもない。やはり自分はSNSには向いてないということなのだろうか。
活発でオープンなSNSユーザーほど“本当の自分”を隠蔽している?
歩き続けていると結局駅舎へと戻ってきてしまった。駅前ロータリーをぐるりと周ってきたような格好だ。駅を背にして線路沿いに左側に伸びる通りがある。進んでみることにしよう。
もっとSNSで自分をさらけ出し、どんな些細なことでも報告することがこの時代、求められているのだろうか?そしてそもそも、情報発信とは自分をさらけ出すことなのだろうか。
こうした件について興味深い研究が報告されている。SNSで積極的に情報発信し、オンラインで活発な人的交流を行う者は、実際には自分にまつわる本当の情報を隠蔽しているというのである。いったいどういうことなのか。
現在の調査ではオンラインでの関係を築き、個人情報を開示する意欲の尺度を構築し、この尺度が人格や個人差とどのように関連しているかを調べています。
研究1では「オンライン関係を形成するための開放性(Openness to Form Online Relationships、OFOR)」を評価するための尺度を開発しました。エンゲージメントと疑惑という2つの要因が浮かび上がりました。
結果は、より高いOFORエンゲージメントを報告した個人は、より高い自己隠蔽と自己監視、およびより低い正直さ&謙虚さと誠実性を自己報告したことを示しました。
※「Wiley Online Library」より引用
カナダ防衛研究開発とクィーンズ大学の合同研究チームが2020年12月に「Personal Relationships」で発表した研究では、オンライン上で積極的に情報発信し、活発な人的交流を好む者は自分をさらけ出しているように見えて、実は自己を隠蔽する度合いが高いという興味深い研究結果を報告している。ある意味では“本当の自分”を隠すためにオンラインでこまめに情報発信をし、活発な人的交流を行っているというのである。
合計432人の北米の成人が参加した実験ではまず、オンラインで見知らぬ人との関係を築く意欲を測定した。それはたとえば「オンラインでしか会ったことのない人に、とても容易に親密さを感じることができる」や「見知らぬ人とは直接話すよりもオンラインで話すほうが楽しい」などの文言に同意するかどうかが尋ねられたのだ。これによって各自の「オンライン関係を形成するための開放性(Openness to Form Online Relationships、OFOR)」が計測されたのである。
次にこのスケールが、個人情報の開示の意欲とどのように関連しているかをテストした。参加者はインターネット上で見知らぬ人と3つの話題でチャットしていることを想像するように求められ、それどれほど恥ずかしかったか、嘘がどれほど深刻に感じられたか、そして情報がどれほどプライベートであるかを評価した。
回答データを分析した結果、オンラインの関係を形成することに対してよりオープンな参加者は、驚くべきことに自己隠蔽のレベルが高いことが示されたのである。具体的には「私は誰とも共有していない重要な秘密を持っている」や「私の秘密は恥ずかしすぎて他の人と共有できない」などの発言に同意する可能性が高かったのだ。
オンラインで活発に交流を行う者には、実は絶対に明かすことのできない本音や秘密を抱えていることになる。むしろその本音や秘密を覆い隠すために頻繁に情報を発信し、活発に人的交流を重ねているともいえるのだ。
しかしなぜそんなことをするのか? 研究チームによればオンライ上の関係を形成するこのより大きな意欲は、ある種の“自己演出”であり他者への“印象管理(impression management)”であることから、自分をさらけ出すのではなく、自己を隠蔽することのほうが重要な役割を果たすのだという。つまりオンライン上の自分とは、そのように見せたい自分であり、自分が作り上げている自分ということになる。初めからそこには自分の実像や実態、つまり“本当の自分”はないといえるのだ。
立ち飲み店でニシンの刺身を久しぶりに賞味
通りを進む。駅前の線路沿いということもあって狭い路地ながらも人通りは多い。飲食店の営業時間の制限もなくなったこともあり、酔客も少なくない。
外でお酒が心おきなく飲めるようになったことで、コロナ禍前のようにSNSでは料理やお酒などの写真が再び氾濫してくるのだろう。もちろん、それらの多くはちょっとした備忘録的に気軽に投稿されるのだろうが、中には“映え”を狙って念入りに写真を撮ってしかるべきタイミングに投稿するといった“印象管理”に基づく投稿もあるはずだ。そしてその種の写真は、実物を写したものであるというよりも、むしろ現実を脚色したものであったりする。
通りの左側に立ち飲み居酒屋がある。狭そうな店だが見たところ店内はほぼ満員だ。お客たちの談笑も聞こえてくる。この店のすぐ先の右側にも立ち飲みの店がある。店の看板と軒先の電光看板に「たち飲み」の文字が示されていた。こちらはそれほど混んでいないようだ。入ってみよう。
お店の人にさっそく酎ハイを注文した。小さなホワイトボードに記されてあった「生にしん刺」もお願いする。生のニシンというのもすごく久しぶりだ。
ニシンがやってきた。脂が乗っていて美味しい。とはいえ、最後に生のニシンを食べた記憶は抜け落ちているので、実のところ味を再確認しているだけではある。それでも普段なかなか食べられないものにありつけたことは単純に嬉しい。
革靴のほうは相変わらず快調である。履き初めということもあり靴擦れは覚悟していて、実際にカカトの上のほうに絆創膏を貼ってから出かけたのだが、どうやらその必要もなかったようだ。もちろん靴擦れを通じて靴が足に馴染んでくるケースも少なくないのだが、靴擦れをしなくて済むのであればその方がいいに決まっている。
酎ハイはもうすぐなくなりそうだ。おかわりをお願いするタイミングでボードにある「イワシ天ぷら」も注文してみることにしよう。
ともあれ夜にこうして外で飲めるようになったのは嬉しい限りだ。きっとこの界隈でも今多くの料理写真が撮影されてSNSへと投稿されているのだろう。その中に“印象管理”や“自己演出”に基づく投稿はどのくらいあるのだろうか。
SNSを通じてどのような自分を見せたいだろうかとも考えてみるが当然、残念な自分を見せるよりも、よく思われる自分を見せたいのは人情である。しかし過度に良く思われたいのだとすれば、それはそれで大変な労力を伴う“自己演出”になるのだろう。そのコストに見合う“見返り”ははたしてどれほどのものなのだろうか。
…さて、酎ハイのおかわりをしようか。なかなか大変なSNS時代ではあるが、“インフルエンサー”の目利きでこうして良い革靴を入手できたという実益も確かにある。この靴ならもう一軒くらい回っても疲れることはなさそうだが、もう少しここで飲むことにしよう。
文/仲田しんじ