ワンランク上の立喰鮨
前号の巻頭コラムでも紹介されていたとおり今東京では立喰鮨店が大ブーム。
先日、女優の杏さんと飲食店の流行について話す機会があり、立喰鮨がブームだという話をしたら、真顔で「何で立って食べるの?」と聞かれ、答えに窮してしまいました。
そもそも女性は、妊娠時に胎児を守るために身体の重心が男性よりも背中寄りにあり、立って前かがみの姿勢を続けると疲労がたまりやすいので、立喰いが苦手なもの。それでもなぜ立喰いかと問われれば、考えられるのは、(1)狭い物件でも出店でき、スペース効率が良い。(2)薄利多売で次々に握るスタイルが、テイクアウトにも向く──つまり、不況のコロナ禍でも強い業態だから、ということでしょうか。
もっともらしく言えば、江戸前の握り鮨は屋台として始まったものなので、立って食べるのが筋。50年前まで、東京には個人経営の立喰鮨がたくさんありました。その頃の雰囲気を今に伝えるのが、浅草橋駅東口から徒歩30秒のガード下にある『美家古鮨本店 立喰処』。店名を聞いて「ああ、あのカウンターに流しと蛇口が付いた店ね」とうなずかれる読者もおいででしょう。1960年代まで、鮨は東京では必ず素手で食べるものだったので、鮨屋は座って食べる店も含め、カウンターに手洗い用の蛇口とシンクを備えた店が多かったんです。この店は近年シャッターを下ろしっ放しですが、柳橋の本店に電話で問い合わせたところ、再開させる意欲はあるとのことでした。
そしてその後、立喰鮨の業態は、個人店から『魚がし日本一』『寿し常』『美登利』などの大型チェーンに受け継がれていきます。
近年の鮨業界は、人件費も材料費も上がり、そのうえ不況で一般消費者の財布の紐が固くなったため、安い回転鮨か、富裕層狙いの1人2万〜3万円のコース専門の超高級鮨店に二極化。中間の鮨店は、価格の叩き合いで打ちのめされ、それでも何とか売り上げをつくってくれていた中国人観光客の団体利用も、コロナ禍でパッタリ途絶えてしまったため、今までの規模の店を維持することが難しくなっていました。
一方、消費者の側には、安い立呑みバルや、安い立喰いの『俺のフレンチ』『いきなり!ステーキ』などが定着し(女性は我慢して行ってるんでしょう)、立喰いがすっかり当たり前のものになっていました。昨年2月、白金の高級鮨店『龍尚』(「りゅうしょう」ではなく「しょうりゅう」と読みます)が新橋に出した『立喰い寿司 あきら』が爆発的人気になったのも、おそらく立喰鮨を迎える気運が消費者の間に出来上がっていたからと思われます。この店は、7月に築地に2号店を出店。暮れには、新橋店がミシュランでビブグルマンマークを獲得し、立喰鮨流行の最大の牽引車になりました。
また、4月には、有名店の2番手3番手の職人が四谷のバーの昼の時間帯を間借りして握る『立ち食い鮨 まさ』がオープン。こちらも、すぐに店を中目黒に移し、暮れには新橋に2号店を出店しました。さらに10月、下目黒の人気店『鮨 りんだ』が荏原に立喰鮨『ブルペン』を出店したところ、朝10時に配る6部制の整理券があっという間に捌けてしまう人気に。立喰鮨人気が、東京のあちこちで沸騰している状況です(中には、1月に『新宿横丁』内に立喰鮨として開業したものの、周りの様子を見て3日目から椅子を置いた『EDOMAE SS』みたいな例もありますが……)。
立喰鮨本来の魅力は、つまみなんか注文せず、好きなネタを3〜4貫握ってもらって、パパッとつまんで、1000円ちょっとで済ませる、そういうファストフード的な気軽さのはず。そのため多くの店は、座って食べる店に比べ、シャリを大きめに握り、酢飯の酢・塩・砂糖もやや多めにして、濃い味にしているもの。が、ここ半年で誕生した立喰鮨店の多くは、ワンランク上のオシャレ感を出そうというのでしょうか、注文はまず10〜12貫で6000〜7000円のコースから、追加でお好みを握ってもらうスタイル。2人でいって酒まで飲むと2万円近く行っちゃう店がほとんどです。
そんな中、昔ながらの立喰鮨のファストフード的魅力を前面に出したのが、荒木町の老舗『鮨處八千代』が昨年9月に四ツ谷駅前に出店した『立喰い寿司&BAR 鮨處八千代』です。この店のお客サンは、サッと食べて30分以内に帰る人がほとんど。『八千代』は1926年創業の老舗で、一時は都心を中心に十数店を展開していましたが、前述したとおり、中国からの観光客が途絶えてしまったため、荒木町の大規模店をスパッと閉め、代わりに近くに規模を縮小した店を出し、その地下にセントラルキッチンを設けて、そこで下処理したネタをここに運んでいるそうで、この仕組みを使って年内に立喰鮨の2号店を出す計画もあると聞きます。
逆に、今どきのシステムをすべて取り入れた新しいスタイルの立喰鮨の代表が、麻布十番の人気鮨店『秦野よしき』が本店のすぐ隣のビルの2階に出店した『立喰 鮨となり』です。何しろこの店、予約はLINE、支払いはキャッシュレス、1組60分以内、注文はすべてタッチパネル。年配の鮨好きは眉をひそめそうな店ですが、このスタイルだと、鮨職人が食材以外に手を触れず握ることだけに集中でき、しかも、日本語がわからない外国人客も注文が簡単。そのうえ、意外といっては失礼ですが、相当旨いので、これはこれで十分ありな店だと思います。
どちらも並ばずに入れる店なので、立喰鮨ブームを体験するなら、この2店にまず行かれることをおすすめします。
『立喰い寿司&BAR 鮨處八千代』は、1926年創業の荒木町の老舗『鮨處八千代』が、四つ谷駅前のハンコ店跡に出店したオーソドックスな立喰鮨店。9貫990円、1380円の皿もありますが、注文は基本お好みで。つけ台には昔ながらの冷蔵ケース。最近は貝類の苦手な客が多いので、コースに貝を入れない鮨店が多い中、貝類が豊富なのはお手柄。お好みでバクバク食べても5000円以下であがります。◆住所:新宿区四谷1-3 望月ビル1F ◆電話:03・6273・1226
『立喰 鮨となり』は、麻布十番の高級鮨店『秦野よしき』が隣のビルの2階に出した立喰鮨店。フロアが通りに向かって張り出しているうえ、床から天井までガラス張りなので、空中で鮨を食べている浮遊感があります。10貫で6600円、9900円の2コースがあり、このどちらかを食べたうえでお好みを追加注文するシステム。◆住所:港区麻布十番2-8-7 M2K Holding BLD. 2F◆予約はLINEのみ。食べログのページからインスタに飛ぶとLINEの予約リンクが貼られています。
【秘訣】狭小物件に出店するなら、立喰い+テイクアウト
取材・文/ホイチョイ・プロダクションズ