【私たちの選択肢】緊縛師 青山夏樹(後編)
SMを通して感情を取り戻す人々
【前編を読む】【私たちの選択肢】性は究極の愛情表現…私が緊縛師になるまでの道のり
「Mの人と対峙して縄で縛り鞭をふるうなかで、どうしてこの人はこんなにつらい体験をしないと楽になれないのだろうと思うと、悲しくて切なくなります」
緊縛師・青山夏樹さんはSMクラブで働くなかで(それまでの道のりは前編で)、幼少期に虐待体験のあるお客さんが多いことに気がつきました。そして、その精神の動きに興味をもちPTSDの勉強をはじめます。
「嫌な体験、こわい体験が体に染みついてしまって、時間の認識が消えてしまうように思いました。今は今でしかないのに、今と過去のトラウマが結びついてフラッシュバックをしてしまう。
その究極にこわかった体験をもう一度再体験をすることで安心をする。それはトラウマの反応として解明されているんですが、相手がその仕組みをわかった上で再体験をさせないと、トラウマ体験だけがただ積み重なってしまいます。そうすると自分らしい場所からどんどん対岸に流されてしまうんです」
青山さんのブログに「痛みの向こうでしか会えない姿」という投稿があります。虐待体験で自分の感情を押し込めすぎて、痛いときに痛いと言えない、表情にも出せなかった人がSMを通して表情が崩せるようになったり、痛みを声に出して涙を流せるようになる。プレイを通して自分自身の感情を通して取り戻すことを、感情の育て直しのようだと表現しています。
「表情が出せるようになってきても、それでもまだこの子にはSMが必要なのか……って思うと悲しくなります。なぜこんなに強い痛みが必要なほどこの子は生きづらいんだろうと思うと、それまで押さえつけてきた悲しさや寂しさが流れ込んできて、わたし自身が泣いてしまったりします。プレイの時間が終わればそれぞれの人生ですが、プレイ中は究極にふたりだけの世界。極限になってはじめて自分でも気付いていなかった自分の感情に蓋を開けられる。その瞬間シンクロするような、ヒリヒリした痛みを感じます」
死の疑似体験をして、生きることに向き合う
なぜ生きるか死ぬかの瀬戸際にいる人がSMにたどり着くのか。青山さんは仕事をするなかで、これは生きるための手段なのだと感じたそうです。
「疑似体験としてSMで死を体験して、そこでやっと生きることができる。そんな姿をたくさん見たんです。SMをやることで死ななくなっていく。死への歯止めにもなれるのだと思いました。そして、弱くて嫌いな自分自身を乗り越えて強くなり、自分の力で歩き出す人も多くいました。もしかして、SMへの思いは母性に似ているのかもしれません」
SM業界で働くなかで、いちばん重要なことは「人への想い」だといいます。それを青山さん自身に教えてくれたのは、いつも受け手側のいわゆるMの人たちでした。
「いつ死んでもいいやって自暴自棄でめちゃくちゃに生きてきたわたしが、SMに出会い自分を取り戻しながら生きてきました。きっと、わたし自身もM側の気持ちになってSをやっているんだと思います。Sのわたしを求めてきてくれる人と同じ目線だと思うと不思議ですよね」
青山さんは業界に対して危惧していることがあります。それは心の拠り所、最後の砦かもしれないSMがライト化していることです。実際SNSでは「○○されたいやつ募集」などの投稿をよく目にします。
「S側をやるには、ここ以上はいかせないというラインがわかっていないとだめなんです。そうじゃないと人への優しさを見失ってしまう。人からつらくあたられた人がただの腹いせで加虐をしてしまうと、それは殺伐とした恐怖でしかありません。軽い気持ちで人が人を傷つけてはいけない。それをしたらSMが美しい世界ではなくなってしまうんです」
心の寂しさを加虐心と偽り、相手に支配的になる。そして自分の都合のいいように動かそうとする。そんな都合の良さにSMの名が利用されてしまう。疑似体験のはずだった死がいつかほんとうの死に結びついてしまうかもしれません。
「心が原因でSMを求めている人を、心を置き去りにしてただ性で満たすというのがいちばんよくないと思うんです。心が弱い人がさらに心が弱っている人を募集したら、ゾンビ映画のようにお互い食い尽くしてしまう。傷つくまえに救われてほしい。大切なのはSMの後に続く人生なんです」
心の痛みをマヒさせるのではなく、人の痛みに向かい合ってきた青山さんはいま、やっと自分自身の痛みや身体についても向きあうようになったといいます。それは歯医者さんで治療中に起きたできごとでした。
医師には、「痛みや違和感があれば教えてください」と言われていましたが、耐えられる痛みは痛みにはいらないと思って見過ごしていたそうです。それに気づいた医師は、「痛みに慣れていってしまうと脳がマヒして鈍感になりますが、体は痛みを記憶していて我慢すればするほど苦痛を感じやすくなるんです。痛いと思ったら教えてください」と声かけました。
それはちょうど心の動きにも似ていました。「痛いときに痛いと言っていい、弱い自分をさらけ出してもいい、そのままのあなたでいるために一緒に強くなっていこう」。青山さんが受け手を縛るときには心の中でそう語りかけているそうです。それぞれが大丈夫になるまでの補助輪のような存在でいたい、それが緊縛師である青山さんの願いでした。
「心の痛みをマヒさせるためにSMを求めてくれる人にサポートをすることはできるけれど、根本的に変えることはできません。鬱を根本から治療することはできないし、処方薬を減らしてあげることもできない。それならばわたしが精神的にも肉体的にも健康になって、もう一度他人への優しさを考えたいと思ったんです」
さらに、SMでのプレイ体験はトレーニングにも応用がききました。励ましてゲキを飛ばしたり一緒に喜んだりするパーソナルトレーナーの仕事は、SMの調教にも似ていたからです。
「調教なんて言うと聞こえが悪いですが、ひとりでトレーニングをしていると「ひとりSM」をしている気分になったんです。これまではSM業界のなかだけにいて、そこで誰かの助けになりたい、苦しんでいる人がひとりで歩けるようになるまでのお手伝いをしたいと思っていました。
だけどSMがライト化され、ビジネスで搾取されていく様子を見て、ここにいるだけでは難しいなと感じました。ほんとうは、SMクラブにも来られずに部屋のすみにいる人にこそ優しさと健康が必要のはず。パーソナルトレーナーという仕事はしっくりきました」
SMはライフワークとして継続をしつつも、現在はパーソナルトレーナーとしても本格始動。「人が死ぬことに向かわないように」という動機を忘れずに今後も人の居場所を作っていきたいという青山さん。
生きることが楽勝な人はきっといません。
赤信号にひっかかったことがない人はいないし、雨に降られたことのない人もいない。人を裏切ったり裏切られたりしたことのない人も、きっと存在しません。わざわざ死を疑似体験しなくてもいい世界であれば最高だけれど、人生は歪です。愛と憎、痛みと安心、生と死が同時に存在するくらいなのだから。
そう思うと、わたし自身がなぜあの日、ショーを見て「カウンセリングのようだ」と感じたのか謎がとけた気がします。わたしを含めて、人々が望まない死を選ばなくてもいいように、疑似体験という選択肢はひそやかにそこにあるのです。
緊縛師・AV監督・実践的セクソロジスト
緊縛事故防止NPO法人BSSA代表NSPA認定パーソナルトレ
「現代緊縛入門」「緊縛事故防止ガイドブック」執筆
公式ブログ
https://aoyamanatsuki.
文・成宮アイコ
朗読詩人・ライター。機能不全家庭で育ち、不登校・リストカット・社会不安障害を経験、ADHD当事者。「生きづらさ」「社会問題」「アイドル」をメインテーマにインタビューやコラムを執筆。トークイベントへの出演、アイドルへの作詞提供、ポエトリーリーディングのライブも行なっている。EP「伝説にならないで」発売。表題曲のMV公開中。著書『伝説にならないで』(皓星社)『あなたとわたしのドキュメンタリー』(書肆侃侃房)。好きな詩人はつんくさん、好きな文学は風俗サイト写メ日記。
編集/inox.
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