世界で3番目に古い球場とされる、阪神甲子園球場。歴史と伝統に彩られた〝野球の聖地〟にナイター照明が設置されたのは、今から65年以上前となる1956年(昭和31年)4月25日のことでした。
プロ野球でナイター設備が使われたのは同年5月12日の阪神-巨人戦からのこと。全国高等学校野球選手権大会では、同年の第38回大会から利用されています。
その阪神甲子園球場のナイター照明が今、LEDライトにより生まれ変わろうとしています。ゲームへの没入感を高め、さらにエンタテインメント気分を盛り上げてくれる〝令和のカクテル光線〟の謎に迫ってみたいと思います。
「カクテル光線」って何? なぜ生まれたの?
1956年当時のナイター照明は、オレンジがかった白熱電球が中心でした。
白熱灯だけのナイター照明は明るさがやや不足しており、青白い光を発する水銀灯を加え、複数の照明を組み合わせることで、より明るく安定した照明を作り出すことに、阪神甲子園球場は初めて成功したのです。
この異なる色味の光を混ぜて作る照明手法は、後にアルコール飲料のカクテルになぞらえ、「カクテル光線」と呼ばれるようになりました。
このカクテル光線は、阪神甲子園球場を起源として各地の野球場やスポーツ施設に普及していくことになったのです。
阪神甲子園球場のナイター設備について説明する、阪神電気鉄道株式会社 スポーツ・エンタテインメント事業本部 甲子園事業部 課長 赤楚 勝司さん
そして、1974年(昭和49年)には、演色性を重視したメタルハライド灯と高圧ナトリウム灯の混光源に変更し、好評を博すこととなりました。
21世紀に入り、阪神甲子園球場は〝歴史と伝統の継承〟をうたい、大規模なリニューアル工事を行います。
2007年から2009年の3年あまりの時をかけて、内野席の大幅な改修を実施。〝銀傘〟と呼ばれる球場の屋根は架け替えられ、6基ある照明灯も建て替えられました。
しかし、平成の当時、まだLEDの技術水準が及ばず、LEDライト化は残念ながら見送られました。
そして、2022年3月。令和の改修でついに、阪神甲子園球場のナイター照明はLED化を果たすこととなったのです。
LEDライトで阪神甲子園球場はオンリーワンのエンタテインメント空間へ進化
2024年8月に誕生100周年を迎える阪神甲子園球場。次の100年にわたり〝野球の聖地〟として多くの人に愛される球場にするため、LEDライト化の改修が実施されました。
従来のHID照明からLEDライトへ切り替えることで、ナイター照明の使用に伴うC02排出量を約60%抑制。球場内照明もLEDへの切り替えを進めています。
メインとなるナイター照明は、阪神甲子園球場が持つ古き良きノスタルジックを未来へとつないでいくために、〝カクテル光線〟の色味が必須とされました。
この伝統的な情景を守るために、国内球場初となるLEDでのカクテル光線の再現が目標とされました。そのために2年にもわたる長期間の開発が必要となったのです。
阪神甲子園球場の快適な光の空間を提案する「照明設計」に携わった、パナソニック株式会社 エレクトリックワークス社 ライティング事業部 エンジニアリングセンター 専門市場エンジニアリング部 西部屋外照明課 主務 岩崎 浩暁さん
明るくてもまぶしさを抑え、独特のカクテル光線を生み出したパナソニックの照明技術
阪神甲子園球場のカクテル光線をLEDで実現するために、パナソニックは橙色と白色2色のLEDライトを阪神甲子園球場仕様で開発しました。
こちらが実際に球場の照明塔や銀傘部分に設置されたLEDライトです。
橙色は2050K(ケルビン)という温かい色味を、白色は5700Kというさわやかな色味を放ちます。
令和の時代は4K8K放送へ対応することも必須。しかし、橙色と白色を混ぜて4K8K放送に対応する照明は前例がなく、新たな照明技術の開発が必須でした。
LEDライトを点灯したものがこちら↑です。どちらも阪神甲子園球場のために専用開発されたモデルです。このLEDライトが756台、照明塔や銀傘へ設置されました。
4K8K放送に対応しつつ、球場が求めるカクテル光線の色味を再現することは、開発の大きな壁となりましたが、パナソニックは独自の色味調整技術により、この課題を乗り越えました。そしてこの756台のLEDライトが、〝令和のカクテル光線〟を生み出したのです。
照明塔や銀傘は従来のままとされました。これも、阪神甲子園球場の歴史と伝統を継承するためでもあります。しかし、LEDライトの設置にあたり、照射角度を緻密に計算。球場外に漏れる光を極力抑える必要がありました。また、プレーをする選手へのまぶしさへの配慮も求められました。
そのため、パナソニックはバーチャルリアリティ技術を活用した3次元ソフトによる視環境評価を実施。
アスリート・ファーストの空間を実現したのです。
阪神タイガースの熱心なファンと独自の応援スタイルをサポートする照明へ
〝令和のカクテル光線〟を実現したLEDライトは、エンタテインメント性の向上にも、大きな役割を果たすことになりました。
従来のスタジアム向け照明は、点灯や消灯に時間がかかりました。しかし、LEDライトなら瞬時の点灯・消灯が可能です。そのため、イベント中の暗転など、様々な照明演出が可能になるのです。
その演出には、舞台演出にも用いられる「DMX制御」が活用され、阪神甲子園球場のLEDライト756台を一台一台個別に点灯・消灯・調光が可能になりました。
そんな阪神甲子園球場の鉄塔照明を生かして、ドット絵のように、照明で図柄や文字が表現できるようになりました。
例えば、「GO」の文字をチャンス時に表現したり……
阪神タイガースの「THマーク」を表現したり……
虎が走っているような図柄や、タイガースの文字を表現することも可能になりました。
そして、阪神タイガースの応援で欠かせないのが、六甲おろしです。折角なので、動画でその演出効果をプチ体験してみてください。
カクテル光線の技術は野球場以外にも広がるか!?
〝令和のカクテル光線〟を実現した阪神甲子園球場の生まれ変わった姿をご覧いただきました。LEDライトはスタジアム照明に従来以上の明るさを加え、省エネにも効果があり、そしてエンタテインメント性も高めてくれるのがおわかりいただけたかと思います。
スタジアムのLEDライト化は各地に広がっています。また、スキー場のナイター照明はホワイトアウト(雪煙で真っ白になり空間認識を妨げる)を軽減するため橙色が求められる場合があるとされ、そういった屋外設備でも今後、LEDライト化が進むかもしれません。
日本のプロ野球のナイター照明で先駆けとなった、阪神甲子園球場。令和の改修で開発されたLEDライトの技術が全国に広まっていくのは、阪神甲子園球場が歴史と伝統を継承しつつ、常に未来を見越して活動していることの証明なのかもしれません。
取材・文/中馬幹弘