本来であれば今ごろ本を一冊読み終えていただろうか。急な用件には何の不服もなかったが、休日が返上になったことに心残りがないわけではなさそうだ――。
休日返上で急用を終えて本郷通りを歩く
昨夜あった連絡で土曜日の本日、急遽午後から仕事を一件こなすことになった。急な用件とはいっても状況次第ではじゅうぶんに考えられたことで、むしろ仕事を進める上ではできる限り早めに終わらせたほうが都合がよかった。仕事内容は簡単な取材で何の問題もなく今終えてきたところだ。
仕事が進めることができてむしろ願ったり叶ったりではあるのだが、昨晩に電話がある前までは今日は本でも読みながらゆっくり過ごそうとなんとなく考えていた。一日で読み切ってしまいたい本があってこれまでなかなか手が着けられないでいたのだが、「忙中閑あり」となりそうな今日一日でそれが果たせそうだという目算もあった。しかしもう夕方を迎えている今となっては残念ながらその目論見は果たせそうもない。
ともあれ件の用件を終え、本郷通りを歩いていた。午後5時になろうとしている。平日の日中に来たことがないのでわからないが、おそらく人通りは普段より少ないのではないだろうか。土曜日ということもあるし、もちろん目下の感染症下ということもある。
昼過ぎに来た時には春の暖かさが感じられたが、日没が近づくにつれてやはり冷え込んでくる。一度はバッグにしまったマフラーを取り出して首に巻いた。そういえば今日は朝に部屋で具沢山の味噌汁を作って飲んだだけである。どこかで何か食べて帰ってもよいのだろう。
長くフリーランスを続けている身にとって、土日や祝日に働くのはごく普通のことではあるのだが、それでも基本的には仕事関係の連絡はしないこともあり、平日とは同じ気分ではないことのほうが多い。仕事に忙殺されていない限り、土日祝日は仕事をしていたとしても気持ちには少し余裕があるともいえる。世の中の休日を自分では気にしていなくとも、やはり心のどこかでは意識しているのだろう。
通りの右手に東京大学の「赤門」が見えてくる。見物客なのか、若い男女のグループが門をバックにスマホで写真を撮っているのが見える。
観光気分で呑気に街歩きをしていてもはじまらない。そろそろどこかに入って食事にありつこう。
“赤門”にちなんだ名前のそば屋が見えるが今はやっていないようだ。そば屋を越えて左に伸びる路地をすぐ入ったところに食堂があるが、そこも今は営業していないのは明らかだった。学生街ということもあるし、土日は休んでいるお店が少なくないのかもしれない。あるいはこのご時世でランチタイムの時間だけしか営業していなかったとしてもおかしくない。
その先にある餃子の店は開いているようだが、今は餃子を食べたい気分ではなかった。もう少し辺りを歩いてみたい。赤門の前の信号を渡って反対側の歩道を進んでみる。
休日に仕事をするとモチベーションが下がる
年中無休という飲食店は少なくないが、個人店であればほとんどの店には定休日があるだろう。スタッフに恵まれていれば店を開けておいて交代で休むこともできるかもしれないが、小規模の店であればなかなかそうもいかないのではないだろうか。
狙っているのか単なる偶然なのかわからないが、またしても餃子を売りにした店名の中華料理店が見えてきた。この店も営業している。
決して気のせいではないと思うが、中華料理店は土日でも営業している店が多い。おそらく経営者が中国の方であればその確率はもっと上がりそうだ。とはいえ店は開けていても中で働いている人はもちろん交代で休んでいるのだろう。
飲食店を取材したドキュメンタリーなどを見ると、個人店であっても店主がほとんど休みなく働いて年中無休で開けている店もあったりするが、やはり多くの場合は店主の経営理念や性格特性に依拠したレアケースであるように思える。普通は週に一日くらいは休まないと社会生活に支障をきたしそうであるし、休みなく働いていれば、たいていは心身の健康にネガティブな影響を及ぼすだろう。
最新の研究でも世の中が休みの日に働くことで多少なりともモチベーションが下がっていることが報告されている。休日に働くと、働くことの楽しさが低下するというのである。
人々はますます非標準的な労働時間(すなわち週末と休日)に働くようになっています。
非標準(対標準)の労働時間中に働くことは、本質的なモチベーションを損ないます。
これは(働いていなければ)どのように時間を費やすことができたのかについての上向きの反事実的思考によって推進されています。
上向きの反事実にアクセスする可能性を減らせば本質的なモチベーションが回復します。
※「ScienceDirect」より引用
英・ロンドン大学(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)と米・コーネル大学の合同研究チームが2022年2月に「Organizational Behavior and Human Decision Processes」で発表した研究では、世間の休日に働くことの影響を調査を通じて探っていて興味深い。
フレキシブルな働き方の促進により、今日の労働環境ではいつ働くかについて柔軟な選択ができるようになってきているのはご存知の通りだ。しかしその一方で就業時間が設定されていたほうが働きやすく、オンとオフのけじめがついてストレスが少ないという見解もある。
そこで研究チームは従来とは異なる時間帯に働くことは、仕事あるいは学業の満足度とモチベーションにどのような影響を及ぼすのかについての調査を行った。
ある調査ではキャンパスの図書館で自習しているコーネル大学の学生に対して調査を行い、アメリカ国民の2月の祝日(プレジデントデー)に勉強をしていた学生は、そうしなかった学生よりも学業が平均で15%楽しくなかったと報告していることが浮き彫りになった。
またフルタイムワーカーを対象にした調査では、休日の月曜日に働くことは通常の月曜日に働くことよりも平均9%楽しさが低下していることも判明したのだ。
なぜ世の休日に働いたり勉強をすることがあまり楽しくないのか? 研究チームによればその鍵を握るのは「反事実的思考(counterfactual thought)」であるという。
「反事実的思考」とは、現在の状況とは異なる展開がじゅうぶんあり得たと思える考え方の傾向である。つまり事実として休日に働いている自分がいるのだが、もし別の選択をしていれば今、友人などと楽しく遊んでいる自分の姿が実感を伴って想像できるケースなどである。その想像ができてしまうと、今の仕事へのモチベーションが低下するのだ。
そして世の中の公の休日に休む意味は、身近な人々とより多くの時間を一緒に過ごせるという潜在的な機会を持つことにある。休日に働くということはこの機会を放棄していることになり、広い意味での生活の満足度(well-being)が低下しても何ら不思議なことではない。
今の自分も、もしも昨晩の電話がなければどこかでゆっくりランチを食べつつ、カフェのハシゴをしながら読書に浸っていたはずであり、またそうしている自分をありありと想像することもできる。自分としては仕事をした今日一日に何の不満も禍根もないと思っているが、実際はほんのわずかであるにせよ平日に同じ仕事をしたよりもモチベーションは下がっていたのかもしれない。
明治時代から続く老舗の食堂で刺身定食を味わう
歩いていると郵便局が見えてきた。郵便局の手前の横断歩道を左に延びる路地に「食堂」の看板が見える。気になったので再び信号を渡って向かってみることにする。
お店はマンションの2階にあるが、1階の路面から上る外階段が通じているので入り難いという感じはない。入ってみることにしよう。近くで看板を見ると店名の右に「東大生と共に明治から」というフレーズが記されている。明治時代から続くお店であるというのは感慨深い。
階段を上がってお店のドアを開けて入店する。テーブル席がメインの店内は半分くらい埋まっている。たぶんこのご時世ということなのか、先に注文を決めて前金で清算して欲しい旨をお店の人から告げられた。
何を頼むか決めていなかったので、壁のメニュー表を見て少し考えざるを得なかったが、刺身が食べたい気分であったことは間違いなかった。それほど時間はかからずに刺身定食を注文して代金を支払い、カウンター席に着く。
水はセルフサービスで、熱いお茶が入ったポットと茶碗が各席に置いてある。コートを脱いでからさっそく店内の給水器へ水を取りに行き、席に戻ってからはお茶も自分で注いでスタンバイOKとなる。
刺身定食がやってきた。どんなものが来るのかまったく想定していなかったのだが、刺身の品数も多く煮物の小鉢などもあってなかなかお得である。盛り付けからして明らかに“主役”であるマグロの中トロをさっそくいただく。脂が乗っていて美味しい。
ここで食べ終えて店を出てもまた夕方6時くらいだろう。どこかのカフェに入って読書をはじめてみてもよいのだが、今日が休みであったなら読もうと思っていた“積ん読”になっている中編小説はぜひとも一日で読み切ってしまいたいものだった。2日以上に分けて仕事で疲れた頭で読んでもあまり没入できないだろうし、そのぶん読み応えが薄れそうな気がするのだ。
したがってこの店を出た後にどうするのかちょっと微妙なことになる。これから読みはじめて徹夜を覚悟すれば読み終えるかもしれないが、そうなると明日の仕事に響くことは否めない。
だったらこの後に少し腹ごなししてから「ちょっと一杯」にしてしまってもよいのだろうか。しかし今は“時短”の世の中である。飲むと決めたならさっさと飲める店に行かなければすぐにラストオーダーになってしまう。まったく慌ただしいご時世だ。
多少は仕事をしたにせよ、基本的にはゆっくりできるはずの週末に自分で自分を煽り立ててもナンセンスだ。ひとまずはこのお店でゆっくりと刺身定食を味わい、最後まで食べ終えてから考えることにしよう。この後無理に何かをしなくてもいいのだ。フレキシブルに動ける時代であるからこそ、過度に自分を追い込む愚は避けるべきなのだろう。
文/仲田しんじ