世界には色んな食文化がある。時にはペットを食べる場合も…
眼の中に入れても痛くないと思うほど、自分のペットを大事にしているという方は多いはず。ペットの代名詞と言えば犬や猫だが、たとえの話として「食べちゃいたいぐらい好き」なんて公言して憚らない飼い主さんもいる。僕もそんな中の一人だ。
ところが世の中にはストレートにこの表現が当てはまる場合もあるもので、犬や猫は場合によっては食文化の中に組み込まれている場合もある。
今日は、犬猫を対象にした食文化について、知っている限りの話をしていきたい。本題の前に言っておくと、これらの文化は私たちにとっては受け入れがたいものだけど、それなりに歴史があり、文化として成り立った背景がある。尊重すべきとまでは言わないが、頭ごなしに批判をしても仕方がない部分もあることは、最初に皆さんにもご理解いただければと思う。
私たち日本人だって、世界的に見ればイルカやクジラを食文化に取り入れる、極めて奇特な民族ではあるのだから。
犬も猫も、地域によっては食用として重宝してきた
ペットと暮らしている人にとっては目を覆うような事例ではあるが、犬猫を食べる文化というのは比較的多くの国に昔から浸透している。中国や朝鮮半島では犬食文化が存在していたことはよく知られていた。今でもその文化は細々と続いており、これが近年では世界中の動物愛護団体から度々の批判の対象にもなっている。
また、猫の場合もやはり猫食文化と呼ばれる食文化が形成されており、いくつかの国では貴重な栄養源として重宝されてきた。こちらもやはり大陸ではいくつかの調理法が確立された過去がある。
実際にインターネットで「犬食文化」や「猫食文化」といったワードで画像を検索すると、実に多くの画像が表示されるが、これを見るのは心臓の弱い方にはおすすめできない。最悪なことに、筆者は小学生の頃、よりによって学校の図書室で犬の解体の模様や、いくつかの調理された後の写真を見てしまったことがある。アレがもう怖くて怖くて。
犬猫を当たり前にペットとして認識する人の多いこの日本では、彼らを食べるという文化はなかなか受け入れることができるものではない……。
日本でも犬猫を食べることがあったのか
もっとも、犬や猫を食べる風潮が乏しいこの日本にあっても、遡れば食料としてやむなく食べていたという痕跡は色々と残っている。日本では弥生時代頃には犬を食べる風潮があったのではないかという研究もあり、第二次世界大戦中から戦後のどさくさの時代に、食べるものもないので犬や猫を食べたという話も残されている。
特に戦時中は全国各地の犬や猫が、飼い主がいるにも関わらずに屠殺されている。いわゆる供出のためだ。戦争中、物資の提供を国民にも要請し、金物やら布やらを戦地の軍人の活躍のために役立てた制度を供出と呼ぶ。鉄は溶かして武器にしたり、布は衣服に転用するなどの工夫を民間にも強いていた。
その中で、毛皮と肉を得るために、一般家庭で飼われている犬や猫を、供出という名目で徴収していた事実がある。「お国のために」という大義名分がある以上は拒否すれば非国民扱いにもなるので、多くの飼い主は泣く泣くペットを供出品として差し出す他なかったという。
この悲惨なエピソードは、2020年5月に西日本新聞meが公開した「戦時下、ペットにも及んだ供出…将兵の防寒着に使われた犬の毛皮」という記事に明るい。一部を引用させていただくと、実際の供出運動の異常さが理解できるはず。
“犬猫献納運動は44年に本格化し、種別を問わず多くの犬猫が供出されることになった。40年に戦争推進のために組織された大政翼賛会の傘下で、町内会の隣組が末端の生活までを統制し相互監視が行われ、愛玩動物を飼うことは容易ではなかった。野犬はもとより、ペットの犬猫も戦争のために捕らえられた。目的は毛皮を取ることであった。食肉にも供された”
とあり、当時、ペットを庇うことが国民の間での市井の相互監視により相当難しかったことが窺える。供出対象となったペットは大抵、各自治体の役場などで殺処分されたとされる。筆者の生まれ故郷でもやはり供出はあったと、老人たちが話しているのを聞いたことがあるが、「殺されるときに聞いたことがない声で鳴くので、恐ろしくて耳を塞いだ」という趣旨の話をしていた。
また、あくまでも筆者の地元に限った話かもしれないが、曾祖母が生前「芋のツルしか食うものがなかったので、蛇だろうが野良犬だろうがみんなで食べた」と言い聞かせてきたこともある。いわゆる犬食文化とはまた違う形で、日本でもほんの76年前まで、やむなく生きるために犬猫の肉に頼っていたというわけだ。
おわりに
今日では犬や猫を食材とする風潮には、世界中の動物愛護団体が反対を主張している。それだけ犬や猫が人間にとっては大切なパートナーとしての地位を確立した、ということだろう。
日本においても犬や猫を食べる文化は大陸から伝来し、一時期は浸透していたものの、のちに仏教が伝来すると肉食を禁忌と見做すようになったために急速に廃れるようにもなっている。さすがに飢饉の場合には仕方なく犬や猫を食べる場合もあったかもしれないが、ともかく今のこの国においては、犬や猫を食べる文化に需要はなくなっている。
犬猫は食べるものではなく、愛でるものになったというわけだ。やっぱりそれがいい。
文/松本ミゾレ
【参考】
西日本新聞me
戦時下、ペットにも及んだ供出…将兵の防寒着に使われた犬の毛皮
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/609848/