日本に伝わる不気味でロマンあふれる風習、犬神信仰…
先日、新しい妖怪図鑑を購入した。既に手元にたくさんの図鑑はあるんだけど、今度のはもっと分厚くて、重くて、読み応えがあったのだ。鬼のように高かったけど、食費を切り詰めて買ってしまったのだ。
その素晴らしい図鑑に、動物にまつわる妖怪として犬神も当然のように収録されていた。
犬神。僕なんかはもう名前だけでロマンを感じてしまう妖怪だ。2000年代前半の食玩バブル全盛期。当時高校生だった僕はコンビニでよく売られていた妖怪根付(ストラップのことね)にぞっこんだった。これに犬神もラインナップされており、出来が超かっこよくて一発で虜になってしまった。しかし買っても買っても犬神を引き当てることができず、天狗やぬらりひょんばかりダブる日々。終いには大人買いするためにミスドでアルバイトをすることにしたんだけど、最初のお給料が出る頃には、もう店頭で妖怪根付なんてとっくに見かけなくなっていた。
というわけで、強引だが今日は犬神の話をしたい。ずっと前に犬神についてのコラムは書いたことがあったんだけど、ちょっと今回は、犬神というものの面倒くささみたいなものを語っていこう!
そりゃ廃れるよ!犬神は超めんどくさい奴!
犬神。現存する多くの絵巻には、公家のような立派な衣服をまとった犬の頭をした怪物の姿で登場するのがこの妖怪だ。主に西日本で信仰されてきた憑き物の一種で、とりわけ四国が犬神信仰のメッカだったといわれている。地域によっては「いんがみ」「いんがめ」などと訛った呼び名をあたえられていることも多い。
犬神というのは、犬を触媒にした生贄の儀式から誕生する。今日においては犬はとても人々から愛される存在なので、この儀式の残酷な手順については割愛する(書きたくないし…)。気になる方はご自身で調べてほしいが、調べないほうがいいと思う。ひどい話なので。
とにかく、恐ろしい手順を経て生まれるのが犬神であり、この犬神を手にした家柄を「犬神持ち」と呼ぶ。犬神を手にした一族は概ね繁栄するとされており、食うには困らないばかりか、そこそこの幸運も舞い込むことがしばしばあったのだという。
しかし本質的に犬神というのは祟りの一種なので、犬神持ちは近所からも避けられていたし、時には犬神自体が暴走して持ち主を襲うこともあった。しっかりと制御できていれば安泰だが、そうでなければたちまち不幸というか、生贄の祟りが降り掛かったわけである。そんなじゃじゃ馬な妖怪(なのかどうかも実際は不明)犬神。近代化が進むにつれて次第にこれを取り扱う家々が減っていったのも、これは当然というものだ。
犬神ってそもそもどうやって誕生したの?
犬の頭をした妖怪として描かれがちな犬神。ただその本当の姿はネズミやモグラに似ているということは、オカルトファンにはよく知られている。もっとも、犬神という妖怪のそもそもの発祥とされるエピソードを見る分には、ネズミやモグラの影も形もなく、やはり犬が起源である。
実は犬神は、かの弘法大師さまが描いた犬の絵が化身したのが最初の1頭だとする説がある。この説を仮に本当のことだとすると、オリジナルの犬神は後世で人工的に作られた犬神とは、どうも別格なようにも感じられる。
弘法大師は獣除けの御札として犬を描いたというが、その御札に宿った力の化身であるオリジナル犬神は、まさに純度100%の仏様の化身みたいなもの。生贄の儀式で作られるその後の犬神とは、同じ呼び名を使うのが失礼では? と思うぐらい別物と言えるだろう。
もっとも、犬神の起源・弘法大師説は数ある発祥説の一つでしかないんだけど……。
おわりに
まあ、欲望にかられて、残酷な儀式を経てでも犬神を作ろうなんて人間には、遠からずバチが当たったものだと思われる。そもそも制御が難しいのが犬神だし、手にした犬神に痛い目に遭わされた犬神持ちの記録なんてのもあるわけだし。
世の中、どうにも不景気だ。昔も今も、生活が苦しかったり、憎たらしい人間に復讐したくてたまらない人ってのはいるもの。でも、犬神みたいに恐ろしい工程を経て作り出す化け物ってのは、一時的には幸福をあたえてくれても、いずれとんでもない見返りを求めるようになるんだろう。
この世に上手い話はなし!妖怪なんかに頼らず、地道にコツコツ努力するのが一番だ。たとえ報われなくても。
文/松本ミゾレ