山では名前を呼ばれても返事してはいけない…それなのに返事をしてしまった猫
皆さんは、こんな伝承をご存知ですか……?
“山の中を歩いているとき、後ろから誰かに名前を呼ばれても返事をしてはいけない”という話を。
今は科学万能の時代です。
「オカルトなんて」と笑い飛ばせる時代になって久しいものですが、それはあくまでも人間が暮らしているコミュニティの中に限られるもののようで。
実際には今でも、あまり人が立ち入らないような山々では、奇妙な話もまとこしやかにささやかれ続けているのです。
山で名前を呼ばれても返事をしてはいけないという話、日本中に広まっている古くからの言い伝えなんですね。
どうも山の中には人間にとっては恐ろしいものが徘徊しているそうで、そういったものに名前を呼ばれて返事をしてしまうと、どこかに連れて行かれるだとか、生きて下山できないというのです。
だからこそ昔は「山に分け入る仕事をしている人々は屋号で呼び合い、自分の本名を山の何かに聞かれまいとした」なんてことも言われてますよね。
でも、もしもこの“山の何か”の呼びかけに応えてしまったら、どうなるのでしょうか。
今回はある猫に起きた事例を挙げて紹介したいと思います……。
返事をしてはいけないのに…つい呼びかけに応じた猫が忽然と
僕の実家は九州の山の中でした。
ちょうど昭和の終わり頃に物心がついたのですが、当時はまだ林業をする人も、猟をする人も結構いて、屋号持ちばかりでした。今となってはおぼろげですが、我が家にも立派な体格の猟犬が沢山いたような記憶があります。
さて、屋号持ち同士が共同で山に分け入って仕事をする場合、当然山の中では本名で呼び合うことはしません。
筆者の父方の祖父は猟師をしていましたが、屋号は「カメッツラ」でした。顔が亀に似ていたことがその由来です(笑)。
その祖父の猟師仲間に、「サト坊」という屋号持ちのおじさんがいたのですが、彼はハチワレの可愛い猫をペットにしていました。なかなか賢い猫だったようで、名前を呼ばれれば(その名前は失念したのですが…)、すぐに返事をしたと言います。
が、あるときそのサト坊のハチワレ猫が、忽然と姿を消してしまいます。
経緯はこうです。
サト坊の猟には、いつも山の麓付近までハチワレ猫も付いてきて、そこで見送りをしてするのが日課でした。その日も、サト坊が猫に「行って来るぞ」と挨拶をして山に入ろうとしたのですが、そのときおかしなことが起きました。
サト坊の耳に、彼そっくりの声で、飼い猫の名前を呼ぶ声が飛び込んできたのです。
そして間の悪いことに、頭の良かった彼の飼い猫は、その呼びかけに「にゃん」と返事の一鳴きをしたとたん、目の前から一瞬で掻き消えてしまいました。
目の前で消えた飼い猫、何故か山の中の社の中で高イビキ…
大事な賢い飼い猫が、フッと一瞬で消えてしまったのを目の当たりにしたサト坊は、大慌てで麓に降り、起きたことを説明します。
するとやはり「名前を呼ばれて、返事をしたから持っていかれたんだろう」という結論になったそうです。
しかしサト坊は独り身で、他に家族もなかったため、飼い猫のことがどうしても諦められません。そこで友人数人に頼み込んで、小規模の山狩りをすることにしました。
飼い猫のお気に入りの餌を手に手に、各々が山のいたるところを捜索します。
が、「猫の子一匹いないとはこのことか」と言うほど、そのときの山には生き物の気配が感じられなかったのだとか。
結局散り散りになって猫を探していた面々は山の中腹辺りで落ち合い、お互いの成果のなさに肩を落としました。
ところがここで面白いことに、彼らが奇妙な寝息を耳にします。
「クマか?」と警戒したものの、九州の山にクマは滅多に出なかったことから、他に誰かがいるのではないかという話になり、猟銃もあった手前、勇気を振り絞って寝息の主を探してみます。
時折大きなイビキも聞こえたそうで、とにかく音を辿り辿り進んでいくと、何のことはない。その山にこしらえた小さな社にたどり着きました。
寝息は、その社から漏れています。
サト坊がおそるおそる木で出来た粗末な社を隙間から覗くと、なんとそこには彼の飼い猫。熟睡し、寝息を立てていたのは、飼い猫だったのです。
すぐに社の扉を開けようとしたのですが、何故か開きません。そこで一番腕っぷしの強い友人が強引に扉をこじ開けたのですが、不思議なことに、社には内鍵が。
「こんな社に内鍵つけてたのかね?」
「つけてたとしても、猫を社に入れて、誰が鍵したんだ?」
めいめい首をしきりにかしげつつ、とにかくこうして、ちょうど目を覚ました猫は無事にサト坊に抱き抱えられたのでした。
おわりに
猫を連れ去ったのは誰なのか。
そしてどうやって社に入れて、しかも内鍵まで掛けていたのか。
オチが不明瞭で申し訳ないのですが、実はこれについては、今も全く分からないままです。
ただ、サト坊の元に帰ってきた猫は、それからも今まで通りに賢い猫として生き、そして数年後に賢い猫のまま、老衰で死んでいきました。
山には不思議なこと、怪異が未だにひしめいていると主張する人は結構います。
もしかすると、中には「猫をじっくり観賞したい」と考える何者かが住んでいる山もあるのかもしれませんね。
文/松本ミゾレ