猫が「季語」に? 芭蕉や一茶も詠んだ猫の俳句
かつて俳人の小林一茶は、こんな俳句を詠みました。
恥入てひらたくなるやどろぼ猫
食卓に並べておいた焼き魚でも、くわえていってしまったのでしょうか。“どろぼ猫”が恥じ入って平たくなっている情景が目に浮かぶ名句。今も昔も、こんなふうにひらたくなるのは猫族の特技なのですね。
1763~1824年の生涯で2万を超える句を詠んだ一茶ですが、その中で猫のことを詠んだ句は約340句もあります。私たちが愛してやまない猫たちは、古くから日本の芸術の題材になってきたのです。
一茶はこんな句も詠んでいます。
猫の子がちよいと押へる落ち葉哉
ニャンコと暮らす人なら、まさに猫あるある。ひらりひらりと舞い落ちてくる木の葉は、猫たちにとって無性にちょいと押さえたくなる対象なのです。この肉球の所作、たまりません…。一茶もそんな猫族の愛らしさにやられてしまったのでしょう。ちなみに、写真は我が家の愛猫・睦月。うしろでのぞいているのは愛犬の小雪です。
「猫の恋」「猫の妻」が表す季節とは?
俳句と言えば、松尾芭蕉も忘れてはならないでしょう。その生涯は1644~1694年、小林一茶よりも100年ほど前に活躍した俳人です。「古池や蛙飛びこむ水の音」などが有名な芭蕉ですが、こんな句も残しています。
猫の恋やむとき閨(ねや)の朧月(おぼろづき)
「閨(ねや)」は寝室を表す言葉。「朧月(おぼろづき)」は、春の夜に霧やもやなどで霞んで見える月のことを指しています。そして「猫の恋」というのが、俳句の中で季節を表す季語となっているのです。
猫たちは正確には年に2~3回、春や夏などの暖かい時期に発情期を迎えますが、この「猫の恋」というのはそんな猫の発情期に由来する春の季語。先ほどの一茶の句にある「猫の子」や「子猫(仔猫)」も、同じような由来で春の季語となっています。このほか、「恋猫」や「猫の妻」、「猫の夫」、「うかれ猫」なども同様に春の季語として知られています。
つまりこの芭蕉の句は、春、恋をしたらしい猫が外で高らかに鳴いていたのが、ふとその声がやんでみると、朧月の光が差し込む寝室に何とも言えない静寂が訪れた――そんな情景を詠んだものなのです。さすがは芭蕉、同じ猫を題材にしていても渋い句を詠みますね。
そして明治を代表する俳人のひとり、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」で有名な正岡子規は、こんな猫の句を詠んでいます。
振袖を着せてやりたや猫の妻
この場合の季語は「猫の妻」で春を表すわけですが、振袖を着せてやりたいだなんて、可愛い猫たちについつい被りものをさせたくなる今の私たちの感覚に近いような? 実は子規も一茶も、かなりの猫好きとして知られています。実際に振袖を着せるのも夢じゃない現代。子規にも昨今の猫コスプレの進化具合を見せてあげたいですね。我が家の睦月は一度だけ、ライオンに変身させられたことがあります…えらくご立腹でしたが(笑)。
なぜか灰だらけ? 冬の猫を描いた意外な季語
猫の姿から、冬を表す季語もあります。たとえば「かじけ猫」。寒さで手がかじかむと言うように、寒さに凍える猫を表す季語です。それから「炬燵猫(こたつねこ)」。暖かいこたつで丸くなる猫の姿は、今に始まったことではないんですね。すでに江戸時代の浮世絵にも描かれているほどですが、当時は電気ではなく炭を焚いて温めるタイプだったので、こたつの中ではなくこたつの上で丸くなっていたようです。
「炬燵猫」では、こんな俳句がありました。高浜虚子に師事し、昭和に活躍した俳人、松本たかしの句です。
薄目あけ人嫌ひなり炬燵猫(こたつねこ)
まさに我が家の猫のこと…! こたつを占拠しながらじぃっと薄目で見てくるような猫たちのツンデレっぷりが愛されたのも、昔から変わらないことなんですね。
また、「竈猫(かまどねこ)」「へっつい猫」「灰猫」なんていうのも、冬の季語として知られています。「竈(かまど)」というのは、ごはんを炊いたり、料理をしたりするために火を焚いて使った昔の台所設備のことですね。地方によってこの竈は、「へっつい」とも呼ばれるのだそうです。
そして、「灰」の謎。映画『男はつらいよ』でも「結構毛だらけ猫灰だらけ!」なんて寅さんの口上がありますが、実は昔、猫たちはよく竈などで灰だらけになっていたようなのです。それというのも、寒い冬に暖をとるため。人が調理を終えて火を消した後に、まだぬくもりが残っている竈へ猫たちはよくもぐりこんでいたのだとか。
確かに我が家でも、隙あらばいろんなところで暖をとっています。写真はコーヒーマシンで暖をとる睦月。竈や火鉢だった時代には、灰だらけになったニャンコをきれいにするのはさぞ大変だったでしょうね…。電気が発明されてよかった(笑)。
最後に、昭和に活躍した富安風生の一句をご紹介します。
何もかも知ってをるなり竈猫(かまどねこ)
実はこの俳句こそが、「竈猫」という新しい季語を生み、定着させたと言われています。すべてを承知していながら、しれっと知らんぷりしているツンデレ猫の顔がありありと思い浮かぶ句ですね。これまた、我が家の睦月にも当てはまる猫あるある。俳人たちの純粋な視点は、今改めて猫たちの魅力を教えてくれるようです。
文/中西未紀