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「地獄の沙汰も金次第だよ」と言われたとき、意味が分からなければ反応に困ります。この一文には、どのような意味があるのでしょうか?言葉の意味や由来、例文や言い換え表現を紹介します。正しい意味・使い方を覚えて、ボキャブラリーを増やしましょう。
地獄の沙汰も金次第の意味
『地獄の沙汰も金次第』は、使い方によっては好ましくない意味となります。意味も分からずに使うと「そんな人なんだ…」と距離を置かれる可能性もあるでしょう。
地獄の沙汰も金次第の意味や例文を紹介します。
全てお金で解決できることの意味
『地獄の沙汰も金次第』を分かりやすく言い換えると、『地獄での裁判もお金次第でどうにかなる』という意味です。これはつまり、『不可能だったり無理だと思えたりするようなことでも、お金さえあれば何とかなるものだ』ということを示しています。
字面だけ見ると、お金の威力を全肯定しているかのような言葉ですが、必ずしもそうとは限りません。
皮肉っぽく「地獄の沙汰も金次第って言うしね」などと言えば、『お金が全て』の拝金主義者を非難する言葉となるでしょう。
上方いろはかるたにも採用
『地獄の沙汰も金次第』は、いろはかるたの一つ『上方いろはかるた』に採用されています。
いろはかるたとは、18世紀後半に誕生したと言われるかるたです。あいうえおではなく『いろはにほへと』の47音が使われており、日本各地でさまざまなバリエーションがあります。
発祥は上方(関西地方)といわれ、47音に『京』を足したものが『京かるた』と呼ばれて分けられました。
なお、当時は地獄を『ぢごく』と記しました。そのためいろはかるたでは、『地獄の沙汰も金次第』は『し』ではなく、『ち』に当てられています。
ちなみに江戸かるたの『ち』は、『塵も積もれば山となる』です。
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ビジネスシーンで使える例文
『地獄の沙汰も金次第』は、お金がからむ取引や状況などで使えます。
ビジネスでは、お金の力が物事をスムーズにすることが多々あります。企業がお金でトラブルを回避したと聞いたら、「あの会社はうまいことやりましたね。地獄の沙汰も金次第とはこのことだ」と使うとよいでしょう。
あるいは、条件の変更を渋っていた下請け業者が、料金アップを提示したとたん条件に応じたとします。この場合は上司に、「地獄の沙汰も金次第ですね。報酬額を上げると言ったら、あっさり応じてくれました」などと報告できます。
地獄の沙汰も金次第の由来は?
『地獄の沙汰も金次第』は『お金で何でも解決できる』という意味ですが、そもそも地獄とお金にはどのような関係があるのでしょうか?
言葉の成り立ちや『沙汰』の意味を紹介します。
えんま大王の裁定も金で有利にできることから
『地獄の沙汰も金次第』とは、えんま大王の裁きさえお金で何とかなるという意味です。
仏教が深く信仰されていた昔の日本では、えんま大王は非常に恐ろしい存在として、広く一般に認知されていました。
『恐ろしいえんま大王の裁判さえ、お金を渡せば自分に有利に動いてくれる』という意味からも分かるように、お金の威力がいかにすごいのかを知らしめたいときに効果的な言葉として使われたのでしょう。
えんま大王さえ思い通りにできるのだから、お金にできないことはないというわけです。
沙汰は裁定・判定の意味
地獄の沙汰の『沙汰』とは、裁定・判定という意味です。地獄の沙汰は、『地獄に行くかどうかの裁判』と考えればよいでしょう。
えんま大王の裁きとは、死後の行き先を決める裁判のことです。人間は亡くなった後、まずは三途の川を渡ると言われます。渡った先でえんま大王のチェックを受けて、生前の行いがよければ極楽へ・悪ければ地獄へ行くのです。
えんま大王の裁量次第で死後の世界が決まるため、この裁判は非常に重要なものと考えられていました。
地獄の沙汰も金次第の言い換え表現
『お金があれば何とでもなること』を表現した言葉は他にもあります。『地獄の沙汰も金次第』と同じような意味で使える言葉を見ていきましょう。
阿弥陀の光も金次第
『あみだのひかりもかねしだい』と読みます。
阿弥陀とは阿弥陀如来のことで、『阿弥陀如来の放つ光さえ、金額に応じて光り方が変わる』、すなわち『寄進した金額が多い・少ないで仏のご利益は変わってくる』ことを意味しています。
仏の威光さえも金額の多少で変わるということから、お金には絶大な力があること・お金さえあればどのようなことでも思いのままにできることを示しています。『仏』『地獄』で一見正反対の言葉ですが、意味は『地獄の沙汰も金次第』とほぼ同じです。
金が物を言う
たとえ道理や真理に反していたとしても、お金さえあれば何とかなることを意味する言葉です。
例えば、「金に物を言わせて解決した」と言えば、お金を与えて筋道の通らないことを押し通したという意味に解釈できます。
また、「いざというときは金が物を言うだろう」は、思い通りにならないことがあっても、お金で解決できるだろうという意味です。
全てお金で何とかするという意味から、地獄の沙汰も金次第と同義の言葉として使えるでしょう。
三途の川さえ渡し銭がいる
『さんずのかわさえわたしせんがいる』と読みます。
三途の川とは、亡くなった人があの世へ行く前に渡る川です。渡し賃として『六文銭』が必要といわれ、現在でも亡くなった人には六文銭を模したものを身に付けさせる習わしが残っています。
三途の川を渡るのでさえお金がいるということは、亡くなってもなおお金の威光からは逃れられないということです。
『世の中、何をするにも・どのようなときにもお金が必要』という意味を表すことから、『地獄の沙汰も金次第』と同じような意味で使われます。
構成/編集部