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ブラジルでクラブ経営にまい進する元サッカーW杯代表、三都主アレサンドロの現在地

2022.01.16

2002・2006年W杯代表・三都主アレサンドロの現在地

2021年末には玉田圭司、阿部勇樹、大久保嘉人らワールドカップ(W杯)経験者の現役引退が相次いだが、重要なのはここから先の人生だ。すでに現役を退いたW杯レジェンドの中には、「KAJI CAFE」を経営する加地亮2006年ドイツW杯出場)、東京工業大学と協業でタンパク質を研究するベンチャー企業の社外取締役などを務める巻誠一郎(同)など新たな世界に打って出る者もいる。彼らとともにドイツで戦った三都主アレサンドロも母国・ブラジルでサッカークラブ経営にまい進している。

1977年、ブラジル・パラナ州マリンガで生まれた彼が来日したのは16歳の時。高知県の明徳義塾高校で頭角を現し、97年にブラジル人選手として清水エスパルスに入団した。そして200111月に日本国籍を取得。フィリップ・トルシエ監督率いる日本代表に招集され、2002年日韓W杯に参戦した。同大会ではラウンド16・トルコ戦(宮城)で西澤明訓(現代理人)との2トップというサプライズ先発が印象的。だが、ノーゴールに終わり、悔しい思いをしたという。

かつての盟友・玉田圭司との2ショット(筆者撮影)

直後に発足したジーコジャパン時代は主に左サイドバックで活躍。ドイツでも全3試合にフル出場し、ブラジル戦(ドルトムント)では玉田の先制弾をアシストしてみせた。代表キャリアはこれでラストとなったが、国際Aマッチ82試合出場7得点という数字はそうそうたるもの。彼の存在感の大きさが伺える。

クラブレベルでは、清水の後、2004年に浦和レッズへ移籍。黄金期を担った。その後、オーストリアのレッドブル・ザルツブルクを経て浦和に復帰。2009年には名古屋グランパスへ赴き、2010年のJ1初制覇の一員となった。晩年はJ2・栃木SCとFC岐阜でプレー。2015年には故郷のマリンガに戻ってラストを飾り、2016年に引退した。

2016年末にブラジル・マリンガにクラブ立ち上げ

「日本でJFA公認B級指導者ライセンスまで取得していたので、最初はコーチ業を考えました。201612月には『アレックス・サントス財団(三都主サッカーアカデミー)』という団体を立ち上げ、サッカーや柔道、卓球などを通じて子供たちを健全に育てようとしたんです。1年目の2017年はUー15のカテゴリーのみで選手はわずか16人。他の競技もポツポツはいましたが、まだ手探り状態でした。

そんな時、愛知県碧南市に本社を置く人材派遣企業のアルコがサポートを申し出てくれたんです。アルコはブラジルと日本の交流に熱心で、僕のプロジェクトに賛同してくれた。僕だけの資金力だと10002000万円レベルでしたけど、彼らのサポートによって億単位の運営が可能になった。そうなると幅広い展開ができますよね。これを機に『アルコ・スポーツ・ブラジル(ASB)というプロクラブを立ち上げ、僕の財団を下部組織にすることで規模拡大を図ったんです」(三都主)

クラブ全体が右肩上がりに成長している(本人提供)

2019年に本格始動したASBは着実に結果を残し、発足3年目の2021年にはパラナ州選手権3部に初参戦。最後の最後で見事に優勝し、2部昇格を決めたという。同州1部にはアトレチコ・パラナエンセやクリチーバといった名門クラブもいるため、近い将来に1部に上がることができれば、クラブの格は一気に上昇することになる。明るい希望が開けてきたのだ。

「アカデミーの方も規模拡大を続け、6~14歳のスクールと1520歳のエリートチームが活動するまでになっています。2020年に柔道や卓球を休止してサッカーに専念する形にして、今は総人数が300350人と大所帯になりました。そして今季はU-19チームから10人がASBに登録され、4人がプロ契約に至りました。アカデミー初のプロ選手誕生ということで、僕自身も物凄く喜んでいます。

彼らの月給はまだ10万程度ですけど、2部昇格が叶ったんで、基本給はもっと上がる。1部に行けたら、金額はケタ外れになると思いますし、ブラジル代表入りする選手が出たら、年俸5000万や1億円というのは夢じゃない。10代の選手は秘めた才能の宝庫ですし、僕はそうなれる逸材がいると信じています」

トップチームは今季からパラナ州2部リーグに参戦

こう力を込める三都主が実質的なクラブオーナーとしてマネージメントに奔走している。環境整備にも注力しており、マリンガ公立大学の施設をアカデミーが使用できるようにもなった。こうした調整にも自ら出向き、話をまとめているというから、彼のやり手ぶりがよく分かる。さすがはブラジルから日本に渡り、W杯プレーヤーにまで上り詰めた男である。

「マリンガ州立大学と提携できたのは偶然なんです。僕が現役時代の貯えを捻出して買い取っていたアカデミーの選手寮が大学のすぐ近くにあったのが大きかった。『大学の施設を使えたら子供たちも行き来が楽になるし、利便性が向上する』と考え、大学側に打診したところOKをもらえました。今は地元以外の選手はこの寮で生活し、午前中に学校に行って、午後から大学施設でトレーニングしています。そういう体制が整えば、『三都主サッカーアカデミーに入りたい』という選手は増えるはず。実際、日本からサッカー留学に来ている高校生もいますよ」

パラナ州3部で優勝して喜ぶ選手たち(本人提供)

日本とのネットワーク強化は三都主が熱心に取り組むもう1つのポイント。この12~1月も来日し、日本のサッカー仲間と旧交を温めつつ、Jクラブ回りを実施。ASBや三都主アカデミーに所属するブラジル人選手の売り込みも行っているのだ。

「今はコロナ禍でJクラブに足を運ぶのも難しくなっていますけど、1月末までの滞在期間には可能な限り多くのGMや強化部長と会って、僕らのプロジェクトを説明し、選手も知ってもらおうと思っています。J2やJ3だったら活躍できそうな選手は少なくない。僕を通して、若いブラジル人選手が日本で活躍できるきっかけを作れるのなら、ぜひそうしたい。僕自身も日本に来たおかげで今の自分がありますからね」

現役引退から5年で立派なクラブ経営者となった三都主だが、時々、ピッチに立って子供たちを教えることもあるという。日本同様、ブラジルの子供たちもややメンタル的に弱くなったと感じることもあるようだ。

「僕らの頃は多少厳しい指導をされても耐えられたし、みんな精神的に強かったと思うんです。でも今は時代が違う。今の子供たちに合ったやり方をしないとダメですね。僕自身が練習に参加する時にはそこを強く意識していますし、総勢20人程度いるコーチングスタッフとも密に連携を取っています。

自分にとっての一番の目標は、いい人材を育てること。『志のある人間』を数多く輩出できるようにしたいと考えています。自分もブラジルや明徳義塾でいい指導者の方に出会ったから大きく成長できた。人としてしっかりしていることが最も重要なんです。

そのうえでASBをパラナ州1部に昇格させたいと考えています。今はアカデミーからプロになった選手は4人だけですけど、今後はどんどんその比率を高めていきたい。人材育成も1部昇格もそう簡単なことではないけど、目標は高い方がいいですからね」

爽やかな笑顔をのぞかせた三都主。元日本代表でここまでグローバルな活動をしているのは彼1人と言っても過言ではない。ブラジルと日本のつなぎ役としてこれからも八面六臂の活躍を続けてくれるはず。44歳のクラブ経営者の今後が楽しみだ。

トップに上がったアカデミー出身者たち(本人提供)

取材・文/元川悦子

長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。

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