【私たちの選択肢】ライブアイドル ももねさき 前編
人生に行き詰まると、わたしたちは目の前の世界しか見えなくなります。そんな時、知らない世界や知らない誰かの人生を知ると、すこし気持ちが楽になったりします。
人はいくつもの選択肢をもっている。そして自由に生きることができる。このインタビューは、同じ世界に生きている”誰か”の人生にフォーカスをあてていきます。
知らない街で不安になったとき、全国どこでも変わらない蛍光ピンクのサーティワンアイスクリームの看板を見つけるとほっとします。変わらない存在がくれる安心感があるからでしょうか。同じように、落ち込んだときにわたしを安心をくれるのはアイドルの存在でした。
アイドルはいつも変わらずにステージの上にいて、歌って踊ってくれます。ライブに行くたびに、わたしはその変わらなさに安心をするのです。
いじりといじめの差はどこにあるのだろう
アイドルとして活動をして今年で12年目のももねさきさん。先日「LV31になりました」とSNSに笑顔の写真をアップしていました。
抜群の歌唱力と飾らない性格をいかして、長くアイドル活動を続けているももねさん。その活動のすべてはオタクの延長にあったといいます。
「もともと引っ込み思案だし社交的ではなかったので、幼少期にあまり友だちが作れませんでした。テレビ番組の『おかあさんといっしょ』が好きでいつもひとりで見ていたんですけど、あの空間に多幸感を感じていたんです。友だちがいなすぎてテレビ番組と現実の境目があまりなかったのかもしれません」
小学校に入ると、ももねさんはいじめの対象にされてしまいました。荷物持ちゲームではももねさんがじゃんけんで負けるように仕組まれていて、キックゲームと称して暴力を受けることもありました。
「当時、いじめられていると気づいていなかったんです。わたしはただ自分がじゃんけんが弱いのだと思っていました。
キックゲームも「ゲーム」なんだと思って蹴り返したら、「やりかえすなんて生意気」と吊るし上げられてしまい、それでやっといじめられているんだと気づきました。わたしは声量があるから普通に喋っていても目立ってしまって、目に付けられやすかったんだと思います」
おとなしかったももねさんは、家庭の事情での転校を機に一念発起。いつも明るく天真爛漫なももねさきを作り上げたのです。前の学校とは違うキャラクターになった途端、こんどは学級委員や生徒会を引き受けるようになりました。
「キャラ変には成功しましたが、女子特有の”グループ”には属していなかったんです。みんなと仲がいいのは裏返すと満遍なくぼっちということなんですよね。ネガティブなぼっちではないけれど、ポジティブなぼっちでした」
しかし、いくら天真爛漫なキャラクターに生まれ変わろうと、コミュニケーションの取り方はわからないまま。いわゆるイツメンができなかったももねさんは、修学旅行の部屋割りもなんとなくどこのグループからもあぶれてしまいます。そして学級員を決める時期になれば、またみんなから「さきちゃんがいいと思います!」と言われてしまう。
埋まらない違和感。明るいはずの自分。積み重なっていく孤独感に気づきつつも、学校を休むことはなかったといいます。
「不登校という概念を知らなかったし、保健室登校っていう選択肢も知りませんでした。休む選択肢が見つからなかったんです」
自分の気持ちをわかってくれる人がいる
“いじりといじめの差はどこにあるのだろう……”。そう悩みつつもこれまでにこにこと明るく振舞ってきたももねさんに転機が訪れます。
ある日、お父さんがパソコンを買ってきたのです。よくわからないまま接続したインターネットの世界。ももねさんはそこで自分のなりたい自分になる手段に出会います。
「アバターを作ったりプロフィールページを作るなかで、わたしがどういう人物だったらみんなが友だちになってくれるんだろうって考えるようになりました」
まだインターネットという言葉も曖昧な時代、ももねさんはその世界にのめりこみます。サブカルチャーも音楽も思いつくかぎり調べ続け、好きなものを増やしていきました。好きな楽曲を見つければそのルーツを探っていきます。
「パソコンに触れたことで、わたしのもっていたオタク気質が発揮されちゃったみたいです。ああこの曲の作詞をしている松本隆さんは松田聖子ちゃんの作詞の人だ! って気づくようになったらこれまで以上に音楽が好きになりました。
他にも好きな曲はないかなって調べているなかで、80年代のアイドルにたどり着きました。プロデュースされて作り上げられたアイドルという作品に感動したんです。誰かの手によって彩られた姿にしっくりときました」
ももねさんは自分の好きなものをかき集めて、なりたい自分を作り上げていきました。そのパッケージに自分自身のマインドを合わせていくのはとてもうまくいったそうです。
「現実世界では友だちを作れなかったのに、ネット世界ではわかりあえる人にたくさん出会えたんです。そのなかで、声優の桃井はるこさんを知りました。はじめて楽曲を聴いたとき、オタクの自分の気持ちをこんなにわかってくれる人がいるんだ! って感激しました。わたしのキーパーソンです」
アイドルになりたい
ももねさんがアイドルになりたいと思うようになったのは、高校生のときにアキバ系アイドルというジャンルを知ったからでした。秋葉原にいるのなら大阪の電気街と呼ばれる日本橋にもアイドルがいるはず。そう思ったももねさんは、日本橋でソロアイドルをしていたReNさんを見つけます。楽しくてうきうきして眩しい世界。自分もそこに入りたい。
「すぐに、”わたしもアイドルになりたい”って当時やっていたmixiに書いたんです。そしたらアイドルユニットの企画をしている人が声をかけてくれました」
思い立ったらすぐ行動。ももねさんはすぐにユニットへ加入することを決めます。今でこそセルフプロデュースアイドルはたくさんいますが、当時のライブアイドルはまだ注目されにくい存在でした。特に大阪はアイドル不毛の地と呼ばれていたそうです。活動をはじめた当初はお客さんが2人だけの日もありました。しかし、なぜかももねさんは違和感を感じることなく馴染めてしまったと笑います。
もともと引っ込み思案だったももねさん、どうして思い切ることができたのかを聞くと少し考えてからこう話してくれました。
「これまでずっといじめられていて、傷つきすぎていたので良くも悪くも耐性がついていたんだと思います。なにもこわいものがなかったんです。それに、仲間がほしかった。
自分と同じように”アイドル文化”を好きな人同士が悪口を言い合ったりするわけないって思い込んでたんです。これまで散々いじめられていたのに、まだ人を信じてしまっていました」
©︎キジ彦
大阪にもアイドル活動のできる街があった。ここで自分と同じものが好きな人にどのくらい出会えるだろうか。ももねさんは喜びに溢れていました。
「わたしはここから人生を塗り替えてやるって思ったんです」
ももねさき
プロフィールライブアイドル。2009年9月ポンバシ系アイドルの先駆け的存在としてデビューし、2012年よりソロ活動開始。昭和〜平成初期の王道アイドルをリスペクトしたパフォーマンスを行う。“かわいいアイドル“をテーマにした永遠の14才。得意分野ながら、関西特有のバラエティー色の強いポジションとして扱われることは本人曰く「不本意」らしい。ニックネームは、さきそん。
文・成宮アイコ
朗読詩人・ライター。機能不全家庭で育ち、不登校・リストカット・社会不安障害を経験、ADHD当事者。「生きづらさ」「社会問題」「アイドル」をメインテーマにインタビューやコラムを執筆。トークイベントへの出演、アイドルへの作詞提供、ポエトリーリーディングのライブも行なっている。EP「伝説にならないで」発売。表題曲のMV公開中。著書『伝説にならないで』(皓星社)『あなたとわたしのドキュメンタリー』(書肆侃侃房)。好きな詩人はつんくさん、好きな文学は風俗サイト写メ日記。
編集/inox.
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