千葉県の内房側、アクアラインから館山に向かう途中に房郡鋸南(きょなん)町という場所がある。
都心から車で1時間半。観光地として外国人からも人気のある鋸山(のこぎりやま)と海の両方を楽しめるロケーションでありながら、過疎化が進み、現在は人口7,300人弱だという。
そんな土地に、今年の夏にサウナのある宿泊施設ができた。リノベーションされた古民家に、北欧エストニアから輸入したバレルサウナを備えた、紀伊乃国屋本館「はなれ 橘」だ。サウナも含め1軒まるごとプライベート空間にでき、宿泊は1日1組限定というぜいたくさ。
2名利用時の1名当たりの宿泊料金は44,800円からと決して安くはないが、コロナ禍まっただ中にオープンしたにも関わらず、稼働率は最初から90%越え。この原稿を書いている11月半ば時点でも、1月の空き枠はド平日の3日間しか残っていない。
そんなに人が競って予約する宿とは、いったいどんな場所なのか。その魅力を確かめるべく訪問させていただいた。
古民家の風呂場跡から深井戸を発見、サウナでの活用を思いつく
新宿駅から高速バスに乗り、ハイウェイオアシス富楽里というバス停で下車。そこからは宿からの迎えの車に乗り換え、スムーズに宿に到着。まずは、この紀伊乃国屋本館「はなれ 橘」を運営する紀伊国屋グループの代表取締役である、蛭田憲市さんにお話を伺った。
なんと紀伊乃国屋グループは、近隣で7つも宿泊施設を運営(※2021年11月17日時点)している。この土地に生まれ育った蛭田さんは、もとは蛭田さんのお父様が営まれていた1泊5,000円の民宿を原点として、少しずつ高級路線に変更しながら、施設数を増やしてきたのだそう。
お話を伺った温泉リゾート「ゆうみ」も、全室オーシャンビューの素敵な宿。
――今回、「はなれ 橘」をつくろうと思った経緯は?
蛭田さん(以下、蛭田)「もともとこの家には、温厚ないいおじいちゃんとおばあちゃんが住んでおられたのですが、おじいちゃんが亡くなられて、娘さんも別のところで家庭を持っていて継ぐ人もいないので、家を買ってくれないかという打診がありました。
どうしようかなとも思ったのですが、そのいいおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいた土地が、変なよその人に買われても嫌だなと思って、うちが買いました。潰して駐車場にでもするかな…と考えていたところに訪れたのが、令和元年台風15号です。周りはもちろん、うちのほかの建物も大被害を受け、それら再建や建設途中だった建物を完成させるのに奔走して、やっと落ち着いたので、いよいよその古民家を壊そうと家に入りました。
すると、台風でほかの古い家はみんな屋根が飛んじゃったりしていたのに、しっくいのせいか、全くそういう被害を受けていなくて。それに中は、人がいなくて普通なら空気が淀んでいるはずなのに、なんだかいい空気が流れてたんですよね。
それでおじいちゃんやおばあちゃんを思い出しながら家を見てたら、古い家なので庭にお風呂があったんです。それはもう、台風でけっこう傷んでいたので取り壊したところ、その下から古井戸が出てきたんですよ。
それで井戸は潰さずに水が出るようにしてもらって、近所の人からこの井戸は江戸時代ごろからのものだとも聞いたので、潰さない形で何ができるかな…と考えた結果、サウナと温泉と、この井戸の水風呂で、1日1組のお客様をしっかりもてなすということを思いつきました。
ただ、僕はもともと、あまりサウナが好きじゃなかったんです。そこで友人のサウナマニアに相談したところ、『トレンドのサウナを教えてやるから、2日間俺にくれ』と言われました。
――わあ、どこに行かれたんだろう!
蛭田「2日間で12か所に入ったんですけど、まずは池袋のかるまるからスタートして、錦糸町に移動して2軒行って、120℃のサウナに入って屋上でBBQしたりして、もう1か所行ってから鎌倉に移動して…って感じで。いろいろなサウナを経験したら、僕もすっかりサウナ好きになっちゃたんですよね(笑)
バレルサウナの輸入もその友人のツテでお願いして、紀伊国屋がもともと持っている直源泉と、いろいろなピースがはまって、おじいちゃんおばあちゃんが大切にしていた家を生かすことができたのが、本当にうれしいんですよね。
――オープン当初から稼働率85%以上とのことですが、皆さんどうやって情報をキャッチされているんでしょうか?
蛭田「今はまだ、割合としてはもともとうちのグループのお客さんが多いです。3万件くらいの顧客データベースがあるんですが、その方たちにアナウンスしたら、サッと1か月埋まっちゃったんですよね。紀伊国屋が新しいこと始めたから、行ってみようかという感じですね。
――サウナ―ばっかり、というわけではないんですね。
「最近はサウナ目当ての方も増えましたね。あとご夫婦と娘と、そのお子様とか、うちは1軒貸し切りなので、お子様連れの方も多いです。お母さんとお子様は温泉を楽しんで、お父さんはサウナに入るとかね。
専属の仲居さんが完全にひとりつくので、いつもは家で家事をやっている方も、完全にお任せして本当にゆっくりくつろいでいただけるので、ねぎらいの滞在だったりとか、あとは同級生同士などの男性グループもいらっしゃいますね。
うちはお料理にもかなり力を入れていて、自分が旅館を継ぐ前は板前修業をしていたのもありますし、市場の買参権も持っているので、破格で素晴らしい海鮮料理をお出しすることができるんです。
お客様に気に入っていただけて、急遽もう1泊したいというご相談もよくいただくのですが、今は次の日もだいたい埋まってしまっているので、そのご要望にはなかなかこたえられないんですよね」
こんなお話を伺ったら、宿への期待はますます高まるばかり。いざ,中に入らん!
心躍らずにはいられない圧倒的な贅沢空間
表札の横の引き戸から、中に入っていくと、玄関に到着。お香とともに並べられているのは、消毒液や体温系などもしっかり。
まず目に入るのは、広い縁側…というには贅沢すぎるオープンスペースだ。ここから、風呂の下から出てきたという井戸があるのが見える。
リビングにあたるスペースには、ソファとテレビ、そしてサウナ本コーナーも。紀伊国屋の顧客としてここに宿泊して、サウナ本を読んで影響されたお客様もいらっしゃるとか。
『Saunner+』もありがとうございます~!
奥にある囲炉裏つきのダイニングでは、仲居さんが夕食の用意をしてくださっている。
その間に、早速サウナへ行ってみよう!
温泉、井戸の水風呂、そしてバレルサウナ
洗面所には、浴衣やバスローブが備えてあり、サウナ後の外気浴タイムにも万全だ。
そしてシャワーの脇を通ってお風呂のスペースに回ってびっくり。
ドーンと広い温泉の湯舟に、井戸水の水風呂は五右衛門風呂スタイルでお出迎え。そして奥には、バレルサウナがドーンと鎮座している。
こ、これ、全部ひとり占めしちゃっていいんですか…。
中に入るとスウェーデンのTYLO社のストーブがあり、左右にベンチ。
バレルサウナのよさは、その円形の形状から、熱がめぐりやすいことで、セルフロウリュしたり、タオルでばたばたアウフグースの真似事をしてみたり、ベンチに寝っ転がったり。
温度はおそらく76℃くらいの設定で、そこまで高温にはならないのだが、これはお子様連れが多かったり、貸し切りゆえに何かあったときに見つけにくいので、万が一のことを考えてとのこと。
でもなんといっても、サウナに入る時間はたっぷりある。高温でサッと温まるのも好きだけど、今回は間に温泉を挟んだりしながら、じわじわ温まるのも贅沢な時間の使い方だ。
サウナの後は井戸水の水風呂へ。自分たちで蛇口をひねって、必要な時はかけ流しにできるスタイル。思ったほど水温は低すぎず、かといってぬるくもなく、キリッと冴えた水で体を鎮める。
仲居さんがピッチャーに用意してくれたレモン水を飲みながら、椅子でくつろぐ…が、はたと気づく。このエリアも縁側から外気が入ってはくるが、ベストな休憩場所はここではないのでは…と。
体を拭いて、先ほどの贅沢すぎる縁側、外に面した板の間に、下にバスタオルを敷いて転がってみた。…最高。求めていたのは、これだった。いろいろなロケーションの外気浴あれど、板の間にゴロンと半裸で寝られちゃうような場所は、なかなかないのでは。
ゴロゴロしていると、夕食の時間だ。
乾杯から食事、食後の飲みまで至れり尽くせり
この囲炉裏ダイニングには、ビールサーバーがあり、宿泊客はフリーで生ビールを飲むことができる。
食前酒から、前菜、主菜、椀物と続き、炭火焼き、食事、甘味で締める会席料理には、アワビや伊勢海老から地魚、伏姫牛や地野菜など、これでもかというほど、地元の食材に高級食材が加わり、めくるめく味覚の旅へ。仲居さんがつきっきりで焼いてくれるのを眺めるのも楽しい。
最後のデザートまで堪能したあとは、部屋でくつろぐもよし、またサウナに入るもよし。もし外に出て気分転換をしたかったら、徒歩5分ほどの距離にある、同グループのラグジュアリー宿「さざね」のロビーラウンジに23時まで入ることができる。
このロビーラウンジ、ただソファや椅子が置いてあるだけでなく、フリーで楽しめるドリンクバー(アルコールもあり)や、軽食、スイーツも備えられている。これらをつまみながら、テラスに出て波の音を聞きながら、夜の海を眺めてグラスを傾けるのも癒される時間だ。
翌朝は、囲炉裏で立派な干物などを焼いてもらい、パーフェクトな朝ごはんからスタート。コーヒーにデザートをいただいたら、名残惜しさをこめてもう1サウナ。ああ、帰りたくない。
帰りながら気づいた。確かにこの「はなれ 橘」は高級宿だが、ここに来てから、まったくお金を使っていないのだ。例えばほかのお店に飲みにいったり、コンビニに行ったりする必要がまったくない。
完全なるサウナ付きのプライベート空間を占有できて、極上の食事がついて、仲居さんがひとり完全についてくれて、気分転換に海辺のテラスで飲んだりもできて、まるっと込み込み価格だ。トータルではむしろお得なのでは…?と感じた。
コロナ禍でも稼働率90%越えが実現できるのは、紀伊国屋グループの提供するサービスのクオリティに、それだけ顧客からの信頼があるという証なのだろう。
安房温泉 紀伊国屋「はなれ 橘」
住所:千葉県安房郡鋸南町竜島970−6
電話:0470-55-1571
公式サイト:https://www.awa-kinokuniya.com/hanare/
サウナーたちの伝説のバイブル復汗!SJ MOOK『Saunner+(サウナープラス)』
サウナを愛してやまない「サウナー」のための本、現在のサウナブームの火付け役となった伝説のサウナ専門誌『Saunner』(2014年、小学館刊)が、7年の時を経てついに復汗(刊)! コロナ禍による危機を超え、ブームを超え、日本のサウナの未来を考えるというテーマのもと、パワーアップして再登場!
定価1320円(税込)
B5判/132ページ
https://www.shogakukan.co.jp/books/09104252
取材・文/安念美和子(nenko)