『立冬』という言葉を聞いたことがあっても、いつからいつまでなのか知らない人もいるのではないでしょうか?そこで、立冬の時期と併せて意味も紹介します。過ごし方や行事などについても知り、この時期ならではの楽しみを見出しましょう。
立冬とはどういう意味?
『りっとう』と読む『立冬』は、どのような日なのでしょうか?意味や期間についてみていきましょう。
暦の上での冬の始まり
『立つ』と『冬』が組み合わさっていることから想像できる通り、立冬は『暦上の冬の始まり』を意味します。空気が冷え込んできたり、木枯らしが吹いたり、冬の訪れを感じる時期になります。
立冬は、古代中国で農業に活用されていた季節を表す『二十四節気』の一つです。太陽の動きを基に節気を24等分にしたもので、春・夏・秋・冬を中心に構成されていました。
『二十四節気』は、平安時代に日本に伝わったとされています。
三つの期間に分けられる
『二十四節気』をさらに三つの期間に細かく分けた『七十二候』もあります。日本の季節に合わせて作られていますが、もとになっているのは古代中国で使われていた『七十二候』です。
立冬は、まず『山茶始開(つばきはじめてひらく)』という候から始まります。ツバキの花が咲き始める時期という意味です。山茶花(サザンカ)となっている理由は、かつてサザンカはツバキのことを指していたためです。
次の候は『地始凍(ちはじめてこおる)』で、冷え込みが厳しくなり、地面が凍り始める時期という意味になります。
最後の候は『金盞香(きんせんかさく)』で、スイセンが咲き始める時期という意味です。『金盞』は『金の盃(さかずき)』のことで、スイセンの黄色い部分がそのように見えることからスイセンを指しています。
立冬はいつからいつまで?
暦の上で冬の始まりとされる立冬は、いつからいつまでなのでしょうか?時期を確認しましょう。
立冬の時期は変動することも
立冬の時期は、『毎年11月7日ごろから11月21日ごろ』になります。毎年同じ日に定められているわけではなく、変動します。
そのため、7日からであることが多いですが、8日からになる年もあります。
時期が変動する理由は、もともと『二十四節気』が日付固定の暦ではないからです。太陽の動きを基に分けられているため、1日前後ズレが生じることは珍しくありません。
立冬の過ごし方
立冬のおすすめの過ごし方を紹介します。古くから続く習わしについても触れるので、取り入れてみましょう。
旬の食べ物を食べる
立冬の時期が旬の食べ物をふんだんに使った料理で、食卓を囲むのはいかがでしょうか。代表的な旬の食べ物には、白菜・大根・ネギ・ニラ・サケ・サバ・カキなどがあります。
11月7日は『鍋の日』とされているので、旬の食材を用いた『鍋料理』がおすすめです。冷え込みが厳しくなる時期なので、鍋を食べて体を温めましょう。さまざまな種類の食材を一度にたくさん食べられるため、栄養バランスのよい食事になるのもメリットです。
立冬は、収穫されたばかりの新米を堪能してほしいという意味を込めた『あられ・おせんべいの日』でもあります。全国米菓工業組合が1985年に制定したもので、季節の移り変わりを感じながら、あられやおせんべいを食べるのもおすすめです。
暖房器具を出す
古くからの言い伝えの一つに、『亥の子の日に火を入れると火事にならない』というものがあります。かつては、この日にいろりを使い始めたり、火鉢を出したりしていました。
現在も、茶の湯では亥の子の日に『炉開き』が行われることが珍しくありません。
家庭では、立冬の期間にある『亥の子の日』に暖房器具を出す『こたつ開き』という習わしがあります。この日にこたつやストーブなどの暖房器具を出して、寒さに備えるのもよいでしょう。
立冬の主な行事
立冬には、さまざまな行事が行われています。その中から代表的な行事を紹介します。
酉の市
『酉の市(とりのいち)』は11月の『酉の日』に行われる行事で、江戸時代から続く歴史ある行事の一つです。
起源については諸説あるようですが、農民たちが秋の収穫を願い、大鷲神社に鶏を奉納したことが始まりとされています。現在も商売繁盛を願うお祭りとして親しまれています。
『酉の日』の名物は、複数の縁起物が付いた『縁起熊手』です。熊手は穀物などをかき集める農具ですが、『お金や福をかき集める』と見立てられ、商売繁盛の縁起物として用いられるようになったとされています。
七五三
『七五三』は、子どもの健やかな成長を願う大切な行事です。立冬の時期に着物や羽織袴に身を包んだかわいらしい子どもたちの姿を目にしたことがある人も多いのではないでしょうか。
『七五三』は11月15日で立冬に時期にありますが、近年は日にちにこだわらず各家庭の事情や予定に合わせて神社を訪れる家庭が多くなっています。
『七五三』の起源は室町時代で、江戸時代に広まり、明治時代に現在のような形式になったと考えられています。
昔は現代のように医療が発達しておらず、子どもの死亡率が高かったことなどから、無事に成長したことへの感謝と未来の幸せを願う行事ができたのでしょう。