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竣工(しゅんこう)当時の霞が関ビルディング(資料画像)
夢と希望に満ちあふれた高度成長期……超高層の「ビルディング」が東京に出現!
実は筆者の生まれ年とほぼ同時期、1960年代後半の「昭和」の時代。
1960年代後半といえば、ビートルズが来日したりアポロ11号が月に着陸したりと、誰もが夢と希望に満ちあふれていた激動の時代でありました。
かつて、昭和の時代を懐かしむ「ALWAYS 三丁目の夕日」・「ALWAYS 続・三丁目の夕日」という映画が公開されましたが、劇中の設定は、1960年代後半の10年前くらいの設定になるかと思います。
1960年代は高度成長期のなか、東京は人やモノ、産業の集中がピークを迎えており、とても大変な時期だったようです。
ちなみに当時の東京は、緑地の減少や、公害、モータリゼーションによる大気汚染や騒音などで、様々な社会問題が噴出しておりました。
筆者は正直、その頃の記憶はあまりないのですが、テレビやラジオで、公害や騒音問題などが結構話題になっていたような気がします。
おぼろげながら、子どもの当時の思い出としても、青空が満開というよりは、心なし、空の色がくすんでいて、どんよりと曇った空のイメージがありました。
ともあれ東京の一極集中は、当時、喫緊(きつきん。差し迫って大切なこと)の課題であったことは言うまでもありません。
そこで当時の人が考えたと思われるのが……。
「高層ビルディングを作ろう!」というアイデアです。
しかし、良いアイデアが出たからといって、即採用されただちに建設……という訳にはいきませんでした。
今では日本のあちこちに、超高層ビルディングが建ちまくっていると言うのに……。いったいなぜなんでしょう?
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霞が関ビルディング_2009年以降(低層部RN後)空撮(資料画像)
今では考えられない問題が勃発! それを一つ一つ乗り越えて、ついに建設を開始!
「高層ビルディングを作ろう」というアイデアの前に立ち塞がったのが、当時の「建築基準法」です。
なんと当時は、ビルディングの高さはたったの31m(100尺)までという規制があったと言うのです。
ビルディングの9階分くらいの高さしか、当時は建てられなかったのです。
「百尺規制」とも呼ばれるこの規制は、文献によると、大正7年の都市計画委員会において、当時の都市計画課長がその頃すでに建っていた「東京海上保険ビル」より高い建物を、あまり建てさせたくなかった? ……のではないか、ということだったようです。
参考資料:市街地建築物法における絶対高さ制限の成立と変遷に関する考察
―用途地域の100尺(31m)規制の設定根拠についてー
とは言え、逼迫(ひっぱく)した情勢の中、「ではやっぱり、高層ビルディングの建築はあきらめましょう」という訳にはいきません。
関係者が一層の努力をした結果、1963年に何とか、建築基準法の改正に成功いたしました。
「高さ制限」から「容積率による規制」へ変更されることにより、やっと超高層ビルの建築が可能になったのです。
……そして、いよいよ、満を持して、1965年に日本初の超高層ビルが起工されることになりました。
その超高層ビルディングこそが……
「霞が関ビルディング」なのです!
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竣工(しゅんこう)当時の霞が関ビルディング(資料画像)
当時の日本最高層! 地上高147mの摩天楼「ビルディング」が爆誕!!
「超高層ビルディング」といえば、ビルディングが建っている敷地以外はすぐ道路……というイメージをもたれている人も、一定数はおられると思いますが、実は違います。
先述にて、建築基準法の基準が「高さ」から「容積率」に変わったとお伝えいたしましたが……。
「容積率」とは、「敷地面積」に対する「(建物の)延床面積」の比率です。
つまり、高層ビルディングを建てるには、それなりの敷地面積がある場所に建てなければいけない、という規制に変わった訳です。
ちなみに、「霞が関ビルディング」の先進性はここで発揮されます。
現在、「霞が関ビルディング」が建設されている広い敷地の中には、緑や、人々の憩いの場所が設けられています。
これは、現在の超高層ビルディングにも脈々と受け継がれている、先進的な構想であり、その先駆けともなる初の超高層ビルディングをこの時、建築した訳なのです。
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建設中の霞が関ビルディング(資料画像)
揺れることでビルディングを守る! 「柔構造」のビルの始祖が「霞が関ビルディング」!
今でこそ、大地震が起きた時もビルディングが「ゆらゆら」と揺れることで、旧来型の建物全体をガチガチに固めた「剛構造」のビルよりも、丈夫で長持ちする、という知識は、かなり世間一般に知られていますが、「霞が関ビルディング」は、当時も今も最先端の技術である、「柔構造」の始祖でもあります。
「霞が関ビルディング」は完成後に何度も大地震に見舞われていますが、今でもちゃんとしっかり倒れずに建っているところを鑑みるにあたり、もし、このビルディングが「剛構造」で建設されていたら、大変なことになっていたかもしれません。
日本の英知を結集したビッグ・ブロジェクト!
「大都市における人間性の回復」を目指した「霞が関ビルディング」。
何せ前代未聞の、初の超高層ビルディングの建設です。
様々な諸問題が、数多く立ちはだかったのは簡単に想像できるところです。
そんな中、安易にローコスト化に走らず、品質にも拘(こだわ)り、極力、国産の技術や資材にこだわったのは、今から考えると実に良い判断でした。
その時のノウハウが、今の超高層ビルの建設にも生かされている訳です。
なぜなら、「霞が関ビルディング」の耐震構造は、現在の耐震基準を大きく上回っており、最近建てられた超高層ビルと比べてとても丈夫だからです。
もし、また今後、大地震が起きたとしても、場合によってはまわりのビルへ逃げ込むよりは、「霞が関ビルディング」に逃げ込んだ方が、より助かる可能性があります。
その後、1967年に上棟(じょうとう。建物の基本構造ができ上がること。内装はまだ)して……。
1968年4月12日に、「霞が関ビルディング」オープン!
当時の景色がこちらです。ダントツに群を抜いていますね。
もはや、まわりのビルディングがオモチャみたいに見えます!
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竣工(しゅんこう)当時の霞が関ビルディング(資料画像)
ハイテクの粋を集めた「霞が関ビルディング」の革新的な技術力とは?
当時のハイテクの粋を集めた「霞が関ビルディング」。
様々な技術が、なんと50年を越した現在でも現役で稼働中(アップデートされたものもあるので、基礎技術、という意味合いも含む)です。
その技術は実に斬新です。
●コンピューターを用いた設計……とても正確に建物の構造計算ができます。
今では当たり前のようにコンピューターで設計されていますが、当時としては画期的だったのです。
●プレハブ技法……建物の一部や部材を工場で製作し、建築現場で組み立てることで、工期が短縮できます。
●大型H型鋼の採用……H鋼でビルディングを作ると、断面性能が良くなり、より丈夫なビルディングが作れます。
●セルフクライミング方式……組み上がった鉄骨の上にクレーンを載せて、上層階を作り、さらにクレーンを上に上げて、どんどんビルディングを高く作っていく、今では当たり前の技法です。
●デッキプレート捨型枠工法……デッキプレートを作業床として施工することで、工期が短縮できました。
●スリット(切れ目)工法……柱と壁の間にスリットを設けて、大地震でも構造物全体に影響が及ばないようにする工法です。
●初の超高層ビル用エレベーター……当時のエレベーターの最速が分速150mだったところ、「霞が関ビルディング」では分速300mで製造されました。技術開発が大変でした。
今では珍しくない? でも当時は画期的だった施設やイベント!
当時の最先端の知見を集めた「霞が関ビルディング」は、ハイテク技術だけでなく、斬新な施設を設けたり、独創的なイベントが行われることとなりました。
50年を越した今でも現役で稼働中、もしくは開催中のものが数多くあります。
●ミクストユース……建物内に病院や郵便局などの公共施設が入り、あたかも、超高層ビルディング全体が、一つの「街」として存在することとなりました。
これは、この時期に初めて取り入られた概念です。
●日本初! 広場があるビル……今ではビルディングの敷地内に、誰もが入れる憩いの場の「広場」や「公園」があることは珍しくないですが、実はこの「公開空地」の思想をいち早く実現したのが、「霞が関ビルディング」です。
●日本初の「ウィンドウアート」……何かしらの記念やメッセージを世に伝えたい場合、高層ビルディングの窓の明かりをつけたり消したりして、文字を表示して、見る者の心を、ほっこりさせてくれる「ウィンドウアート」。
こちらも「霞が関ビルディング」が日本初です。
ちなみに、1972年の「アポロ11号」の月面着陸成功の際に、お祝いのメッセージが映し出されました。当時の写真がこちらです。
当時の人たちの熱気と興奮度が伝わってくるようです。
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日本初のウィンドウアート(資料画像)
ほかにも……。
●展望台が大ヒット……最上階の36階の展望室には、ビルディング建築後、数多くの人が訪れました。
●テナントも大にぎわい……「霞が関ビルディング」に特段、用事がない人でも、低層階に入っている飲食店目的に訪れる人が群をなし、大にぎわいとなりました。
●日本一高い場所での結婚式……開業当初、当ビル歴史上、最初で最後となる、日本一高い場所での結婚式が行われました。今ではもう、開催は無理ですね。
これらの施設やイベントは、今ではどこの超高層ビルディングや、超高層タワーでも、お馴染みの風景となりましたね。
当時の人の、先見性の高さに驚かされます。
その後の「霞が関ビルディング」について……。
その後、大規模改修や、業務効率化改善、BCP対策(事業継続計画)などを経て、さまざまな歴史を経た「霞が関ビルディング」ではありますが……。
今でも、建て替えることもなく、「霞が関ビルディング」は絶賛稼働中です!
今どきの最先端の働き方改革に呼応して、多様なワークスタイルを提供する、法人向けシェアオフィス「ワークスタイリング」を開設するなど、新たな取り組みを続けられております。
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ワークスタイリング霞ヶ関ビルディング(資料画像)
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霞が関ビルディング_2009年以降(低層部RN後)(資料画像)
今でも全く現役の「霞が関ビルディング」ですが、その歴史と、新たな人々の想いを乗せ、これからも日本のランドマークとして存在し続けていくのです……!
あの頃ここで働きたかった! 当時の人々が度胆を抜いた日本初の超高層ビル「霞が関ビルディング」。
東京在住時、いつでも訪問できると思って安心していたら、そのあとすぐに地方へUターンせざるを得なくなり、結果、行けなくなってしまいました!
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現在の霞が関ビルディング(資料画像)
※本記事の霞が関ビルディングに関する事実確認は、三井不動産株式会社より、ご確認をいただいております。
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文/FURU
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