【短期集中連載】世界の超富裕層を知る投資マイスターが解き明かすお金の話
<第3回>野村証券や三菱UFJが巨額損失。米「アルケゴス事件」の背景と教訓
コロナ禍で長引く金融緩和のもと、行き過ぎたレバレッジ等による金融リスクの顕在化が懸念されている。
その具体例がアメリカで今年4月に発覚した「アルケゴス事件」だ。
ファミリーオフィスと呼ばれる投資会社であるアルケゴス・キャピタル・マネジメントが運用に失敗し、その影響でクレディ・スイス、UBS、野村證券、三菱UFJ証券など世界の名だたる投資銀行が多額の損失を被った。
果たしてこれは、氷山の一角なのか、それとも例外的なケースなのか。
スイスの伝統的プライベートバンクの運⽤哲学や世界の超富裕層の投資哲学にも詳しい、独立系アドバイザリー・ファーム「アリスタゴラ・アドバイザーズ」代表・篠田丈が、経済ニュースの読み解きから具体的な投資アドバイスまで縦横無尽に語っていく短期新連載。今回は「アルケゴス事件」の背景と教訓を読み解く。
「アルケゴス事件」とは何か?
「アルケゴス事件」とは、アメリカの投資会社アルケゴス・キャピタル・マネジメントが500億ドル(約5兆円)ともいわれる資金の運用に失敗し、保有株の強制売却を迫られたという出来事です。
大型ファンドの行き詰まりとしては、1998年に発生した「LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)事件」などが思い出されます。
アルケゴス・キャピタル・マネジメントは、かつて世界最大のヘッジファンドであったタイガー・マネジメントで敏腕マネージャーとして活躍していた韓国出身のビル・ホワン氏が、自身の個人資産である100億ドル(約1兆円)を運用・管理するために設立したいわゆるファミリーオフィスです。
ファミリーオフィスとは、超富裕層の資産管理などを担う少数精鋭の運用会社のことで、最近はその運用資金の総額がヘッジファンドを上回るようになったともいわれます。
ただ、ファミリーオフィスは基本的に外部から資金を預かっているわけではないので、今回の「アルケゴス事件」では一般投資家への影響は限定的とする見方が多く、私も同感です。
ただ、「アルケゴス事件」が注目を集めたのは、欧州系や日系の大手投資銀行にも多額の損失が発生したからです。
具体的には、スイスのクレディ・スイス・グループが約5900億円、同じくスイスのUBSグループが約930億円、米系のモルガン・スタンレーが約1000億円、日本の野村ホールディングスが約3100億円、同じく三菱UFJ証券ホールディングスが約300億円、みずほフィナンシャルグループが約100億円などの損失を公表しており、その合計は1兆円を超えます。
新聞報道などによると、アルケゴスはデリバティブ(金融派生商品)を使ったスワップ取引を積極的に行っていたようです。
特に、「トータル・リターン・スワップ(TRS)」という手法を使い、ロング(買い)の持ち高を自己資金である100億ドルの5倍程度にまで膨らませていたとされます。
「トータル・リターン・スワップ(TRS)」とは、実際の投資主体は投資対象の株式等を保有せず、サービスを提供する投資銀行が名目上の保有者となります。そして、株式等の価格変動による利益や損失を差金決済する仕組みです。
近年、米国の大手投資銀行が提供するプライムブローカー・サービス(※)として、このTRSが急速に拡大しているといわれます。
※主にヘッジファンド等と機関投資家や商業銀行を仲介する各種金融サービスの総称。具体的には資金の調達や証券の借入・保管、決済の代行、リスク管理などがある。
差金決済の仕組み自体は、株式の信用取引や商品先物取引、外国為替取引と同じですが、TRSは取引規模が大きく、アルケゴスは一部銘柄で事実上の保有比率が発行済み株式の10%を超えるケースもあったようです。
日本でもアメリカでも、基本的に上場企業の株式を5%以上取得した場合は、大量保有報告書を規制当局に提出する義務があります。アルケゴスはそれを、TRSを使ってくぐり抜けていました。
ところが、集中投資していたいくつかの銘柄が急落したため、取引先の投資銀行から追証を求められ、それに対応できず破綻したのです。
そもそも、なぜ米国をはじめ世界中の大手投資銀行がアルケゴスにTRSのサービスを提供していたかといえば、高額の手数料を気前よく払ってくれたからでしょう。
しかし、ホワン氏はタイガー・マネジメントが解散した後、自らヘッジファンドを立ち上げたものの、インサイダー取引の疑いでSEC(米国証券取引委員会)から4400万ドルの罰金を命じられ、また米国でブローカー、トレーダー、投資アドバイザイーなどの職につくことを生涯、禁止された人物です。
アメリカ金融界に詳しい複数の知人に確認したところ、そもそもこのような人物と取引すること自体が、投資銀行として問題があったと異口同音に述べています。
なかなか変わらない日系、欧州系投資銀行の弱点
実は、アルケゴスと取引していた投資銀行の中には、ほとんど損失を被らなかったところもあります。
その筆頭がアメリカのゴールドマン・サックスです。
ゴールドマンは事件が発覚する直前に、担保としていた米国のメディア企業や中国のIT企業の株式を、大口投資家との相対取引であるブロックトレードにより、わずか半日ほどで大量に売却しました。総額100億ドル(約1兆1000億円)を超えるともいわれます。
モルガン・スタンレーも同じく、アルケゴスの担保株を処分したようですが、ゴールドマンに比べるとやや出遅れたと思われます。
今回、こうした米系に比べて欧州系や日系の投資銀行が多額の損失を被ったのは、アメリカ市場においてブロックトレードを行えるだけの顧客基盤やネットワークがなかったためといわれます。
しかし、私はそれとともに、欧州系や特に日系の投資銀行が以前から抱える弱点が露になったと考えます。
第一に、海外法人のリスク管理が甘いということです。現地採用のファンドマネージャーなどをきちんとコントロールできず、また、マネジメントは本社から派遣された社員に頼る結果、最前線の情報収集のレベルが低く、それが以前から繰り返し発生する不祥事の原因になっています。
第二に、意思決定が遅いことです。これは欧州系も似ています。何か問題が発生しても確認に手間取り、本社にお伺いを立てたりしているうちに、どんどん状況が悪化していきます。
こういう点で米系大手の“敏捷さ”や“したたかさ”はたいしたものです。
今回は、ゴールドマン・サックスのブロック取引による処理が状況を悪化させたという話もあります。しかし、繰り返しになりますが、本質的には日系や欧州系のリスク管理の甘さです。日系や欧州系が抱えるこうした弱点は、そう簡単には克服できないのではないかと私は見ています。
世界的な金余りがもたらしたファミリーオフィスの変容
今回の「アルケゴス事件」を巡って、私がもうひとつ注目しているのは、ファミリーオフィスの変容ということです。
ファミリーオフィスはもともと、超富裕層の資産管理などを担う少数精鋭の運用会社のことだと述べましたが、その歴史はヨーロッパ中世にまで遡ります。
現在のファミリーオフィスの原型は産業革命以降、とりわけ米国で勃興したモルガン家やロックフェラー家、メロン家といった財閥一族の財産を管理する専門家集団で、資産の運用・承継に限らず、税務や法務の助言、次世代の教育などまで幅広くサポートします。
本物の資産家は、目立ったことや派手なことは嫌います。資産運用にあたっても、非常に保守的で手堅い手法を取るのが常識です。
ファミリーオフィスも当然、そうした顧客である資産家の方針のもと運営されています。
ところがここ10年ほどで、伝統的なファミリーオフィスの世界が様変わりしてきているようなのです。
何が変わったかといえば、まずその数です。
2010年に世界中で1000にも満たなかったものが、直近では7000とか1万にまで増えているとされます。
なぜこれほど増えているかというと、リーマンショック後、金融当局による規制が強化され、ヘッジファンドの運営がしにくくなったからです。
規制強化によって、アメリカでは多くのヘッジファンドが米証券取引委員会(SEC)への登録と、定期的な運用状況の報告をしなければならなくなり、積極的なレバレッジ運用が難しくなりました。
そこで大手のヘッジファンドの中には、顧客から預かった資産を返却し、自己資産のみの運用に切り替えるところが増えています。アルケゴス・キャピタル・マネジメントもそうしたケースです。
また、リーマンショック後の景気回復の過程で世界的なカネ余りが発生し、資産家層に富が集中しています。
米誌フォーブスによると、保有資産が10億ドル(約1080億円)を超えるビリオネアは、10年に1011人、その保有資産の合計は3.6兆ドルでした。それが21年には2755人、13.1兆ドルとなり、人数で約3倍、保有資産は約4倍に膨らんでいます。
そうした資産がファミリーオフィスに流れ、ファミリーオフィスの資産運用総額はすでにヘッジファンドのそれを超えていると見られています。
最近、アーンスト・アンド・ヤング(EY)がまとめたレポートでは、ファミリーオフィスの運用規模は5.9兆ドル(約650兆円)にのぼるといいます。
数が増え、運用する資産も大幅に増えたことから、ファミリーオフィスの運用スタイルも変わりつつあります。
従来は、債券や上場株を中心とした長期分散投資が基本でしたが、近年は未公開株や不動産などのオルタナティブ(代替資産)にも積極的に投資しているようです。
しかし、アルケゴスのような少数銘柄に絞ったハイレバレッジの運用を行うファミリーオフィスはまだごく一部だと思います。
ファミリーオフィスはもともと個人資産を運用するため、年金基金や保険会社、あるいはファンドなどの機関投資家に比べて規制が緩く、リスクを取りやすいといえますが、「リスクをとれる」ことと実際に「リスクをとる」ことは別です。
伝統的なファミリーオフィスと、一部の新興ファミリーオフィスは質的に大きく異なると思います。
「アルケゴス事件」から学ぶべき教訓
新興ファミリーオフィスの増加に伴って、「アルケゴス事件」のようなケースが今後も出てくる可能性はあります。
投資銀行の側も相変わらず、ファミリーオフィスを有力な取引先として捉えています。
世界的な金融緩和で金利はほとんど消失し、債券の運用は苦戦を強いられています。株式も、史上最高値を更新し続ける米国市場を中心に、高値警戒感が漂っています。
そうした中で、ファミリーオフィスなどに証券取引の執行、決済や有価証券の貸付、さらには信用供与も行うプライムブローカー・サービスは、高い収益が見込めるビジネスです。
実際、アルケゴス事件で3000億円以上の損失を出した野村證券も、グループ最高経営責任者(CEO)が、「リスクマネジメントを高度化しながら米国でプラットフォームをつくる必要がある」と語り、ファミリーオフィスなどとの取引を拡大する意向を示しています。
「アルケゴス事件」のこうした経緯からは、投資における多くの教訓を引き出すことができるでしょう。
例えば、当たり前といえば当たり前なのですが、リスク管理の重要性と難しさがますます高まっています。
リスク管理において百戦錬磨である金融のプロでも、場合によっては多額の損失に見舞われるのですから、個人投資家は安易に投資先を絞り過ぎたり、レバレッジを掛け過ぎたりすることの危険性には十分な注意が必要でしょう。当たり前ですが、改めて分散の重要性が認識されます。
また、状況が急変したときの意思決定のスピードも重要です。予め、損切りなど撤退ラインについてはよく考えておくべきです。様子見をしているうちに、どんどん状況が悪化することは避けなければなりません。
「アルケゴス事件」をぜひ、「他山の石」としたいものです。
取材・構成/フォーウェイ(https://forway.co.jp/)仲山洋平、古井一匡
篠田 丈(シノダ タケシ)
アリスタゴラ・アドバイザーズ代表取締役会長。日興証券ニューヨーク現地法人の財務担当役員、ドレスナー・クラインオート・ベンソン証券及びINGベアリング証券でエクイティ・ファイナンスの日本及びアジア・オセアニア地区最高責任者などを歴任。その後、BNPパリバ証券で株式・派生商品本部長として日本のエクイティ関連ビジネスの責任者を務めるなど、資本市場での経験は30年以上。現在、アリスタゴラ・グループCEOとして、日本、シンガポール、イスラエルの拠点から、伝統的プライベートバンクと共に富裕層向け運用サービスを展開、また様々なファンドを設定・運用、さらにコーポレートファイナンス業務等を展開している。
https://aristagora.com/