■連載/Londonトレンド通信
8月27日公開のアミール・“クエストラブ”・トンプソン監督『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』は、1969年夏、ニューヨーク、ハーレムで開催されたハーレム・カルチュラル・フェスティバルのドキュメンタリー映画だ。
貴重な映像をふんだんに使ったパワフルな映画は、1月のサンダンス映画祭で審査員大賞と観客賞をW受賞した。
6月にイギリスでシェフィールド国際ドキュメンタリー映画祭開幕を飾った際、トンプソン監督はオンラインでQ&Aに登場した。ミュージシャン、クエストラブとして知られる監督は、初監督となった理由を「僕は知らなかった。たぶん、みんなも知らないだろうと思った」と語っている。
豪華メンバーによるフェスティバルは、もちろん記録された。にもかかわらず、この50年あまり、日の目を見ることがなかった。同じ時期に開催されたウッドストックとは大違いだ。数十万人規模の大野外コンサートが、気づかれなかったとは考えにくい。実際、取材者の姿もある。
だが、登場するスティーヴィー・ワンダー、B.B.キング、グラディス・ナイト&ザ・ピップス、スライ&ザ・ファミリー・ストーン等々を取材しにきたのではない。
6回の日曜に行われたコンサートのうち、7月20日はちょうどアポロ11号月面着陸の日だった。「ここにいる人たちは、そのために集まっているわけではありません」と、アポロを見ずに何をしていると言わんばかりに中継するリポーターだ。「月には何もないが、ここには助けが必要な人々がいる」とインタビューに答える住民もいる。
集っている人々は黒人だ。ステージの上に立つのも黒人だ。厳密に言えば、ちらほら白人の姿も見える。「ドラムを叩いているの白い奴だぜ。でも音楽が始まったら関係ないね」と言う観客がいるように、ほぼ黒人による黒人のための黒人のコンサートだ。そもそもが、暗殺されたマーティン・ルーサー・キング牧師の一周忌を記念するイベントだった。
ライブの盛り上がりを表す「ステージと観客が一体になった」という言い回しがあるが、ここでは黒人であるという点において、文字通り一体だった。ステージの上にいようが、下にいようが、黒人として受ける差別に変わりはなかった。
多くの黒人スターを輩出したモータウン・レコードでは、初期のツアー時、トイレやレストランを探すのに苦労したという。白人とは区分され、有色人種用でなければ使えなかったからだ。スターも何もあったものではない。
映画には、当時、ニューヨーク・タイムズにいたジャーナリスト、シャーレイン・ハンター=ゴールトの話もある。ブラックと黒人を書き表したところ、ニグロと直され、抗議し、それ以来、ニューヨーク・タイムズではブラックが使われるようになった。黒人は、それぞれの場で、それぞれが戦っていた。
そんな時代、ニーナ・シモンが「ヤング・ギフティッド・アンド・ブラック」を歌う時、それは絵空事ではなかった。「若く、才能があり、そして、黒人」の悲しみ、怒りは、そこにいる皆に通じるものだ。
ステージの記録映像に、当時を振り返るインタビューが混じる。観客として参加した人の、コンサートを一言で表す言葉がある。「なんと美しかったのだろう」。唯一無二のコンサートだ。
8月27日(金)全国公開
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
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文/山口ゆかり
ロンドン在住フリーランスライター。日本語が読める英在住者のための映画情報サイトを運営。http://eigauk.com