■連載/Londonトレンド通信
8月20日公開の濱口竜介監督『ドライブ・マイ・カー』は、2014年に出版された村上春樹による短編小説集「女のいない男たち」からの同名小説を基にしている。村上は世界的作家だ。来英した際はサイン会場書店前に長蛇の列ができた。
一方の濱口は注目を集める監督だ。その作品は海外でも紹介されてきた。例えば、『寝ても覚めても』(2018)がロンドン映画祭で上映された時、「あの『ハッピーアワー』の監督」と言う記者がいた。『ハッピーアワー』(2015)は5時間17分の長尺を観せきる、忘れ難い作品だ。
その後も続々とさらなる秀作を発表、『偶然と想像』がベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を獲得したばかりだが、今回の『ドライブ・マイ・カー』はカンヌ国際映画祭コンペティション参加中と、快進撃はまだまだ続きそうだ。
さて、勢いに乗る濱口監督は、村上短編をどう料理したか。原作の短編は、俳優である家福(映画中では西島秀俊が演じる)と、家福の専属運転手となるみさき(同、三浦透子)の2人が主な登場人物だ。亡き妻に、消すことのできない苦しい思いを持ち続けている家福だが、実はみさきにも亡くした人とのつらい過去がある。短編でもあり、詳細までは語らず、読む人の想像力に任せる部分もある。
そこで、大いに想像力と創造力を発揮したのが、大江崇允とともに脚本も書いた濱口監督だ。まず驚くのは、その肉付けの厚さだ。それぞれの登場人物を、大きく発展させている。
「女のいない男たち」という小説集のタイトル通り、原作では家福の妻は既に亡い。だが、映画は女優だった妻(霧島れいか)との暮らしがどういうものであったか、けっこうな時間を割いて描いている。タイトルロールの前ではあるので、前章というところか。
妻と深くかかわっていた俳優の高槻(岡田将生)は、キャラクター設定が変えてある。原作では底の浅い人物として描かれていたのが、映画ではむしろ底の見えない人物だ。虚無的で、何をしでかすかわからないところがある。
家福の妻とのかかわりに、その後の家福との間に起こることで、見せ場も多い。
新たに加えられたキャラクターも多数いる。原作でみゆきを紹介するのは、家福が車をみてもらっている修理工場の経営者だが、映画では演劇の主催者だ。その劇を演じる俳優たちも、ストーリーを展開させるキャラクターとして登場してくる。
原作との一番の違い、また、見所ともなっているのがこの演劇だ。演目は原作でも家福が台詞を練習するアントン・チェーホフの戯曲「ヴァーニャ伯父」だが、映画では家福らが手掛ける演劇として、稽古から上演の場面まである。
日本人だけでなく、韓国人もいて、日本語、韓国語はもちろん、手話で台詞を言う俳優までいるボーダーレスな劇になっているのも感動的だ。
そして、この劇中の言葉が、そのまま救いとして響く。問いかけるべき相手を失ったことで、終わることのない失意の中にいる家福、また、みさきに、まっすぐ答える言葉だ。生きていくことが苦役となったヴァーニャ伯父にソーニャがかける言葉の、なんと心を打つことか。
原作で救いを感じさせるのは、家福とみさきの交流そのものだ。村上春樹らしく、あっさりした場面描写で深い部分での交流が暗示されるのだが、映画では、それに加え、劇が大きな役割を果たす。
映画人らしい映画化とも言えよう。濱口監督は、演劇が、広い意味でのドラマととらえれば映画も、救いになりうるとして、撮っているのだ。優れた作品を生み出し続ける理由の一端がわかった気がする。
8/20(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
(C)2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
文/山口ゆかり
ロンドン在住フリーランスライター。日本語が読める英在住者のための映画情報サイトを運営。http://eigauk.com
編集/福アニー