日本代表エース級アタッカーはなぜ関西から出てくるのか?
エースナンバー10が似合う男になってきた南野拓実
満面の笑みをのぞかせる鎌田大地(右から2人目)
2次予選・46得点の原動力となった南野&鎌田
コロナ禍の影響で延期を重ねた2022年カタールワールドカップ(W杯)2次予選が15日のキルギス戦(吹田)でようやく終わった。森保一監督率いる日本代表は8試合全勝・46得点2失点という驚異の数字を残した。
キャプテン・吉田麻也(サンプドリア)が「(実力差の大きいチームが対戦する)アジア予選の方式が現状のままでいいかという疑問を投げかけたい」と話していたが、6月7日のタジキスタン戦(吹田)とラストのキルギス戦の失点がなければ、もっと強烈なメッセージを発信できたのかもしれない。そういう意味では少し残念だ。
2次予選が始まった2019年9月のミャンマー戦(ヤンゴン)の頃を振り返ると、攻撃のアタッカー陣は堂安律(ビーレフェルト)、南野拓実(サウサンプトン)、中島翔哉(アルイ・アイン)の2列目トリオが中心だった。その後、中島が当時所属のFCポルトで試合に出られなくなり、メンバー外に。代わって台頭してきたのが、鎌田大地(フランクフルト)だった。今季ドイツ・ブンデスリーガ1部で得点・アシスト合計17という数字はそうそう残せるものではない。
「今季はリーグが始まってからコンスタントにうまく数字を伸ばせたと思います。得点が思った通りに伸びなくて、あと2・3点取れていたらパーフェクトだった」と本人も大きな手ごたえをつかんだ様子。森保一監督もその活躍ぶりを見逃さず、2018年9月のチーム発足時から南野に任せていたトップ下の位置を鎌田に託し、南野を左に回したほどだ。
先輩・原口を挟んで会話が弾む鎌田と南野
右サイドも伊東純也(ゲンク)が台頭。堂安は控えに回りつつあったが、今季ドイツ・ブンデスリーガ1部で全試合フル出場を果たし、自信を取り戻した。22日に発表される東京五輪代表メンバー18人入りは確実で、エースとしての活躍が期待される。そこでメダル獲得の原動力になれれば、今年9月から始まる最終予選の主力に返り咲く可能性も高そうだ。
関西出身率の高い日本代表アタッカー陣
森保ジャパンの現主力級である南野、鎌田、堂安に共通するのは、「関西育ち」という点。2010年南アフリカW杯から2018年ロシアW杯まで日本をけん引した本田圭佑、岡崎慎司、香川真司(PAOK)も関西出身だ。柿谷曜一朗(名古屋)が台頭してきた2013~2014年にかけては、1トップを含めた前線4枚が全員関西人という時期もあり、「なぜ日本代表アタッカーが関西から続々と出てくるのか」というのは、前々からの疑問なのだ。
ドイツで復活を果たした堂安律
「関西人はノリがいいから攻撃が向いている」「イケイケどんどんになりやすい気質がプラスに働いている」などといった見解もあるが、「多種多様な個性を認める指導者が沢山いる」というのが一番の理由のようだ。
「ジュニアユース(中学生)年代の全国大会に出ると、関東のチームの方が非常に組織的で、全員が規律を守ってハードワークをする傾向も強いと感じます。上位に躍進するのも関東が圧倒的に多い。
関西のチームはそこまで強くないし、そんなに勝てないけど、パッと目を引く個性的な選手は多い。それは子供たちのキャラクターを認め、多少荒削りでもいいところを伸ばそうとする姿勢を持ったジュニア(小学生)世代の指導者が多いからだと思います。律が育った西宮少年サッカースクール(SS)は好例でしょうね」
こう指摘するのは、本田や鎌田、堂安らをガンバ大阪ジュニアユース時代に指導した鴨川幸司氏(現ティアーモ枚方FCコーチ)。関西サッカー界ではかなりの有名人だ。
明るく楽しいサッカーで個性を伸ばせた堂安
鴨川氏が名前を出していた堂安の出身クラブ・西宮少年SSの島崎久コーチも、こんなエピソードを明かしてくれたことがある。
「律は最初から1学年上のチームでやらせていたので、体の大きさでは劣るところがありましたけど、技術やセンスは際立っていた。『自分ならではのボールの置きどころ』を持っていて、そこが魅力の1つでした。
性格的にもとにかく明るくて、いつも笑っていた印象しかないです」
自由に楽しくサッカーができる環境にいれば、発想力や創造性が養われ、いろんなアイディアを出せる選手になりやすい。得点に絡むアタッカーはよりそういう部分が重要だ。堂安は理想的なチームで子供時代を過ごせたと言っていい。
同期の冨安と笑顔で膾炙する堂安
同じく関西人の南野も、同い年の親友・室屋成(ハノーファー)とともに大阪府南端の熊取町にあるゼッセル熊取のエースに君臨。当時の一挙手一投足が今も脳裏に焼き付いて離れないと室屋はしみじみ語る。
「小学校の頃の拓実はボールを持ったら絶対に離さなかったですね。ある試合で、キックオフの笛が鳴った瞬間から一気にドリブルを仕掛けて相手チームの選手を全員抜きしてゴールしたことがあるんです。ガンガン前に突っ込んでいく拓実を見ながら『すごいな』と感心した覚えがありますね。
今回のカタールW杯予選でも7試合連続ゴールという本田選手に並ぶ記録を作りましたけど、昔からああいうキャラクターなので驚きはない。小さい頃から変わらない光景だなと思いながら見ています」
クラブでの練習とサッカースクール通いを掛け持ちした南野
その環境を用意したのが、ゼッセルの杉山恵一代表。このクラブではドリブルやフェイント、シュートなど個人にフォーカスしつつ、楽しみながら能力を引き上げるのがモットーだった。南野はここに所属しながら、さらなるスキルアップを目指してクーバーコーチングスクール平野校にも通った。最近の関東のJリーグクラブでは「自チーム以外のところで指導を受けるのは禁止」と閉鎖的環境を好むところも多いという。
幸いにして、南野は沢山の大人と関わりながら、多様性や対応力を身に着けることができたのだろう。リバプールでユルゲン・クロップ監督の下、モハメド・サラーやサディオ・マネ、ロベルト・フィルミーノらと共演しようと思うなら、幅広い適応力は必要不可欠。そのベースは少年時代に養われた部分が大なのだ。
最終予選は前線アタッカー陣の活躍にかかっている
トップ下をつかんだ鎌田は高度な技術と挫折経験が強み
一方の鎌田は小学校時代は愛媛で育ち、キッズFCというクラブで育った。
「キッズはパスをつないだり、ドリブルしたりと基本的な技術練習を毎日繰り返すクラブ。技術面では間違いなく愛媛で一番。あそこで得たスキルは僕の財産です」と本人もしみじみと語る。「芸は身を助く」ではないが、明確な武器を研ぎ澄ませることも、将来の成功につながるのだろう。
鎌田の場合、もう1つ重要なのは、挫折経験だ。中学からガンバ大阪で鴨川コーチらの指導を受けることになったが、体が小さくひ弱だった。同期には井手口陽介(G大阪)らタレントが多く、メンタル的にも不安定になりがちで、ユース昇格が見送られてしまう。それは本田圭佑や昌子源(G大阪)と同じ。ただ、鼻っ柱の強いエリートの中で生き抜くだけが人生ではない。「挫折は早いうちにした方がいい」と本田が言うように、鎌田も東山高校に進んでからブレイクした。回り道もムダではないのだ。
「律や大地も多少、やんちゃなところがありますけど、やんちゃ坊主の方がサッカー選手として大成しやすいと僕は思います。ただ、そういう子供をどう扱うかが難しい。今の時代はちょっとしたことでも『あそこの指導者はなってない』と言われますから、本当に難しいですけど、多少のことには目をつぶって個性や長所を伸ばす方向に指導者が持って行けるかどうかが大事。もちろん法に触れることや他人に迷惑をかけるようなことは絶対にダメですし、厳しく叱るべきですけど、ピッチの上ではできるだけ自由に楽しくさせた方がいい。そう考えるコーチが関西には比較的多いような気はします」(鴨川コーチ)
ひょうきんな一面もある鎌田
この傾向が続けば、この先も関西から怪物アタッカーが続々と出てくるということになる。本田、南野、鎌田、堂安の次は誰なのか。それとも関東の復権、九州の台頭などがあるのか。その勢力図も楽しみつつ、日本代表の今後の戦いを見ていくのもまた一興だ。
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。