秋田で食べた〝執念の1枚〟
2019年10月某日、事件は起きた。
その日、ニューアルバムのキャンペーン、そして翌月に控えたコンサートツアーのPRのため、スタッフと一緒に東北へ向かっていた。14〜15年前から僕は昼にお蕎麦を食べることを習慣にしている。蕎麦屋めぐり47都道府県コンプリートまで残りわずか。東北を制覇する絶好のチャンス! 僕たちは秋田県に到着したその足で「手打蕎麦かとう」というお蕎麦屋さんへ行く段取りだった。
お目当ては、東北でよく目にする太打ちの田舎蕎麦。田舎蕎麦の特徴は「挽きぐるみ」の蕎麦粉を使っていること。胚乳の中心部を使った真っ白な蕎麦粉を「更科」と呼ぶのに対し、甘皮まで使った挽ぐるみは、表面はザラッとしているが香りや風味を強く感じられる。中でも「手打蕎麦かとう」の田舎蕎麦は、つなぎを使わない十割蕎麦! 〝秋田市内随一〟ともいわれるコシの強さが評判で、口コミサイトの評価は上々。しかも宿泊先から徒歩2〜3分の好立地! ここしかない! と直感した。
ホテルを出てすぐの交差点に差しかかると、目と鼻の先に「手打蕎麦かとう」の看板が見えた。心躍る瞬間だ。だが、その時、信号が赤に変わった。暖簾をくぐる2人のお客さんの姿が見えた。少し嫌な予感がした。軒下の木札が裏返る──〝準備中〟。焦ったマネージャーは店内へ駆け込み「1人分だけでもありませんか?」と粘ってくれたのだが、ない袖は振れないのだ(涙)。
しかし、翌月からツアーが始まる。絶対にリベンジだ!と心に誓い、秋田を後にした。
翌月、僕たちは「手打蕎麦かとう」の店内にいた。待ちかねた『田舎ざるそば(冷)』が目の前にある! 蕎麦をすすった瞬間、体中を〝うまい〟が駆けめぐった。挽きぐるみの蕎麦なのに喉ごしはよく、豊かな風味が口の中いっぱいに広がる。あまりの感動に、苦い思い出が一気に吹っ飛んだ!! これは忘れられない1杯になる。そんな確信とともに蕎麦を噛み締めた。
その夜の公演は大盛況! ありがとう、秋田! そして「手打蕎麦かとう」さん、ご馳走さまでした。
『田舎ざるそば(冷)』830円
手打蕎麦かとう
[住]秋田県秋田市中通3-4-60 [電]018・835・8690 [休]木曜
文/池森秀一
いけもり しゅういち DEENのヴォーカリスト。1993年に『このまま君だけを奪い去りたい』でデビュー。乾麺蕎麦商品をプロデュースするほか、2020年9月に蕎麦専門YouTubeチャンネル『信州戸隠 池森そば 赤坂店』を開設。芸能界きっての蕎麦好きとして有名。
※「池森秀一の蕎麦ログ」は、雑誌「DIME」で好評連載中。なお、本記事はDIME5月号に掲載されたものです。