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植物一筋!植物学の父・牧野富太郎の直球人生を振り返る

2021.04.11

高知県立牧野植物園所蔵

高知の偉人といえば坂本龍馬。同じく土佐勤王党の中岡慎太郎に武市瑞山。三菱を築いた岩崎弥太郎。自由民権運動の板垣退助の名も歴史の教科書で何度も目にしたことがあるはずだ。では、牧野富太郎はどうだろう?

植物一筋!

植物学を志す者にとって牧野富太郎(1862~1957)は神に近い存在である。日本中の野山々を歩き、生涯に収集した標本の数が約40万枚。新種や新品種命名など1500以上の植物を命名するなど、日本植物分類学の基礎を築いた人物だからだ。

東京大学講師、理学博士(東京大学)、日本学士院会員、東京都名誉都民、文化勲章受章(没後)といった肩書を知るだけでもひれ伏しそうになるが、本当のスゴさは植物一筋に突っ走っていった“ひたむきさ”にあると声を大にして言いたい。その実直かつ破天荒な生き様を知れば知るほど、ぐいぐい牧野ワールドに惹きこまれてしまうはずだ。
*東京大学の名称は時代により異なるが、ここでは東京大学に統一しています。以下同。

実は小学校中退。なのに教員に

牧野富太郎が生まれたのは江戸時代末期の文久2(1862)年。坂本龍馬が土佐藩を脱藩した1か月後、現在の高知県高岡郡佐川町で酒造と雑貨を営む裕福な商家の一人息子として生を受けた。

10歳で寺子屋、11歳で塾通い+郷校+英語学校で学び、12歳で小学校に入学するも、そこでの授業は彼に物足らないものばかりだったようだ。14歳で自主退学すると、野山での植物採取にのめりこんだ。

高知県立牧野植物園所蔵

ところが翌年、その退学したはずの小学校で臨時教員として働きだしたというからおもしろい。その後、17歳まで教員を続けながら植物採取を精力的に行ない研究に没頭。やがて植物学へのあくなき探求心から顕微鏡や高価な書籍を購入し、著名な植物学者に会いに行くなど、行動範囲は次第に広がっていく。実家が裕福という背景があったとしても、ひと筋に何かを突き詰める情熱には驚かされる。

東京大学に押しかける

そして22歳のある日、上京すると当時植物学研究の最先端だった東京大学理学部の植物学教室に押しかけ、初代植物学教授の矢田部良吉に熱く植物愛を語った。いわば、高知の田舎から出て来た自称研究者の若造が、東京大学の大先生に論戦を挑んだようなものだ。

本来なら門前払いかつまみ出されるだろうに、あまりの博識ぶりに以後、教室への出入りが許された。押しかけた方も、認めた方もあっぱれといえよう。

それから水を得た魚の如く、東京大学に出入りしながら各地で植物採取と研究を続け、さらに印刷技術も学び、26歳で「日本植物志図篇」を刊行した。それは彼の研究の成果が詰まった手作りの自費出版であり、自筆の植物図の細密さなどは各方面から称賛された。

高知県立牧野植物園所蔵

新種発見と結婚

植物学一筋とはいえ、極端な堅物ではない。26歳の時、東京で出会った小澤壽衛(すえ)と結婚すると、居を東京の根岸に移した。2年後、江戸川の河川敷において世界的にも貴重な食虫植物を発見すると、「ムジナモ」と命名。植物学界での名声はさらに高まった。

高知県立牧野植物園所蔵

しかしそれは逆に妬みの原因ともなり、彼を認めてくれたはずの教授から大学への出入りを禁止されてしまった。普通ならここでかなり落ち込むだろうに、植物学への情熱は消えることなく独自で研究を続けている。

すると3年後、31歳の時に教授が変わると東京大学に呼び戻され、助手として採用されている。

借金まみれの生活

助手としての給料はかなり安いのに、研究に注ぎ込むお金は莫大だった。惜しげもなく使うので借金は膨らむばかり。それでも各地を周り、ひたすらに植物採取をしながら標本を作り、分類していく作業に没頭する。

植物採取の際は、まるで恋人に会いに行くがごとく身支度を整え、列車も旅館も最高のものを利用した。一方、日常生活はというと質素、というより貧乏そのもの。

妻の壽衛がなんとか内助の功で支えていたが、借金は膨れ上がり、借金取りが家まで押しかけてくることもしょちゅう。

どう考えても万事休すの状態なのに、彼の才能を高く評価する周囲の人々の努力により、同じ郷里の岩崎家(三菱創業家)が借金を清算してくれたこともある。それでもさらに借金は膨らみ、都度、どこからか救世主が現れるの繰り返しだった。

名声に興味なし

50歳で東京大学の講師になってからも精力的な研究は続き、65歳の時、大学から理学博士の学位を受けた。本人は博士なんてどうでも良かったと伝えられているが、周囲の強い勧めで仕方なく受けたとの話も残っている。

高知県立牧野植物園所蔵

そう、彼の頭の中には植物のことしかなかったのだ。その正直な気持ちは、彼が作ったこんな都々逸(どどいつ)にも表れている。

“草を褥(しとね)に木の根を枕 花と恋して五十年”
*最後の一節が「九十年」のものもある

妻への感謝を表す方法

先の都々逸は全ての愛情を植物に捧げているとも受け取れるが、妻の壽衛が亡くなった時、彼は前年に仙台で発見した笹に「スエコザサ」と命名。彼なりの感謝の気持ちを表した。また、壽衛の墓碑には

家守りし妻の恵みやわが学び
世の中のあらん限りやスエコ笹

と刻まれている。

こんな言葉が出てくる人だからこそ、壽衛も彼を支えることができたのだろう。

今も伝わる植物図鑑

1940(昭和15)年、78歳の時に彼の情熱が注ぎ込まれた「牧野日本植物図鑑」が世に出た。この本は現代も色あせることなく、植物学を学ぶもののバイブルとなり、近年ではインターネット版を見ることもできる。

https://www.makino.or.jp/fixed/?page_key=dr_makino-book

高知県立牧野植物園所蔵

牧野富太郎は1957(昭和32)年、94歳で生涯を終えている。晩年は床にふせっていることが多かったが、それでも植物の写真を眺めていたという。

朝ドラに牧野富太郎を!

牧野富太郎の研究の成果を見ることのできる施設は、高知市の「高知県立牧野植物園」や東京の「練馬区立牧野記念庭園」などがある。また、生まれ故郷の佐川町には「牧野公園」や、生家跡地に建てられた「牧野富太郎ふるさと館」もあり、植物ファンならずとも立ち寄ってみたい場所だ。

牧野富太郎ふるさと館

なお、生まれ故郷の高知県佐川町では2018年に「朝ドラに牧野富太郎を」の会が結成され、地道な署名活動を行っている。実現されれば、とてつもなく面白いものになるに違いない! 興味のある方はこちらからどうぞ。

朝ドラに牧野富太郎を https://www.town.sakawa.lg.jp/life/dtl.php?hdnKey=1903

電子署名フォーム(QRコード)

高知県立牧野植物園 https://www.makino.or.jp/
練馬区立牧野記念庭園 http://www.makinoteien.jp/index.html

写真協力:高知県佐川町役場/高知県立牧野植物園

取材・文/西内義雄
医療・保健ジャーナリスト。専門は病気の予防などの保健分野。東京大学医療政策人材養成講座/東京大学公共政策大学院医療政策・教育ユニット、医療政策実践コミュニティ修了生。高知県観光特使。飛行機マニアでもある。JGC&SFC会員

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