『孔子の教え』という映画にもなった中国春秋時代の思想家・哲学者である孔子。彼は、釈迦やソクラテスとともに世界の4大聖人「四聖」に数えられ、儒教の始祖を築いた。歴史の授業で習うので名前を知っている人は多いのではないだろうか。彼の残した言葉は人生の真理を突いているとされ、2,500年以上経った今でも広く用いられている。
本記事では、意外と知られていない孔子の人物像や、現代にも通じる孔子の名言について解説する。
思想家として有名な孔子、その生涯と残した名言
孔子は74年の生涯の間に3,000人もの弟子を持ち、自らの教えを説いた。多くの弟子に尊敬された孔子がいったいどんな人物だったのか、残した名言と併せて紹介していこう。
孔子とはどんな人物?その生涯は
孔子は春秋時代末期、魯(ろ)に生まれた。3歳の時に武将だった父を亡くし、幼少期から貧しい生活を送ったとされる。しかし、恵まれない境遇の中で勉学に励み、次第にその名が知れるようになった。
やがて孔子は役人となり、職に従事するかたわらで弟子を募って精力的に教育活動を行う。50歳を過ぎた頃、魯の宰相代行として数々の改革を試みるが失敗。職を辞したのち、徳によって世の中を治めることを目的に数人の弟子と共に旅に出る。
だが、当時の世の中は「国益のためなら非道徳的な行為も許される」という考えが主流であり、孔子の考えは理解されなかった。68歳で帰国した孔子は弟子の育成に励み、彼の死後、孔子の教えや弟子に説いた言葉が弟子たちによってまとめられたものが有名な『論語』だ。英語や日本語をはじめさまざまな言語に訳され、人生の指針として多くの人に影響を与えている。
孔子が残した名言
孔子の名言の中でも、人間が年齢を重ねる節目ごとの指標や志を説いた言葉は有名だ。
原文では「吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩」と表記するこの言葉は、現代語訳は「私は15の時に学問を志し、30にして基礎ができて自立した。40にして心に迷うことがなくなり、50にして自分が天に与えられた使命を自覚できた。60にして人の言葉に素直に耳を傾けられるようになり、70にして自分の思うように行動しても人の道を踏み外すことがなくなった」。
簡単に言うと、人間は長い年月をかけて成長していくもので、それぞれの年齢で少しずつ人生の課題をクリアしていくことが必要とする。この教えが由来となり、40歳を表す言葉として「不惑」を使うこともある。
孔子が説く「仁」とは
孔子の思想の根本となる考えに「仁」がある。仁とは「他人に対する思いやりの気持ちや優しい心」を表し、後述する儒教の教えの中でももっとも重要な「五常の徳」の一つ。ただし、孔子自身は仁について明確な定義を行っていない。言い換えれば、すべてのものに通じる根源的な愛を意味するものとして認識していたと考えられている。
孔子の思想が綴られた『論語』
孔子の思想がまとめられた『論語』は、儒教の考えを生み出し、中国だけでなく日本にも大きな影響を与えた。人生に迷った時の指針となるような、多くのヒントが詰まっている。
論語は儒教の経典
儒教は、孔子の教えをもとにして発展した信仰。人は「仁・義・礼・智・信」の「五常の徳」を守り、「父子・君主・夫婦・長幼・朋友」の関係を維持しなくてはならないとするのが基本の考え方で、親や年長者を重んじ、礼儀を守り、誠実であることがもっとも重要とされる。理想の政治を実現するための思想として発展し、現在も東アジア各国で強い影響力を持つ。
日本と論語の深い関わり
日本に論語が伝わったのは5世紀ごろ。日本最初の書物と言われる『日本書紀』が誕生したのは712年なので、日本人が手にした最初の書物が論語であったとされている。
論語の考え方は日本人にも広く受け入れられ、聖徳太子が制定した17条憲法の中の一文にも論語をもとにした「和をもって貴しとなす」がある。その後、江戸時代には儒教を学ぶ「朱子学」が正式な学問として確立し、武士だけでなく庶民の間にも論語の考え方が浸透した。
第二次世界大戦中、儒教をベースにした「教育勅語」が軍国主義に利用されたことから、戦後には論語の教えも一時的に敬遠された。しかし近年、経営者やビジネスパーソンの間で再び注目が集まっている。
現代にも通じる孔子の思想
論語には、これまで紹介したもの以外にも仕事や日常生活の中で参考になる格言が数多くある。代表的なものをいくつか挙げてみよう。
・之れを知る者は之れを好む者に如(し)かず。 之れを好む者は之れを楽しむ者に如(し)かず。
この言葉は、「天才は努力するものに勝てず、努力するものは楽しむものに勝てない」とする意訳が有名。つまり、「その道の天才でも一生懸命努力するものにはかなわない。しかし、辛く厳しいばかりの努力では、それを楽しんでやる人にはかなわない」を意味している。何かを達成したいと思った時、ただがむしゃらに努力をするのではなく、努力を楽しめるほどに好きになるのが大切という教え。
・過(あやま)ちを改めざるこれを過(あやま)ちという
これは、「間違うこと自体が過ちなのではなく、間違っているとわかっていてもそのままにしておくことが過ちである」を説いたもの。大きな失敗をした時にただ悔いるのではなく、同じことを繰り返さないよう行動することが大事である、とする言葉。
文/oki