『痘痕も靨(あばたもえくぼ)』とは、「好きな相手であれば多少の欠点すらよく見えてしまう」という意味のことわざです。何となく使っている人もいるかもしれませんが、正しい意味や語源を知って理解を深め、会話にも取り入れてみましょう。
「痘痕も靨」とは
『痘痕も靨』は恋愛に関する有名なことわざの一つです。意味をしっかりと理解して、適切に使用できるようになりましょう。
欠点さえもかわいく見えること
『痘痕も靨』とは「好きになった相手なら、欠点でさえ長所に見えてしまう」という愛情の深さを示す言葉です。
『痘痕(あばた)』は、天然痘という皮膚病に感染したあとに残る皮膚のくぼみのことをいいます。天然痘は1980年にWHOより根絶されたと発表され、近年では痘痕を見る機会はほぼなくなりました。
そのため、現在は痘痕に似た吹き出物の痕を指すこともあります。
本来なら醜く見える痘痕が、かわいい靨(えくぼ)に見えてしまうほど、相手にゾッコンである状態をたとえているのです。
「痘痕も靨」の語源
先述の通り、『痘痕』は天然痘に感染したあとの皮膚に残る痕のことです。
天然痘はかつて世界的に広がっていた感染症で、致死率が高く、回復したとしても皮膚にぶつぶつしたくぼみが残る厄介な病でした。
特に女性は、昔から顔に傷を付けてはいけないと言われてきました。女性の顔に痘痕ができてしまった場合、強いコンプレックスになることは想像に難くありません。
しかし、たとえ醜い痘痕が顔にあったとしても、惚れた側にとっては靨にしか見えないほど相手のことがかわいく映っているというのが、『痘痕も靨』という言葉の表すところです。
語源そのものは不明で逸話なども確認できませんが、江戸時代の文学作品に『痘痕も靨』を用いた表現が散見されるなど、いつからともなく使われるようになった言葉のようです。
「痘痕も靨」の正しい使い方
『痘痕も靨』の意味を理解できたら、日常会話で適切に使えるようになりたいところです。正しい使い方も知っておきましょう。
こんなときに使おう
『痘痕も靨』の使用例としては、以下のような使い方が挙げられます。
- 私には、彼の欠点も『痘痕も靨』でかわいく見える。
- 彼女には、彼のだらしなさも大らかだと映るらしい。まったく『痘痕も靨』だよ。
このように、「他人の評価など気にならないくらい相手に夢中である」というときに、ぜひ使ってみましょう。
「痘痕も靨」の類語
『痘痕も靨』の類語として、『屋烏の愛』『恋は盲目』といった言葉が挙げられます。これらは完全な同義語ではなく、少しニュアンスが異なるので注意が必要です。
それぞれの意味を理解し、適切に用いるようにしましょう。
「屋烏の愛」
『屋烏(おくう)の愛』とは、好きな人の家の屋根にとまる鳥まで愛しく見えるほど、その人のことを愛している状態をいいます。
「好きな人に関係する全てのことが愛しく見える」という、非常に深い愛のことです。どちらかというと、『痘痕も靨』より成熟した愛を表現するときに使われます。
「恋は盲目」
『恋は盲目』とは、「相手にのめり込みすぎて理性を失い、分別を失っている状態」のことをいいます。
相手のことを愛するあまり周りの忠告も耳に入らず、世間的に評判のよくない人との交際に夢中になったり、他の全てを犠牲にして相手に尽くしたりする様を表します。
『痘痕に靨』に比べて、ネガティブな意味で使われることが多い言葉です。
「痘痕も靨」の対義語
『痘痕も靨』の対義語として挙げられるのは、『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』『親が憎けりゃ子も憎い』といった言葉です。
二つとも、相手を憎むあまり、関係のないものまで憎しみを広げてしまう様子を表します。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』とは「相手のことを憎むあまり、その人に関わること全てが憎らしくなること」をいいます。
袈裟(けさ)とは僧侶が身に着ける衣装の一部で、左肩から右脇下にかけてまとう布のことです。
坊主が憎いとされるのは、江戸時代の寺請制度によって幕府の出先機関となった寺の僧侶たちが、本来の宗教活動を疎かにして汚職に走り、民衆に憎まれていたことに由来します。
欠点はもちろん、直接関係のないものにまで憎しみを向けているので、欠点さえ美点に見える『痘痕も靨』とは正反対の言葉です。
「親が憎けりゃ子も憎い」
『親が憎けりゃ子も憎い』とは「親のことが憎いと、何の罪もないその子どもまで憎らしく見えてしまう」という意味のことわざです。
親同士のトラブルが原因で、子ども同士が遊ばせてもらえなくなるというのは、現実にもよく聞く話です。憎んでいる相手の子どもだからと、子どもを親と同一視して憎しみを向けてしまうのです。
子どもと親は別の人間だと冷静に考えられなくなるほど、憎しみに駆られている様子を表しています。
相手の醜い点もよく見える『痘痕も靨』に対し、本当は憎むべき対象ではない子どもまでも憎んでしまう『親が憎けりゃ子も憎い』は、対局にある言葉といえるでしょう。
構成/編集部