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「鬼滅の刃」の鬼の病名、実は○○だった!?

2021.01.17

医師がすすめるカラダにイイこと!教えてDr倉田大輔

『鬼滅の刃』(原作:吾峠呼世晴)は、2016年から2020年まで『週刊少年ジャンプ』(集英社)に連載され、単行本・アニメ・映画・関連グッズなどが人気を博しています。

『鬼滅の刃』とは、家族を鬼に殺され唯一生き残った妹(竈門禰豆子)も鬼となった主人公の少年(竈門炭治郎)が、鬼に殺された家族の仇を討つため鱗滝左近次の元で修業し、鬼殺隊に入隊。仲間たちと共に鬼を倒していく物語です。

原作などでは書かれていない部分や、原作者の想いと異なる部分もあるかもしれませんが、『鬼滅の刃』に登場した鬼(鬼舞辻󠄀無惨など)に関して筆者は、本作品のファンである医師の立場から考察してみました。「いち医師が考える鬼と鬼対策」として気軽にお読み下さい。

鬼とはどういう存在か?

『鬼滅の刃』で鬼は、

1.鬼の始祖:鬼舞辻無惨とその直属の「十二鬼月」をはじめとする鬼たち→鬼殺隊の敵

2.鬼でありながら鬼の研究をし、禰豆子を戻す手助けをする女医「珠世」と、珠世を慕う鬼の青年「愈史郎」→鬼殺隊の味方

といった2種類に分類されます。

日本で「鬼」が書物に登場したのは西暦600年前後とされ、出雲国風土記や日本書紀などに記述されています。

鬼は「隠れて身を現わさない“隠(おん)”のなまり」とされていますが、見えない恐怖の象徴として、古くから恐れられていました。

平安時代について私たちは、枕草子や源氏物語などにより十二単など雅やかなイメージで捉えています。しかし、天皇や貴族など王朝人は、花鳥風月を愛でる優雅な生活を送る一方で、怨霊や物の怪・鬼などの出没に恐れを抱いていました。

大江山の酒呑童子など有名な鬼たちもおり、源頼光と四天王による鬼征伐が広く知られています。

私たちがイメージする「鬼」は、本当に都を跳梁跋扈していたのでしょうか??

私は「鬼や鬼とされた人々」には3つのケースがあると考えています。

1.ほかの人と容貌形態が異なる人

2.言語や風貌が異なる地方豪族・先進的な科学技術を持つ渡来人(外国人)など

3.政治闘争の敗者や犯罪行為などで土地を追われた人、反政府勢力など

元号を変えるほど日本を悩ませた「天然痘(疱瘡)」は、江戸時代後半から「種痘」が広がり人類が克服できたほぼ唯一の感染症です。

「天然痘」に罹ると命を落とすか治ったとしても「顔にひどい痘痕(あばた)が残る」ことがあり、病気の原因や知識を知らない昔の人は、「鬼や鬼の仕業」と思われたかもしれません。

平安期に政治の中枢であった京都(平安京)周辺へ、集中して鬼が出没したり人々と遭遇しているのは、非常に不思議なことです。

平安時代という戦乱から離れて暮らした人々が、自分たちと異なる容貌や文化・思想を受けいれなかったことも、鬼という存在を生み出す原因になったのかもしれません。

鬼舞辻無惨が鬼になるきっかけの病気??

『鬼滅の刃』では、1000年以上前の平安時代、死を待つばかりの身体に医師が処方したある薬の作用で鬼になり、鬼舞辻無惨が誕生したとするようです。処方した医師は鬼舞辻無惨に殺されました。

鬼舞辻無惨と配下の鬼に主人公たちは苦しめられ、戦いの最中で傷つき犠牲となる人々も沢山います。

私は現代医学の知識で鬼舞辻無惨と対峙する方法として、限られた作中情報から「鬼舞辻無惨を鬼にさせない<苦しめた病気を治す>方法」を考えてみました。

平安時代に医師の診察・治療はごく一部の人たちしか受けられなかったようです。そこから推測すると、鬼舞辻無惨は貴族階級の中でも上位にあり、かつ経済的に恵まれた環境で生活をしており、当時の最高水準の医療を受けていたと考えられます。

ここで、当時の医学教育体制をご紹介します。

平安時代の医学教育体制

平安時代前後の医師教育は、宮内省内「典座寮」(てんぞりょう:現代の厚生労働省と大学医薬部・附属病院の機能を持つ)で行われていたようです。

「医学生」(医針生:13歳以上16歳未満が入校)は典座寮で基礎教育2年、その後それぞれ専門課程として、内科を7年、外科を5年、小児科を5年、耳鼻科眼科歯科を4年、針を7年学び、その後「医得業生」(現代の大学院に相当)で約7年を経て、およそ16年間を修学して医師(医官)になります。

入学から順調に進んで29歳から32歳なので、医学部で6年間学び24歳で医師になれる現代よりも必要な勉強量は多かったのかもしれません。

医官は役人ですが、昇任昇格に関する勤務評価は患者側に委ねられていました。ある医師から治療を受けた人は治療状況や治療効果などを宮内省に報告する必要があり、患者側が医師の技術や能力評価を行っていたそうです。

平安時代の文学作品「源氏物語」などでは、医師が脈を診る・投薬するという少し地味な場面より、陰陽師や巫女が病気の原因である物の怪らと戦う派手な場面が多く登場しますが、これらはあくまで作品の演出と考えた方が良さそうです。

感染症(伝染病)などは原因物質を特定する正確な診断技術や治療法もありませんでしたが、人から人にうつるという病気の概念はおぼろげに知られていたようです。
 
ではここで、鬼になる前の鬼舞辻無惨を苦しめた病気を推測してみましょう。

『鬼滅の刃』で鬼舞辻無惨は、人間時代20歳まで生きられない病気とされたが、主治医が苦心して治療したものの、悪化していったようです。(病床にある食膳に手が付けてはいない。医師と身長差が無いことから20歳は越えていた?)。

作中で症状の詳しい記述はありませんが、徐々に衰弱していく病気のようです。

これらの情報も踏まえ、鬼舞辻無惨を悩ませた病気は、白米主体であった平安貴族の食生活、病気が比較的緩やかに進行したことなどから、「衰弱」(beri:スリランカ語)という言葉から名付けられた「脚気」(かっけ:beriberi)の可能性が高いと私は考えます。

脚気とは??

「脚気」はビタミン欠乏症(ビタミンB1欠乏症)が原因で、「全身のむくみ、心不全、多発する神経炎」が3大症状です。

日本の一般社会に主食として白米(精米過程で除かれる糠にビタミンB1が豊富に含まれる)が普及した江戸時代から流行を認め、大正時代には結核と並ぶ2大国民亡国病と言われるほど一般的な病気でした。

1910年代にビタミンB1欠乏が原因とわかり栄養や食事改善で患者は減少し、現代日本では後述するケースを除き、まれな病気になりました。

ビタミンB1は「玄米、豚肉、牛肉、大豆、鮭」などに多く含まれています。

日本初の脚気患者は「日本武尊」といわれ、日本各地を平定する中で「脚気」により足が腫れ、杖をつかなければ歩けないほど衰弱し、最終的には心不全(衝心脚気:<脚気心>)で亡くなったようです。

脚気は奈良時代頃には現れ平安時代の貴族に沢山発生し、鎌倉時代や戦国時代には減ったものの江戸時代に再び増えるという、戦乱の世には少なく、太平の世に多い病気です。

太宰府天満宮(天神様)で知られる菅原道真、徳川3代将軍家光・13代将軍家定・14代将軍家茂が脚気のために命を落としています。

白米を常食しながらも副食の栄養価(ビタミンB1など)はあまり考慮されていなかった、貴族や将軍など社会的地位の高い人々を悩ませていました。

大豆はビタミンB1を豊富に含む食材ですが、平安時代には、きな粉を子供が食べると命を落とすという迷信があったことは非常に残念でなりません。

脚気は過去の病気か??

1920年代、脚気による死亡者は毎年約2万人前後でしたが、近年は激減しています。

死亡者は激減しても、アルコール多飲やインスタント食品の過剰摂取・野菜摂取が少ない場合など食生活の乱れで生じるため、「脚気」は過去の病気ではなく現代でも忘れてはならない病気です。

さらに乳幼児の体調不良時にイオン飲料水(スポーツドリンク)を与え過ぎることによるビタミンB1欠乏症も2010年頃から小児科医の間で問題視されるようになっています。

私は、『鬼滅の刃』の鬼殺隊に入隊することは出来ず、剣の達人「柱」になる力量もありません。それでも、もし1000年前の平安時代にタイムスリップし鬼になる前の「鬼舞辻無惨」に会えたなら、きな粉などビタミンB1を多く含む食材を与え、栄養や食事改善をすることで鬼化を防ぐことに貢献できるかもしれませんね。 

取材・文/倉田大輔(池袋さくらクリニック院長)

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