『死神の棋譜』
著/奥泉 光 白水社 1750円
奥泉光くらい、ジャンルの壁をやすやすと飛び越える作家も珍しいのではないか。純文学の数多くの賞のタイトルホルダーであると同時に、柴田錬三郎賞というエンターテインメントの優れた作品に与えられる賞も受賞。実際、SFやミステリの枠組みを借りた作品は数多く、ユーモアミステリーの『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』はテレビドラマ化もされたほどだ。
その奥泉の趣味がフルートと将棋。音楽小説はすでに発表している氏が、棋聖と王位を獲得して最年少二冠に輝き、最年少八段昇段を決めた藤井聡太おかげで盛り上がりに盛り上がっている将棋界を放っておくはずがない。というわけで出たんです、将棋ミステリーの『死神の棋譜』が。
不詰めから始まる謎を解き明かせるか?
主人公は藤井八段とは違って、プロにはなれず、奨励会を退会後は編集プロダクションに勤めながら将棋関係の物書きをしている〈私〉。2011年5月、羽生善治三冠に森内俊之九段が挑戦した名人戦の真っ最中に、ある「図式」が見つかったことから物語は不穏な空気をまとって滑り出す。図式とは、すなわち詰め将棋のこと。しかし、年齢制限で奨励会を退会になりながらもプロ入りを諦めない夏尾裕樹が見つけたという、将棋会館近くにある鳩森神社の将棋堂に突き刺さった弓矢に結んであった図式は、不詰めだったのだ。
図式に過敏に反応したのが、〈私〉同様やはりプロ入りの夢は果たせなかった、先輩物書きの天谷敬太郎。その図式を見るのは2度目なのだと明かした天谷は、1989年にまで遡る昔話を〈私〉に聞かせる。当時31歳で、プロ入り最後のチャンスとなる三段リーグ戦を戦っていた天谷は、同門の後輩・十河樹生から、矢柄が黒く、赤い矢尻と矢羽根がついた弓矢と図式を見せられたのだという。その後、リーグ戦をすっぽかした十河は奨励会を退会して姿を消してしまう。気になった天谷は十河の実家を訪ねてみるのだが——。
ここまでは物語のほんのとば口。大正から昭和の初め頃に存在した「棋道会」別名「魔道会」が、有力棋士のもとへ投げ込んだという不詰めの図式を結んだ弓矢。その不詰めを解いた者だけが打つことができるという将棋「龍神棋」。棋道会が本拠地にしていた北海道は岩見沢近くの姥谷。その龍の口の奥に広がると伝えられる、棋道奥義の書が祀られた祭壇と将棋盤を象った金剛床からなる神殿。
そんなこんなのオカルトめいた図式の謎に、十河のように姿を消してしまった夏尾の行方を追う〈私〉がどんどん、どんどん、からめとられていくさまが臨場感たっぷりに語られていくのだ。しかも作者は、龍神棋に魅入られてしまう将棋指しの物語に、戦時中、姥谷の坑道に隠された特務機関による隠匿物資のエピソードや、美貌の女流棋士との不詰めの恋、神経を病んでいく〈私〉が見る夢か現か判然としない幻想を絶妙に絡め、二転三転する謎解きの妙まで用意。さすがは純文学とエンタメ双方の貌を持つ文学界のヤヌス神! 将棋の指し方がわからなくても楽しめるミステリーになっている、万人におすすめできる逸品だ。
■ 豊崎由美/ようやく涼しくなってきましたが気は晴れず、老いた愛猫が大病を患っているので鬱々とする日々を送っております。読書が気晴らしになることもなく、曇天の日々……弱音すみません。
新しい何かを求めて成功をつかむ〜編集部イチオシの3冊〜
実はわかりやすいマナー集でもある
『よけいなひと言を好かれるセリフに変える言いかえ図鑑』
著/大野萌子 サンマーク出版 1400円
ハラスメントになったり、不快にさせたり。無自覚に言葉を使うことで、トラブルを呼ぶこともしばしば。本書は挨拶、社交辞令、叱り方、SNSなど様々なシチュエーションで好感を得られる言い方を伝授してくれる。
場所は変われど、美味は愛され続ける
『幻のアフリカ納豆を追え!そして現れた〈サピエンス納豆〉』
著/高野秀行 新潮社 1900円
納豆は日本特有の食べ物ではない。アジアやアフリカでも食べられているのだ。本書は前作の『謎のアジア納豆』に続き、ナイジェリアやセネガルなどアフリカ各国と韓国で納豆を追いかけた、粘り腰の冒険譚だ。
書き散らすから書いて信頼されるへ
『自分の名前で仕事がひろがる「普通」の人のための SNSの教科書』
著/徳力基彦 朝日新聞出版 1400円
ネットとリアルを隔てず発信。その内容は蓄積され、やがてそれは信頼となり、新たな成功につながっていく……ゆえにビジネスマンこそSNSを活用すべしと説く。もちろん、これからSNSを始めたい学生にも◎。
文/編集部