
虹の橋を渡る日まで
「マテだからね、待て、じゃ、行ってきまーす」と兄が犬の前にビスケットを置いて職場の小学校に行く。
犬はその前でピコピコ尾を振りながらビスケットと玄関を出る兄を見ていた。可哀想に。
犬は兄が帰るまで兄の差し出したビスケットを食べずに我慢している。そして、夜遅く、兄が帰ってきて、残っていたビスケットを指さすと、嬉しそうに食べるのだ。7時に家を出て9時に帰ってくるまで約14時間、兄との約束を守る。
以前、可哀想に思った母が「ほら、食べていいのよ、召し上がれ」と兄が玄関に置いたビスケットを差し出したら、顔を背けて悲しそうにクーンと鳴いた。健気な犬なんだ。
母は玄関のビスケットを見て「なんであの子はああいう可哀想なことをするのかしら」とため息をつく。先日、出張に行って帰ってきてもまだ残っていたビスケットを見て、「この犬はバカワイイやつだね」と言って、母に酷く叱られていた。
「それはバカワイイじゃなくて、純真で健気と言うの。ワンコ君はもらえるまで、あなたの指示を待ってたのよ。バカなのは、あなたの方です。学校の先生なのに言葉も知らないのね」と母はぶりぶり怒っていた。
私もその件に関しては、全面的に母の意見に賛成だけど、それでも、兄が「長時間マテ」をやりたくなる気持ちは、ちょっとだけ理解できる。教師という仕事がどれほど大変でストレスをためるか、専業主婦の母も、会社員の父も想像できないだろう。ピアノ教師の私だけが、何となく理解できるのだ。
犬は家族が大好きで、いつだって上機嫌なトイプードルだ。トイプーらしい性格の良さで、私達の心を癒してくれる。どんな時も上機嫌で、楽しいことを探す天才だ。そして、虹の橋を渡る日まで、全力で生きている幸せを味わう。表裏の無い犬の存在が、私達家族を支えている。
自宅でピアノを教えている私でも、子どもと対峙する時は緊張する。子どもは純真無垢なんかじゃない。こちらの心のすき間を突く鋭さは、大人の比ではないのだ。
それだけに、犬の純粋で一途な姿が、ことさら愛しく感じられるのだろう。兄にとって犬の「長時間マテ」は、信頼関係と愛情の存在を確かめるための儀式のようなものなのだ。
だから私はワンコ君の方のケアをする。兄がいない間、こっそりピアノ室でワンコ君の大好きなビスケットを与えちゃうのだ。玄関のビスケットは兄が帰ってきた時に食べるとして、別の部屋でなら思う存分、食べていいんだよ。
私がピアノのある防音の部屋に向かうと、犬は大喜びでダッシュしてドアへ先回りし、これ以上ないほど、尾を振りまくる。びょんびょん飛び上がって嬉しさのあまり、その場でちいさく回転する。
たっぷりビスケットを食べて満足した犬は、ピアノの足元で丸くなってうたた寝だ。目が覚めると散歩、そして、ピアノ教室にやってくる子どもたちと遊んで食餌をして、夜になる。
夜遅く、兄が帰ってきたらダッシュで玄関に行き、兄に飛びついたあと、ビスケットの前でお座りをして、ワクワクしながらもらえるのを待つのだ。
兄は嬉しそうに「待ってたのか、えらいぞー、よし」とビスケットを指さすのと同時に、犬は今日初めてビスケットをもらったかのように、喜んで食べるだろう。そう、こういう時は犬が言葉をしゃべらなくてよかった、と思う。バカワイイのは犬じゃなくて、お兄ちゃんの方だよねーと、昼間、母と言い合ったのも内緒にしておく。
文/柿川鮎子(PETomorrow編集部)
「犬の名医さん100人データーブック」(小学館刊)、「犬にまたたび猫に骨」(講談社刊)、「動物病院119番」(文藝春秋社刊)など。作家、東京都動物愛護推進委員)
構成/inox.
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