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一度は並んだラーメン店の行列を途中であきらめてしまう時の心理状態

2020.09.06

 JR御徒町駅の近くを歩いていた。まだ日没前だ。用件は終えて自由の身であるだけに、ここから上野までゆっくり歩いていこうと思う。

夕暮れの街でビールと煮込みを欲する

「高額買取」と大きく書かれた看板の店を通り過ぎて次の角を左折する。曲がったところに立っている柱には「上野駅近道」のプレートが貼りつけられていた。「アメ横」よりもこっちの道を通ったほうが若干は駅に近いということなのだろうか。通りの道幅は狭いものの、それでも飲食店などはこちらもなかなか充実している。

 通りを進むと中華料理店や居酒屋などが次々と目に入る。そろそろ日が暮れつつある時間ということもあり、このまま真っすぐ帰宅するのは至難の業に思えた。ある意味で当然だが……。

 それにしても飲食店のオンパレードだ。ジャンルもよりどりみどりで、店先に行列ができている店もある。観光地化しているアメ横とはかなり異なる雰囲気だ。

 またしても行列ができている店があった。ラーメン店だ。5、6人が一列に並んでいたのだが、その最後尾にスーツ姿の中年男性が加わろうとしていた。恰幅がよくいかにもラーメンが好きそうな佇まいだ。

 一度は列の最後尾に並んだ男性だったが腕組みをして少し何かを考えていそうな振る舞いを見せた後、列を離れて引き返してしまった。“第2候補”の店へと作戦を変更したのかもしれない。

 苦渋の決断だったようには見えなかったが、一度は並ぶ決意をしてでも食べたかったラーメンを諦めるのはいったいどんな心境なのだろう。個人的には同様の体験をした覚えがないのであまり実感が湧かない。もちろん残念な体験であることに違いはないのだろうが、そのラーメンをどれほど強く欲していたのかや、諦めるのをそれほど苦にしない性格特性などにも左右されるかもしれない。

 わが身を振り返れは特にラーメンが食べたいわけではなかったが、では何が食べたいのか自問自答してみると、やはりビールにあうものが食べたくなってくる。……例えば煮込みだ。

 いったん頭の中に煮込みが思い浮かぶと、いてもたってもいられなくなる。ならばとこの近くにある煮込みがうまい居酒屋へと足を向けた。

 人気の立ち飲み店が並ぶ飲み屋街にその目当ての店はある。比較的新しい店だが、周囲にひしめく人気店の中にあって善戦していて、地下に降りて入店した時には8割ほどの客入りだった。グループだったら入店できなかっただろう。

 若い店員さんに促されてカウンター席に着く。入れてよかった。とりあえずは生ビールと煮込みだ。さっぱりしたものとして、セロリの浅漬けも注文する。

一度心に決めたことを簡単にあきらめられるのか

 奥行きのある店内でカウンター席もけっこう長い。1人でも落ち着ける店で、実際に1人客の割合が多い。ここに来る道すがら頭の中をこの店の煮込みが占拠してしまっていたわけだが、もし店に入れなかったらどうしていただろうか。

 実はこの店は小規模チェーンで上野にはここを含めて3店舗ある。もしここで入れなかったら、おそらくそのどちらかの店に行っていただろう。それほど頭の中はこの店の煮込みに支配されていたのだ。

 その念願の煮込みがやってきた。ここの煮込みは牛スジのほかにも牛ホルモンが使われていて、牛の二番目の胃であるハチノスなんかが入っていることもある。じっくり煮込まれていて美味しい。

※画像はイメージです(筆者撮影)。

 こうして無事に煮込みにありつけたのだが、さっき見かけたラーメン店の行列を諦めた男性のことが気になった。その後に別のラーメン店に向かったのだろうか。それともラーメンとは違うジャンルの店に行ったのだろうか。5、6人程度の列に並ぶことができなかったのはなぜか……。

 時間的余裕がなかったのかもしれないが、人によっては案外、簡単に行動方針を変えることができるのかもしれない。もちろん行列は嫌いだが、もし自分が彼の身であったならばおそらく並んでいただろう。一度心に決めたことをその程度の行列ではあきらめられないように思えてくるのだ。しかし人によってはそれぼどこだわらずに決意を変更できるのかもしれない。

 このように一度固まった信念を我々はどのように考えているのか、これに関して興味深い最新の研究が報告されている。

 米・プリンストン大学とペンシルベニア大学の合同研究チームが2020年7月に「Journal of Personality and Social Psychology」で発表した研究では、我々は自分よりも他者のほうが信念を曲げられると考える傾向があるというのだ。もちろんこれは思い込みではある。


 人々は、他者が自分の信じるものをかなりコントロールしていると考えています。しかし、これまでのところ、人々が自分の信念の制御をどのように見なしているか、またそのような見解が他者の見解と異なるかどうかを調査した研究はありません。

 私たちは7つの研究でこの課題に対処し、人々は他者は自分自身よりも当人が信じているものを自発的に変更できると見なしていることを発見しました。

 人々は自発的に自分の信念を裏付ける証拠について考える傾向があり、それによって自分の信念を自分のコントロールの外にあると考えるようになります。

※「APA PsycNet」より引用


 一般的に我々が持っているとされる認知バイアスの1つに「行為者-観察者バイアス(Actor-Observer bias)」がある。

 この行為者-観察者バイアスというのは自分と他者ではその行為の評価軸が異なってくるバイアスのことである。例えば自分が犯した過ちはその時の状況など外部要因によって起こった避けられないものであると考える傾向がある一方、他者が犯した過ちはその人物の性格特性や気質からくるものであると評価しがちになるのだ。

 したがって他者のケースではその後よく対策を講じることで同じミスを防止できる一方、自分の場合は避けようのない外部要因だったためどうにもならないことになる。

 研究チームは3500人以上が参加した7つの研究を通じて、自分と他者がそれぞれ持っている“信念”についてのバイアスを浮き彫りにした。するとやはり、信念についても行為者-観察者バイアスが働いていたのである。

「ラーメンならあの店だ」という信念を持っていた場合、この信念は当人にとって原則的に変えられないと感じられている一方、他者の信念はわりと柔軟に変わり得るものであると感じている傾向があるのだ。したがって店の行列で入店を諦めた者を見ても、それほど奇異なことではないことになる。

信念が“盲信”になれば判断が鈍る

 生ビールを飲み干してしまい、今度は瓶ビールを注文しする。さらになかなか珍しい白海老の姿盛りと牛串を追加オーダーした。

※画像はイメージです(筆者撮影)。

 人は何を信じようが自由で、憲法でも信教の自由が保証されている。途中で信仰を変えたり止めたりしても基本的には何の問題もないはずだ。ご存知のように歴史上の人物でも人生の途中で改宗をした者は少なくない。しかしそれでも、多くの人々は信仰や信念を捨てるのは簡単なことではないと感じているのだ。

 研究チームはなぜ信念が自分ではコントロールできるものではないと感じられているのか、そのメカニズムは不明であると言及している。

 しかしよく考えてみれば人情として信念や信仰は、出会った時に抗えない“運命的”なものを感じるからこそ、深く信じたり帰依したりするのではないだろうか。“運命的”なものを感じることなく、まったくの自由な立場で選んだ信念や信仰を末長く信じていけるのだろうか。

 しかしこの考え方の傾向はあくまでも“バイアス”である。バイアスは適切な意思決定の妨げになるものだ。自分が信じていることについて“盲信”する状態にあればさまざまな判断が鈍りそうだ。

 ……数年前に富山へ旅行した時以来の白海老の姿盛りも美味しかったが、牛串のほうも食べ応えがあってうまい。2本くらい注文すればよかったとも思ったが今回はこれでいいだろう。

※画像はイメージです(筆者撮影)。

 飲んだ後のシメのラーメンという習慣(!?)はもうだいぶ前になくなっているのだが、なんとなく先ほどの行列ができるラーメン店が気になってもくる。幸いにもラーメンについては“信念”も“信仰”も持ち合わせていないので、興味本位でどの店に入ってみてもよい。もし行列が長いようならさっきの男性のように潔く諦めればよいのだろう。さてお会計をして店を出ようか……。

文/仲田しんじ

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