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ブルックリン・ブルワリー創業者のスティーブ・ヒンディ氏に聞く、ポストコロナ時代にクラフトビールに求められる価値

2020.08.06

クラフトビール大国アメリカ。今日の人気の背景に、ブルックリン・ブルワリーの存在は欠かせない。創業者スティーブ・ヒンディ氏に、アメリカのクラフトビールの現況、今後の戦略を聞いたのがこちら(その1)。創業から30年が経ち、日本でも20代は初めからクラフトビールがあった世代に。これからのクラフトビールに求められるものは何か、聞いた。

オンラインで取材に応えるスティーブ・ヒンディ氏。

地域とともにあるために。ゲリラ・マーケティング、これからの価値観

「クラフトビール」や「マイクロブルワリー」といった言葉はアメリカ生まれだ。1980年代、すでにアメリカ各地で、麦芽とホップの風味を生かしたユニークでリッチなビールをめざした小さな醸造所が誕生していた。当時アメリカで人気だったのはバドワイザー、ミラー、クアーズといった大手のライトなラガーだったから、それらと対照的なイメージをもつクラフトやマイクロという言葉がはまったのだろう。

現在、アメリカのビール市場におけるクラフトビールの生産量は15%以上、売上ベースにすると25%以上を占める。ここまでプレゼンスを高めた理由はいろいろあろうが、その立役者のひとつが一大消費地ニューヨークにおけるブルックリン・ブルワリーの成功だ。特に注目したいのは、ブルックリン・ブルワリーはその宣伝・広報活動においてもユニークでマイクロだったということだ。

創業者はヒンディ氏のほかもう一人いる。同じブルックリンのアパートに住むトム・ポッター氏。ふたりとも資産家ではない。ニューヨークという世界一地価が高く、新参者にはマフィアがあいさつに来るという土地柄で、マスメディアの広告やテレビCMを打つことなく、その名を知らしめた。

その独自の手法を、ヒンディ氏は“ゲリラ・マーケティング”と呼んでいる。創業時、出資者を募るときのプレゼンの主軸は「ビールづくりをブルックリンによみがえらせるという物語」だった。

実は、かつてブルックリンはビールの一大生産地だった。19世紀には48軒ものブルワリーがあったという。その後、大手メーカーに押されつづけ、1976年、最後の醸造所が閉鎖した。

先述したように、そのころのブルックリンは観光客には無縁の街だった。著書には、

「1990年、ブルックリンのウィリアムズバーク地区(現在ブルワリーがあるところ)に放置されていたヘクラ鉄工所の倉庫を借りたとき、その周囲には廃墟と化した工業ビルしかなかった。」(ⅵページ)

と書かれている。

一方で、

「ブルックリンの人びとが、高犯罪率、貧困、マフィアの存在にもかかわらずこの区を誇りに思っているということ。(中略)、区民に出身地を尋ねると、ニューヨークではなくブルックリンだと誇らしげに答える。」(69ページ)。

この地区には、家賃の高すぎるマンハッタンに住めないアーティストやミュージシャン、デザイナー、起業家などなどの卵が数多く住んでいた。建物の壁や塀はグラフィティだらけ、街角では売れないミュージシャンがセッションを繰り返す。デンジャラスではあったが、成功を夢見る若いパワーがフツフツとたぎるホットでクールな街でもあったのだ。国籍や人種が多種多様だったのは言うまでもない。そんなブルックリンの音楽イベントやアートイベント、フェスティバルなどにヒンディ氏は自社のビールを提供しつづけた。日本的にいうなら「町おこしブルワリー」でありつづけた。

「私たちのマーケティングの基本は、地元をよくしようとがんばっている団体や、芸術活動を積極的に行っているイベントを支援すること。われわれのスローガンはBetween people、私たちは地域社会とともにあり、それは創業当時から変わりません。

これからもその延長でやっていきます。文化、人種、国籍、ジェンダー、宗教、LGBT、人と人の違いを認めること、多様性を称えることをわれわれのマーケティングの中心に置いていきたい。ブルックリンは今も世界からさまざまな人が集まる街です。違いがあっても団結できることをブルックリンの人々は示しています。世界でもできる、と発信していきたい」

スティーブ・ヒンディ氏はブルワリーを創業する前、AP通信社の戦場ジャーナリストだった。1980年代初め、中東やエジプトで、多様性とはほど遠い世界を取材してきた記者だからこそ、その思いはいっそう強いのではないだろうか。

多様性と変化。ポストコロナ時代のクラフトビール

ブルックリン・ブルワリーの創業から30年以上が経つ。クラフトビールという言葉も根づいたアメリカの消費者はどのように変わっただろうか。

「ある意味、世代が一巡しました。私が創業した頃は、ほとんどの人が淡い色のラガービールばかり飲んでいました。IPAとかポーターとかブラウンエールとか言って通じない。私たちが卸先のレストランや小売店でレクチャーしていったのです。

創業から25年が経って、クラフトビールのスタイルは伝えられたと思います。若い世代は生まれた頃からクラフトビールがあり、逆になかった時代を知りませんよね。彼らに興味を持ちつづけてもらうために、新しい提案をしつづけていくという使命に変わって来ました。そのためにも新たなラインナップを充実させていきたいと考えています」

ブルックリン・ブルワリーのIPAは90年代初めに発売され、アメリカでごく初期のIPAの1本に数えられる。(写真は現在のディフェンダーIPA)

最後に、ヒンディ氏に日本のクラフトビール界について聞いてみた。

「優れたクラフトビールが存在感を示していると思います。ブルワリーの方にはビールに対する強いパッションを感じます。日本の場合、キリンのような大手ビール会社がクラフトビールの流通に力を入れているのが特徴的です。このスタイルが今後、クラフトビールのどのように広げていけるのか楽しみです」

ここまで多種多様のおいしいクラフトビールが楽しめるようになるまでに、日本でも25年の歳月がかかっている。ウイズコロナ時代もポストコロナ時代にも、多様なクラフトビールが楽しめるようクラフトビールファンも応援していきたい。

ビールでブルックリンを変えた男』スティーブ・ヒンディ著/DU BOOKS 
1600円+税

*2020年7月30日現在。

取材・文/佐藤恵菜

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