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バブル時代の”三密”な人間関係を経験したからこそわかる「リモート時代」の今に足りないもの

2020.06.18

前編はこちら

バブル時代のお話である。バブルとは1986年12月から1991年上半期までに起こった資産価格の上昇と好景気、それに伴う社会現象のことだ。

これはバブルで大儲けをした、バブル紳士のお話ではない。市井の若者が肌身で感じたバブルとバブル崩壊の実話である。日本が初めて経験した狂乱景気はスマホもインターネットもない時代、友たちとはとにかく会う。ファミレス、居酒屋、カラオケ、友だちとのドライブ、ディスコの熱狂。バブルの時代は何より、三密の極みだった。

ポストコロナの今、人とのソーシャルディスタンスやリモートが、トレンドではある。だが、バブル時代の人と人とのホットな関係を振り返った時、私たちは何かを逸していないだろうか。

超売り手市場のあの時代

北陸のT市出身の高山陽子さん(仮名•49)、中央線三鷹駅に近い喫茶店でのインタビュー。ベージュのコートにジーンズ、小脇のルイ・ヴィトンのバッグは昔の面影か。バブルの頃のワンレグの髪型は、現在ショートカット。小顔だが若干、小じわが目立つ。

時は1991年、女子短大卒業の年。バブル景気はハジける寸前だったが、ほとんどの人はそんなことを意識していない。就活戦線は圧倒的な売り手市場であった。

「興味のある会社の資料を取り寄せ、自分の連絡先を書いて郵送すると、人事担当者から連絡が来るんです。『銀座のライオンビヤホールで会いましょう』と、お酒を飲ませてくれて、会社のことも教えてくれる」

友だちの男子学生のほとんどは、早々に内定をもらった。入社までは研修と称する内定者の旅行が目白押しで、「ラフォーレ修善寺」とかに何泊もしたり。内定者が他社に行かないよう手厚い対応だった。

父親が北陸のT市の地銀勤めだったとこもあり、金融関係を希望した陽子さんは証券会社に入社。91年4月だ。同期は約500人、全員が正社員。当時は職場に派遣社員や契約社員は皆無だった。短大卒の彼女は一般職での入社で、給料は手取りで15万円。給料は安いが入社した年の夏のボーナスは手取りで100万円。

「1年目のボーナスで、シャネルの長財布が買えます。2年目のボーナスでヴィトンの巾着バッグが買えます」入社前、人事担当者にそう聞いていたが、なるほどと思った。

入社当時、社員はバブル景気を謳歌していた。「支店長や課長が新入社員を5〜6人連れて、焼肉の叙々苑で食事会を開いたり。支店長に新宿のゲイバーに連れて行ってもらいました。社員旅行で諏訪湖に行った時は、会社の前に大型バスを横付けにして」

給茶器の熱い茶が…

だが、我が世の春は続かない。1989年12月29日の大納会で38915円87銭の最高値をつけた株価は、翌90年1月から値下りに転じる。イラクがクウェートに侵攻した翌年、91年1月に湾岸戦争が勃発すると、株安に拍車がかかった。93年末には89年の株価の59%まで減少するのだが…

証券会社の高円寺支店の窓口の業務だった高山陽子さんも、異様な出来事に遭遇する。インターネットのない時代、証券会社のロビーには開店と同時に来店し、ボードに掲示される株式指標に目をやる常連客が数多くいた。

「いつもニコニコしていた顔見知りの70代のお客さんにある時、給茶器の熱いお茶をかけられたんです。真っ赤な怖い顔をしていた。損をしてカッときたんでしょう」

入社した年の冬のボーナスは一転、7万円だ。一般職の女子社員は入社4〜5年で職場結婚し、寿退社がふつうの時代だった。それまで100万円を超えるボーナスをもらっていた先輩の女子社員は、大勢退社した。

バブル崩壊期には、証券会社の暴力団等への損失補填が社会問題化したが、「あまりにも損したお客には、若い女子社員を連れて飲みに行くのが日常化していました。不動産屋が多かったです。『社長、次で取り返しましょう。まだ大丈夫です!』とか、課長が暗い顔をしたお客を盛り上げる。私たち女子社員は、『わっ、ネクタイ素敵!』とか、ガンガンお酌をして相手を持ち上げ、お客が離れないようにする」

バブル期から十数年、職場環境も様変わり

バブル期のノリノリを経験してきた彼女だから、その手の接待は得意だったが、バブルが崩壊する中での金融商品の営業には参った。

「株式投信という投資信託があり、バブルが崩壊する中でそれを買うと、絶対に損をするとわかっている。だけど毎月割り当てに沿って、売らなければならなかったんです。担当のお客に電話をして、『今度は大丈夫』と……」

こうなると、証券会社は本性を剥き出しにする。「ちょっと来て!」先輩の女子社員にトイレに呼び出され、「ダメと思って営業すると、相手もわかるのよ。もっと気持ちを強く持たないと売れないよ!」そんな訓示が毎日のように続いた。入社して1年半後、彼女は証券会社を退職する。 

バブル時代の夢は遠のき、ボーナスは雀の涙で蓄えもないし、給料15万円では暮らしていけない。北陸のT市の実家に戻り、銀行員の父親のコネで、損害保険会社に就職。以来14年ほどOL生活を送る。

その間、世の中は様変わりした。バブル後の金融機関の再編で損保会社も合弁を繰り返し、会社は大きくなったが、合弁前の会社の社員同士が派閥を作り、職場にあった一体感は変化した。

それまで職場は正社員のみだったが、社員の退職を補充する形で、契約社員が職場に増えた。90年代は多くの会社で契約社員が増加している。彼女が損保会社を辞める頃、職場の半分近くが契約社員に変わっていた。同じ仕事をしても契約社員と正社員とではやはり異なる。職場の家族的な雰囲気は薄れていったと彼女は言う。

急速なIT化も職場環境を変えた。IT化により経理部等は人が減った。以前はよく行われた研修の数が極端に減り、「PCの中の資料を各自で読んでおいてください」という感じになった。人と人との密に接した熱い関係は徐々に失われていった。

密でないとわからないこともある

バブル時代のノリのいい人、金融関係の口が達者な人を数多く見てきたからか、結婚には慎重だった。高山さんが市内の信託銀行に勤務する2歳年上の行員と結婚したのは、36歳の時。夫はベラベラしゃべるタイプではない。バブル崩壊後の不良債権回収チームの仕事が辛くて、ノイローゼになった等の話は、信頼に足る人間だと思えた。

結婚後、すぐに夫の転勤で東京郊外に移った。三鷹市に4LDK、5600万円の家を30年ローンで購入したのは3年前。月の払いは10万円。年収は手取りで680万円。

高山さんは手にしたスマホをチラッと見た。小学3年の一人娘が、学校から帰宅する時間が近づいていた。二度の流産を経て40歳の時に授かった一人娘である。

私と彼女は喫茶店を出た。

―今や時計もスマホになり、腕時計をする人も少なくなりましたね。

そんな私の言葉に、彼女はこう応えた。

「スマホがなかったあの時代は、人と会って話をすることがものすごく多かった。いろんな人と会いました。会って人を判断することが当たり前でした。会ってみないとわからない。振り返ると、そんな習慣は今も生きてますね」

ギャザリング、人が集まる。そこに仲間ができる。濃密な関係は楽しい。リモートのご時世だが、今流は人と人との分断を意味していないか。仲間を作ることがますます難しくなってはいないだろうか。

人は密でないとわからないことがある、図らずもバブルの時代はそのことを教えてくれてもいた。

取材・文/根岸康雄

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