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「コロナ禍のこの経験をいつか日本のために活かしたい」サッカーシンガポール代表監督・吉田達磨

2020.05.10

新型コロナウイルスは日本のみならず、世界中のサッカー界に深刻なダメージを与えている。欧州主要リーグではベルギー、オランダに続いてフランスもリーグ打ち切りが決定。ドイツ・ブンデスリーガだけは今月16日からの無観客での再開に向けて動き出したが、選手・スタッフの感染者が見つかる中、順調に日程を消化できる保証はない。

ワールドカップ予選に向けた代表の活動もストップ

 活動がストップしているのは東南アジアも同じ。2019年6月からシンガポール代表監督を務める吉田達磨監督も「3月10日に練習したのを最後に代表活動ができていない状況です」と話す。3月には2022年カタールワールドカップアジア2次予選のパレスチナ・サウジアラビア2連戦を消化する予定だったが、それも延期になった。同国では目下、バングラディシュなどからの出稼ぎ労働者中心にコロナ感染者数が急速に増え、5月初旬時点では2万人に迫る勢いだという。代表活動再開の見通しは全く立たない状態だ。

「シンガポールも日本で緊急事態宣言が出されたのとほぼ同時期の4月7日からロックダウンに入っています。欧州のような完全封鎖ではないので買い物や通院など最低限の外出は許されていますが、僕自身は自宅待機に努め、1日の予定を前夜にある程度決めて動いています。午前中は主に代表チームのコンセプトの練り直しと分析を行い、オンラインでのミーティングが入れば監督として参加します。そしてランチ前に室内でできるトレーニングを実施。午後は映像の編集や指導者仲間とのZoomミーティングなどが多く、夜はオンライン英会話を2つ入れるなど、自分の時間を作っています。今はまずは自分の出来る範囲のことを確実に丁寧にやろうと考えています」と彼は毅然と前を向く。

引退後は指導者へ、J各チームでの経験が今に生きる

 1年に東京都江戸川区で生まれ、埼玉県三郷市で幼少期を過ごした吉田監督は93年に柏入りした元Jリーガーだ。柏では96年までプレーし、97年に京都サンガへ移籍。さらに99〜2001年にモンテディオ山形へ赴き、「現役生活の最後は海外で」と向かった先がシンガポールだった。オーストラリアのクラブのトライアルを受けるつもりで、2002年夏に立ち寄ったジュロンFCと1カ月だけ契約。2試合に出場したが、結果的にそれが現役最後の所属先になった。「17年後に自分が指導者になってシンガポール代表を率いることになるとは夢にも思いませんでした」と笑う。

 指導者転身後は古巣・柏のアカデミーで長く働いた。酒井宏樹(マルセイユ)や工藤壮人(所属なし)らのちに日本代表になる選手も指導。その手腕は高く評価された。2012年にはトップチームの強化部ディレクターに就任。そして2015年についに監督となった。

「僕にとって柏のホーム・日立台は実家のような感覚でした。日立のユースでプレーしながら、トップチームのサポーターでもありましたから。日本リーグ(JSL)の1部と2部を行き来している頃、スタンド数段しかない古い日立台はもちろん、誰も来ないアウェーにも行きましたね。西野(朗=タイ代表監督)さんがまだプレーしていた頃です。そのクラブでプロ選手となり、引退後も働けることは本当に特別なことでした」

 その2015年は、まずアジアチャンピオンズリーグ(ACL)で韓国の全北現代や中国の山東魯能ら強豪を撃破し、1次リーグを1位通過。ベスト8進出という成果を挙げたが、J1では苦戦した。特にホームで思うように勝てず、第1ステージ14位と予想外の成績を強いられた。それでも、ACLとの過密日程が過ぎた第2ステージは序盤8戦で2度の3連勝を含む6勝2敗。巻き返しが始まった。そんな8月下旬、「解任への動き」があるのを察知する。そこから退任が決まる2か月間は多くのことと戦わなければいけなかった。

「結果やコミュニケーションのミスは当然受け入れています。ただ、その過程には毎日、傷が刻まれていきました。今はもう乗り越えましたが」と本人は淡々と振り返る。

 翌2016年は当時J1のアルビレックス新潟からオファーを受け、監督に就任。10数年ぶりに柏を離れて新たな挑戦に打って出た。だが、松原健(横浜)や舞行龍ジェームズ(新潟)ら前年からケガを抱える主力が何人もいることをキャンプインしてから知ることになる。これは全くの想定外だったが、選手の反応はよく、着実に信頼関係を築けている実感を持てたという。負傷者多数の守備陣に関しても、J1経験のほぼない若手を鍛え、対話を重ねながら力をつけていったが、どうしても勝ち星がついてこない。一番大きかったのは、降格圏にいた名古屋グランパスとのホーム直接対決を0−1で落としたこと。結局、4試合を残してチームを去ることになった。

「新潟では大きな重圧がありましたが、毎日が必死だったし、選手、全スタッフと一緒に確実に何かを作っているという実感が持てて、本当に濃密な時間でした。自分が離れた後、チームが残留したことも嬉しかった」と吉田監督は振り返る。

 翌2017年は比較的早くオファーを受けた当時J1のヴァンフォーレ甲府の指揮を執った。佐久間悟GMが柏や新潟でのサッカースタイルやチームの成長を前向きに評価してくれたことも大きかった。実際、前年に59失点していたチームの失点を大幅に減らすなど、吉田監督のアプローチは確実に成果を挙げた。けれども、得点が取れなければ勝てない。その事実が重くのしかかり、1年でJ2に降格。2018年も「相手を圧倒して勝つこと」を周囲から求められながらスタートダッシュが叶わず、4月末にチームを離れることになった。

「勝ちきれなかったこと、チームを守り抜けなかったこと…今は全てを受け入れました。正直、甲府を離れた時には『すぐにでも次の仕事がしたい』と思った。実際に声をかけていただいたクラブもありました。でも、プロとして冷静に考えて、初めて『やらない』という判断を下した。そこからは自分との対話の日々でした。あらゆる場面が脳裏を駆け巡ったし、1つ1つを熟考した。とても意味深い時間でしたね」

現役を終えた地での新しい挑戦

 そんな吉田監督にシンガポール行きの話が舞い込んだのは、2019年2月のこと。日本サッカー協会で指導者養成に尽力する先輩から「シンガポール協会が監督を探している」と声をかけられたのだ。

「『当然、誰でもいいという話ではない。今動けて、推薦できる人材ということで、達磨の名前を挙げたいんだけど』と言われて、嬉しかったのですが、その時は『うーん…』という感じでした。シンガポール協会とはスカイプで最初の面談をし、その後、副会長と日本で2時間ほど会談を持ちました。僕はその日、台湾に行く予定が入っていて、成田空港のラウンジで会うことになったんですが、『ライオンズ(シンガポール代表の愛称)の栄光を取り戻したい』という副会長の強い言葉と熱意に心が動くのを感じました」

 シンガポール代表は2010年代初頭までは東南アジアである程度の地位を築いていたが、タイやベトナムが経済成長を背景に急成長。大きく水を空けられる格好となった。国民も「どうせライオンズは期待できない」と諦めムードになっていた。それを変えるため、日本人監督に食指を伸ばしたのだ。

「6月の親善試合2連戦から指揮を執り始めましたが、最初の3日間はラマダンの断食期間の真っ最中。信仰そのものがない自分にとって、幼い頃からの慣習であるとはいえ、その中で真剣に練習し、新監督から何かを感じ取ろうとする選手たちを見て、非常にいい印象を受けました。2試合を終える頃には『いい関係が築けそうだ』と感じました。

 9月から始まった2次予選では厳しいグループに入ったものの、ホームで戦った最初の2試合で一定のインパクトを残すことができました。初戦・イエメン戦は多くの決定機を作りながらのドロー、第2戦は明らかに格上のパレスチナ相手に勝利したことで、『ライオンズは確実に変わった』という評価を得た。翌10月にはサウジアラビア、ウズベキスタンに2連敗しましたが、ホーム・ウズベキスタン戦では積極的に攻め、相手を苦しめた。そして11月にはアウェー・イエメン戦に勝利。大きな自信を手にして2019年を終えることができたんです」

 確かな前進を見せていただけに、このまま予選を続けたかったという本音はあるが、仕方のないこと。「年内の2次予選再開は分からないが、年末にはAFFスズキカップ(東南アジア選手権)も予定されている。当然開催されるという前提で準備を続けるつもりだ。

 飽くなき向上心の原動力となっているのは、「自分が任されたこのチームを強くする」という監督としての原点だ。海外でも日本でも、現時点で「可能な限りの最強チーム」を作りたいという気持ちが自身を突き動かしているという。

「コロナ禍では焦らずに現状と向き合う時間が取れています。自宅にいながらそのような時間が取れるのも、医療関係者など最前線で戦ってくれる人々がいるからですよね。この時間をいいものに変えなければいけないと思います。

 2次予選はサウジアラビア、ウズベキスタンに加え、パレスチナも同居していて、最終予選進出は極めて難しいと言われています。ただ、半分を終えて勝ち点7のグループ3位。首位とは勝ち点2差なので、チャンスがある限り、チャレンジしたいです。

 海外、しかも代表チームでの経験は本当に得難い貴重なもの。ピッチ上の戦いはもう少し先になりますけど、いつかこの経験を日本サッカーに還元したい。そのためにも、将来を夢見るのではなく、今を頑張りたいです」

 自身も日の丸を背負った選手でなく、海外指導初挑戦の吉田監督がどこまでシンガポールを躍進させられるか。それは日本中の指導者の関心事だ。多くの人の期待に応えるためにも、この苦しい時期を何としても乗り越え、ピッチに戻り、選手たちをレベルアップさせること。それが彼に託された責務と言っていい。

取材・文/元川悦子

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