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「サッカー界での経験値を可視化するのが僕の役割です」クラブ経営、解説者、博士論文執筆と複数の草鞋を履く松原良香さん

2020.04.20

 新型コロナウイルスの感染拡大でスポーツ界全体が大きな影響を受けている。東京五輪が1年延期になったばかりでなく、サッカー日本代表も3・6月の2022年カタールワールドカップアジア2次予選が中止。Jリーグも4度の再開延期を経て、現在はいつ試合ができるか全く分からなくなっている。

 そんな苦境の中でも「少しでも前向きなことをしたい」と考えているのが、フェリーチェFC代表、サッカー解説者などの傍ら、筑波大学教授の下で論文博士の取得を目指している松原良香氏だ。

紆余曲折の連続だった現役時代

「緊急事態宣言が出されて、自由に外出できなくなり、サッカー選手も監督もJのクラブも大変な時期だと思います。僕が運営するフェリーチェFCも活動休止になっていて、例外ではありません。ただ、自分は『こういう時こそ、前向きにやれることをしよう』と考えるタイプ。今は論文博士の取得を目指して勉強しています。

 この前『サッカーのストライカー育成における日本と南米の比較研究』をまとめましたけど、これから『GK論』『CB論』など合計5つの論文を書かないといけない。これまで日本サッカー界が積み上げてきたことを『可視化』するのが自分の仕事。そう思って頑張っています」

 と彼は目を輝かせる。

 今年46歳とは思えない生命力に満ちあふれる松原さん。類まれなエネルギーの源は紆余曲折の連続だった現役時代にある。静岡県浜松市で74年に生まれた彼は10代の頃から年代別代表に呼ばれるなど、サッカー界では一目置かれる存在だった。名門・東海大一(現東海大翔洋)高校時代も活躍し、特待生として関西の大学に進んだが、わずか3日で退学。身の振り方を考えあぐねていた時に、旧知のヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)・山本昌邦コーチ(現日本サッカー協会技術委員会副委員長)から「お前何やってるんだ」と言われ、海外挑戦を決意。

 93年春からウルグアイのCAペニャロールでプロキャリアをスタートさせた。翌94年に山本氏のいる磐田に加入。ほぼ同時期に発足した西野朗監督(現タイ代表監督)率いるアトランタ五輪代表候補メンバー入りし、世界を目指すことになった。

「『俺らが日本の歴史を変えるんだ』というのがアトランタ世代の合言葉。協会としても『絶対に28年ぶりの五輪出場を果たすんだ』と気合が入っていた。1つ上のゾノ(前園真聖=解説者)や服部(服部年宏=磐田スタッフ)、1つ下の能活(川口=協会アスリート委員長)、城(彰二=解説者)、2つ下のヒデ(中田英寿)と個性豊かな面々が揃っていて、みんな自分の意見を言うのは当たり前。僕も日々、刺激を受けましたね」

 彼らとともにアジアの壁を破り、96年アトランタ五輪では初戦・ブラジル戦で「マイアミの奇跡」を起こし、世界を震撼させた。しかし、ナイジェリア戦での敗戦が足かせになり、最後のハンガリー戦に勝利し、2勝したものの1次リーグ突破は叶わなかった。

「アトランタが終わった後、『燃え尽き症候群』というのか『ああ、終わったな』という虚しさを感じました。今は『五輪経由ワールドカップ行き』が普通かもしれないけど、僕らの頃は五輪が初めての大きな世界舞台。価値観が少し違ったのかもしれない。自分を客観視する力が足りなかったのは確かです」

 当時、レンタル移籍していた清水エスパルスではレギュラーをつかみきれず、97年に赴いたジェフ市原(現千葉)ではまずまずの活躍を見せたものの、98年に復帰した磐田では中山雅史(沼津)、高原直泰(沖縄SV)らFW陣の壁に阻まれた。そこで松原氏は再び海外行きを決意。99年にクロアチアリーグ・古豪・リエカの門を叩いたのだ。

「当時はカズ(三浦知良=横浜FC)さんが同じ国のディナモ・ザグレブ(当時クロアチア・ザグレブ)に移籍した頃で、多少は関心が高まったかもしれないけど、地味な印象でした。内戦が終わって間もなく、まだ復興途中で、気候も寒かった。でも僕はウルグアイにいたことがあったし、『自分で切り開くんだ』というアトランタ世代のメンタリティがあったんで、すんなり溶け込めました。

 その矢先に、代理人から『ラピッド・ウイーンに入れそうだ』という朗報が届いた。自分もその気になって一時帰国したら『話が立ち消えになった』と(苦笑)。リエカもすでに別の選手を補強した後で、いきなりプレーする場所がなくなったんです。

 僕はクラブを探すため、ミラノから入って移動し、スイス・FCチューリヒの練習に参加しました。そこで練習試合に出たら、相手がバイエルン・ミュンヘン。プレーは散々で、契約には至りませんでした。その後もドイツを転々とし、辿り着いたのがスイスのSRドレモン。5試合くらい出ましたね」

 目まぐるしい1年を経て、松原氏は2000年にJ2の湘南ベルマーレへ赴く。旧知の加藤久(現・町田アカデミーコーディネーター)氏からのオファーに応えたのだ。前園も参戦し、アトランタ共闘が叶い、松原氏もシーズン12得点を挙げたが、J1の昇格は叶わず、加藤監督も辞任。前園も東京ヴェルディに戻ってしまい、松原氏は再び移籍を決断。ウルグアイに戻ってCAプログレッソと契約。

 そこからアビスパ福岡に貸し出される形で2001年シーズン途中にJリーグ復帰を果たしたが、今度はケガに見舞われる。再起を駆けた翌2002年はウルグアイのデフェンソール・スポルティングに新天地を求めたが、契約トラブルが発覚。この後はブラジルで練習する羽目に陥ったという。

31歳で引退、持ち前の積極性とアグレッシブさで活動の幅を広げる

「日本が日韓ワールドカップで盛り上がっている頃、自分は所属先も決まらずさまよっていました。そこで一時帰国すると、加藤さんから連絡があって『沖縄かりゆしFCの監督になるからお前も来い』と言われました。目まぐるしい環境の変化でコンディションが落ち、パフォーマンスも上がらなかったんで、ゼロから出直そうと思って、九州リーグに参戦したんです。

 かりゆしには2年いましたが、2004年にメインスポンサーが撤退して、チームが立ち行かなくなってしまった。最後は地元の静岡FC(現藤枝MYFC)に行って、選手兼監督になり、自分のやれることをやった。それで引退してもいいと思ったんです」

 それが2005年末。まだ31歳だ。41歳の中村俊輔(横浜FC)、40歳の遠藤保仁(G大阪)らがフル稼働している現状を踏まえると早すぎる印象である。しかしながら、松原氏は「そこまで必死にやったから、別の形でサッカー界に貢献したい」と考え、ユニフォームを脱ぐことを決断。ほぼ同時期に千葉県浦安市にフェリーチェ・サッカースクールを開校。

 2007年にフェリーチェFCを発足させ、2009年には「フェリーチェ・モンド株式会社」を立ち上げると同時に、暁星国際学園サッカー部ジェネラルマネージャーも兼務。解説者業にも乗り出すなど、持ち前の積極性とアグレッシブさを生かして、活動の幅を広げていった。

「フェリーチェではクラブ経営と小中学生の指導、コーチの養成と幅広い仕事に携わっています。イングランドで監督のことを『マネージャー』と言いますけど、上に立つ者はピッチ上を見るだけじゃダメ。そう考えてフェリーチェでは多彩な業務を手掛けています」

 そんな松原氏が2015年11月、J3のSC相模原監督に電撃就任したことは、周囲を驚かせた。指揮を執ったのはわずか3試合。当時ずっと勝てず、ゴールも4試合取れていなかったチームをガラリと変え、2勝1分という好結果でシーズンを終えた。本人も手ごたえを感じたが、続投のオファーは受けなかった。「さらに自分が勝っていくためには、もっと勉強しないといけない」と感じた彼は、2016年4月から筑波大学大学院人間総合科学研究科スポーツ健康システム・マネジメント専攻に入学。大学院生として新たな道を踏み出したのだ。

「2017年に亡くなられた元協会常務理事の木之本興三さんに『お前は体力はあるんだから、頭の力をつけろ』と言われ、協会関係者に直々に誘われたのが、大学院進学を本気で考えるきっかけになったんです。僕は日本や欧州、南米でプレーして、ドゥンガのような世界に名を馳せる人物にも出会いましたけど、彼らと関われば関わるほど『自分の経験値を目に見えるレガシーとして残さないといけない』と感じるようになった。それで筑波に入ったんです。

 現在手掛けている『日本人GKが世界で活躍するためには何が必要なのか』という論文では、能活や正剛(楢崎=名古屋アカデミーGKコーチ)、小島伸幸さん(群馬GKコーチ)らワールドカップ経験者にインタビューし、僕がメインとなって学識者やサッカーの専門家と一緒に研究しているところです。この作業は特に指導者として役立ちますし、解説者の仕事にも大いにプラスになっています。自分の取り組みが日本サッカー界の発展につながればと思いつつ、これからも活動を続けていきます」

 将来的にはJで指揮を執ってみたいという気持ちもあるという松原氏。一方で、協会やJリーグなどでマネージメントに携わりたいという思いも強い。まだ長期的な方向性は定まっていないものの、現在のベースであるフェリーチェFCの経営、解説者の仕事をしながら、博士号取得に向けて日々、勉強を続けている。多くのことに挑戦して自分を磨き、物事を動かせる大きな力を養うのが今の目標だ。そのためにも、コロナに負けてはいられない。

「僕はコロナを見返してやりますよ」

 こう笑った松原氏の今後が楽しみだ。

取材・文/元川悦子

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