
パトリック・チャンの滑りの美しさ、ハビエル・フェルナンデスのバランスのとれた演技、ネイサン・チェンのジャンプを目にし、自身を変化させていく。
「滑りのお手本」は構成やジャンプにも好影響
パトリック・チャン
1990年、オタワ生まれ。2011年から世界選手権を3連覇。2013年の世界記録295.27点は2年後、300点超えの羽生が更新。2014年ソチ五輪銀メダリスト。2018年4月、現役引退。
パトリック・チャンに初めて出会ったのは、シニアデビューした15歳のロシア杯だった。チャンは当時「世界一のスケーティング」と言われ、「世界一に勝てば、世界一になれる」と考えた羽生。公式練習ではチャンの後をつけて滑り、そのスケーティングの世界を体得しようとした。「エッジをこんなに倒しても転ばないなんて知らなかった」と目を輝かせた。
以来、チャンは羽生にとって、「滑りのお手本」となる。滑りの技術が卓越していると、演技構成点(PCS)が高まるだけでなく、ジャンプひとつひとつの流れも出るため加点がつく。チャンの背中を追いながら「質」を磨いていった。
迎えたソチ五輪シーズン。シーズン前は「パトリックにはまだ演技構成点では勝てない」と話していたが、対決する間にチャンの演技を見ては、その質の高さを吸収。3戦目となるGPファイナルでチャンを破り、その勢いでソチ五輪のタイトルにつなげた。
ずば抜けた身体能力と魅力的な演技を間近で
ハビエル・フェルナンデス
1991年、マドリード生まれ。2010年バンクーバー五輪出場後、トロントを拠点としてブライアン・オーサーの指導を受ける。2015年から世界選手権2連覇。2019年1月、現役引退。
17歳の羽生がトロントに渡ったのは、ほかでもないハビエル・フェルナンデスの存在があった。
「僕はライバルがいるほど強くなるタイプ。目の前に4回転を跳ぶライバルがいたら自分はどんなに強くなれるだろう、と思いました」
フェルナンデスは、4回転1種類で表彰台を争う時代に、4回転トーループと4回転サルコーの2種類を跳んでいた。羽生は自身の分析どおり、ライバルを前にした時の負けず嫌いが力の源だ。
2012年夏から7年、盟友としてともに練習。調子の良い日は相手を刺激し、悪い日は刺激され、成長してきた。2人の集大成ともいえるのは2015−16シーズン。2人の戦略は、4回転2種類を美しく跳び、魅力的な演技で作品を作り上げるもの。羽生が史上初の300点超えを果たすとフェルナンデスが続き、フィギュアスケートの限界を2人が押し上げるという黄金期を築いた。平昌五輪では共にメダルを獲得。「彼がいなかったらここまでがんばれなかった」と熱い抱擁をかわした。
「確実なジャンプ」の刺激が前人未到の挑戦へ駆り立てる
ネイサン・チェン
1999年、ソルトレークシティー生まれ。5種類(トーループ、サルコー、ループ、フリップ、ルッツ)の4回転を史上初で成功。2018年より世界選手権2連覇。全米選手権4連覇。
330.43点を2015年にマークしひとつの金字塔を打ち立てた羽生。しかしその後に訪れた『真の4回転時代』は、さらなる高みへと彼をいざなうものだった。
4回転の申し子と言われるひとりがネイサン・チェン。ジュニア時代から4回転を軽々と跳び、これまでに5種類の4回転を成功。平昌五輪のフリーでは4回転6本に挑んだ。
ジャンプの才能ある若者がベテランを脅かすのは、いつの時代にも起きる宿命。しかし羽生の異質なところは、演技面だけではなく、ジャンプの面でも5歳若手のチェンとしのぎを削っていることだ。
今季のGPファイナルでは、4回転ルッツを2年ぶりに成功。25歳にして「フリーで4回転4種類5本」を初成功させた。さらに「僕には圧倒的な武器が必要」と、前人未到の4回転アクセルにも着手する。「ネイサンの確実なジャンプに刺激を受けてきた」という羽生。チェンの存在が4回転アクセルに挑む背中を後押ししている。
取材・文/野口美惠 写真/岸本 勉(PICSPORT)
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