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9月14日に引退、第2の人生は日本代表W杯優勝のために捧げる!元サッカー日本代表・播戸竜二の挑戦

2019.09.24

Jリーガーのセカンドキャリア 播戸竜二(元日本代表FW/MR12代表取締役社長)

「サッカー選手を離れて半年、いろいろ考えました。もがきました。播戸竜二は本日、プロサッカー選手を引退します」

 2019年9月14日、大阪・吹田スタジアム。播戸竜二氏は98年に練習生としてプロ入りしたガンバ大阪と1日限定で契約し、引退セレモニーにのぞんだ。

世界大会の決勝で戦った感覚と同世代から受けた刺激が原動力

「自分がガンバに入った時は給料10万円。『公式戦2試合に出たらプロ契約する』と言われて、チャンスをモノにしてやろうと必死でしたね。同期の稲本(潤一=相模原)と新井場(徹=代理人)は一足先にプロになってたから、彼らに食らいつこうっていう気持ちでやってた。今みたいに寮もなくて、姫路の実家から自転車と電車を乗り継いて片道2時間かけて万博の練習場に通いました。あの時の頑張りが21年続いたプロ人生の始まりでした」と1つのキャリアに終止符を打ったばかりの播戸さんは清々しい表情を浮かべた。

 彼は79年生まれの「黄金世代」の一員というイメージが強い。小野伸二(琉球)、遠藤保仁(G大阪)、高原直泰(沖縄SV)ら高度な技術と戦術眼を持つ面々がフィリップ・トルシエ監督(現ベトナムU-18代表監督)に率いられ、99年U-20ワールドユース(ナイジェリア)で準優勝。「世界大会の決勝で戦った感覚と同世代から受けた刺激が自分をこの年齢までピッチに立たせる原動力になった」と播戸さんはしみじみと言う。

 その後、岡田武史監督(現FC今治代表)から直々に呼ばれてコンサドーレ札幌で活躍し、三浦知良(横浜FC)という憧れの人とプレーしたい一心でヴィッセル神戸へ。2006年にはガンバに戻ってきた。西野朗監督(現タイ代表)率いる古巣は、2005年にJ1初制覇を飾ったばかり。宮本恒靖(現監督)をリーダーに、明神智和(長野)、遠藤、橋本英郎(FC今治)、加地亮といった同世代の面々と共演することになった。この年はタイトルこそ逃したものの、シーズン16得点を叩き出した播戸さんはイビチャ・オシム監督体制の日本代表に初招集される。長年の夢だった日の丸のユニフォームに袖を通す機会を引き寄せた彼は感無量だったという。

「ガンバで過ごした2006~2009年までの4年間は選手として最高の時間でした。天皇杯2回、ナビスコカップも1回取ったし、ACLも制覇した。代表にもなれましたからね。
 つい最近、自分が代表デビューした2006年10月4日のガーナ戦(日産)の再放送の解説をやったんですけど、やっぱり痺れたね(笑)。『俺は代表で戦ってんねん』って凄まじい気持ちを押し出してたから。代表は7試合しか出てないし、ワールドカップとか大舞台に立ちたかったですけど、『代表に入る』っていう一番の目標は達成できた。そのことは自分の誇りです」と胸を張る。

Junko Kimura/Getty Images

30歳の大台を迎えてから次のステージの準備をスタート

 栄光の実績を築く傍らで、播戸さんはビジネスにも興味を抱いていた。そこがごく普通のJリーガーと違うところ。神戸時代の2004~2005年に「LIRIO Ltd」という会社を知人とともに設立。オリジナルTシャツの製作販売に乗り出したのだ。
「当時は95年の阪神大震災で被災した子供たちがまだ沢山いた頃。Tシャツの売り上げで彼らにサッカーを見せてあげたいと考えたのが会社設立のきっかけです。ビジネスそのものは共同経営者にほぼ任せてましたけど、代表取締役として携わっていましたね」
 そんな彼がビジネス志向を一段と強めたのが2009年限りでガンバを退団した頃。2010年以降はセレッソ大阪、サガン鳥栖、大宮アルディージャ、FC琉球でプレーすることになったが、30歳の大台を迎えてからは「次のステージの準備をしなければいけない」と真剣に考えるようになったという。

「今は30代以降もバリバリ活躍してる選手はいますけど、約10年前は『30の壁』がより厳しかった。自分も2000年代後半は代表に入っていたし、Jでも点を取っていたけど、思ったほどオファーが来なかった。『シビアやな』と感じたのは確かです。現役選手としてまだまだやれることを示さなきゃいけないと痛感したのと当時に、先々を見据えて今のうちにできることを模索しましたね」

 そこで浮かんだのが、選手マネージメントの仕事。メディアの仕組みを学んだり、会社運営を学ぶいい機会だと捉えて、セレッソ在籍中の2011年3月9日に『MR12(ミスター・トゥエルブ)』を設立したのだ。

「12というのはサポーターの番号。仲間を応援する意味をこめてつけました。所属してくれた選手数人が海外移籍するタイミングだったこともあって、その窓口を担当するところからスタートしたんです」と播戸さんは言う。現役選手がマネージメント会社を作り、社長に収まったことに反発の声も少なくなかったが、社会経験の少ないサッカー選手を教育し、引退後のセカンドキャリアを切り開いていけるような手助けをしたいという信念が彼にはあったのだ。

「8年経って離れた選手もいますけど、今は加地、松井謙弥(水戸)、安田理大(千葉)、晃大(南葛SC)の5人が所属しています。松井には自分や加地が仕事した請求書を作らせたりしていますよ(笑)。僕はLIRIOを始めた頃から発注書を作ったり、ブログも自分で書いたりしていたので、パソコンは使えます。今はプレゼンや講演のための資料をパワーポイントで作れるように勉強しています。そういう基本的なスキルを選手のうちに身につけておくことは本当に大事。人前で話をすることも自分は積極的にやってきましたし、所属してくれた選手には必要性を促しているつもりです。この半年間は自分も所属クラブが見つからなくて、サッカー選手を続けるかどうか葛藤がありましたけど、いつか終止符を打たなければいけない時はやってくる。そのための準備をしていたので、スムーズに1人の社会人に移行できていますね」と播戸さんはキッパリ言う。

 同じ黄金世代の仲間である小野や遠藤、本山雅志(北九州)らよりも先にピッチを去ることになり、多少の悔しさも感じているという彼だが、これから描こうとしているセカンドキャリアに向けては「やりたいことが沢山ある」と目を輝かせる。すでにLIRIOとMR12で会社経営経験がある彼には、他企業からも「一緒に何かやりましょう」というオファーが来ているという。このうち、スポーツ施設運営を手掛ける警備会社とは顧問契約を結んでおり、人材会社のセカンドキャリア教育や上場を目指すベンチャー企業のサポートも手掛けている。すでに3つの会社のアドバイザー的な役割をこなしているのだ。

「僕が目指しているのは、日本代表のワールドカップ優勝。自分たちがU-20の時に準優勝という経験をしたからこそ、何としても代表が世界一になるところを見たいし、自分ができることをやりたいんです。吹田スタジアムで引退発表した時には『日本サッカー協会会長』とか『Jリーグチェアマン』とか大きなことを言っちゃったけど(笑)、そういう立場でなくても全然構わない。とにかく日本代表を強くすることに貢献していきたいという強い希望を持ってます。

 そのためには、やっぱりビジネスも学ばないといけない。サッカーはグローバルスポーツですし、さまざまな分野への経済波及効果がある。世界にもつながっていますよね。それに資金力がなければクラブも代表も強くならないでしょう。いろんな可能性があるからこそ、僕はビジネスも含め、解説やメディアの仕事、講演活動などさまざまな角度からサッカーを学びたいんです。
 すでにJFA公認B級コーチングラインセンスも取得してますけど、とりあえず指導者というのは封印して、オフ・ザ・ピッチの勉強を最優先に考えたい。今はガンバに練習生として入団した98年に戻ったような心境です」と播戸さんは力強く未来を見据えていた。

 日本代表経験のあるJリーガーと言うと、高年俸をもらって派手な生活をしているイメージが強いかもしれない。だが、彼の場合は「俺の場合は月給10万円の練習生時代があったから金銭感覚が麻痺することは一切ないですよ」と笑顔を見せるくらい一般人と同じ感覚で日々を過ごしている。SNSで連絡した相手にはマメに返事を返すなど、周りへの気配りは欠かさない。会った人には笑顔で挨拶し、清々しい気持ちにしてくれる。そんな彼だからこそ、サッカー選手という華やかな立場を終えたこの先も着実にキャリアを積み上げて行けるはずだ。

 10代の頃から雑草魂を持ち続け、トップレベルまで這い上がった炎のストライカー・播戸竜二はこれまでの21年間、見る者に大きな感動を与えてきた。その魅力は1人の人間に戻っても変わることがない。この先、協会に入るのか、Jリーグに入るのか、ビジネスでサッカーを盛り立てるのかは分からないが、彼ならば「絶対に日本をワールドカップで優勝させる」という飽くなき野望を果たしてくれるはず。今後の八面六臂の活躍を楽しみに待ちたい。

播戸竜二
1979年8月、兵庫県姫路市出身。琴丘高校高校卒業後、98年にガンバ大阪入り。99年U-20ワールドユース(ナイジェリア)準優勝の一員に。その後、札幌、神戸、ガンバ、セレッソ、鳥栖、大宮、FC琉球とJ1~J3の7クラブを渡り歩き、J通算396試合に出場109ゴールという偉大な実績を残す。日本代表でも7試合出場2得点。2019年9月に正式に引退を表明し、「日本代表をワールドカップで優勝させる」ことを目標に、ピッチ内外からアプローチできる人材になることを目指し、活動していく。

取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。

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