国を超え、世代を超えて、愛され続けるメガヒットコンテンツ『ポケットモンスター』。20年以上にわたり、ポケモンの全ソフト、コンテンツに携わってきた伝説のプロデューサーに、世界的大ヒットの理由と、プロデュース論を聞いた。後編では働き盛りの40代へのメッセージを中心にお話いただく。
株式会社ポケモン
代表取締役社長 CEO
石原恒和 氏
1957年生まれ。ゲームプロデューサーとして数々のゲームソフト開発に携わり、95年に株式会社クリーチャーズを設立。96年にポケモンの原点となった『ポケットモンスター 赤・緑』をプロデュースし、その後、ポケモンシリーズ全作品にプロデューサーとして携わる。ゲーム、カードゲーム、テレビアニメ、映画など、ポケモン全体のブランドマネジメントを手がける。
今の40代はまだ人生の序盤戦。アドバイスは特にない(笑)
「プロデュースする」とはプロダクトを実現すること
――ポケモンという人気コンテンツのプロデュースを20年以上手がけてこられたわけですが、プロデューサーという仕事については、どう考えていますか。
「社内でもよく言ってるんですけど、プロデュースするというのは、そのプロダクト=商品やサービスを〝実現〟することです。
例えばゲームだったら、どんなゲームを作るかというところから始まって、開発しながらそれが本当におもしろいのか、価値ある商品になっているのかということをみんなで検証して、ダメならまた作り直して……。より高い品質を目指して、商品やサービスをブラッシュアップしていくものづくりのプロセスはもちろん大切ですが、それだけでは〝実現〟にはまだ足りません。出来上がったプロダクトが100万個、200万個単位で製造可能で、ちゃんと人々の手に渡り、おもしろいと言ってもらえるところまでいって初めて〝実現〟したことになるんです。
そこにはものづくりのプロセスにおけるプロデュースとはまた違ったクリエイティビティーとか、流通を確立するためのネゴシエーションとか、適正な価格で売るための合理性とか、そういったことも全部必要となってくる。ものづくりの工程は全プロセスの半分くらい。作ったものを、ちゃんとした商いするのがプロデュースです。全プロセスの中で最善の結果を生み出すのが、プロデューサーの仕事だと思っています」
――ものづくりだけでなく、もっと広い視野というか、ビジネスの全プロセスを見渡せる目が必要ということでしょうか?
「そうですね。その商品が成功できるかどうかという目利きももちろん必要ですし、商品をちゃんと世界中に広げるための流通とか、買ってもらうためにはいわゆるマーケティング力も必要です。
とはいえ自分が苦手なところは絶対にあるわけで、それは自分よりも優秀な人にやってもらえばいい。後は全プロセスを楽しくやるためにはどうしたらいいか。楽しめるかどうかは、資質として大事なところですね。それから商品なりサービスなりを愛しているか。『これ、おもしろいですよ』って心から言えるかどうかでしょうね」
テクノロジーの先端部分に引っ張られすぎると、当たり前を見失う
手法も環境も変わったのに昔の話をしても仕方ない
――DIMEの読者には40代のビジネスパーソンが多いのですが、先ほどの『ポケットモンスター 金・銀』発売前夜で一番大変だった時期は石原社長が40代の頃ですよね? 振り返って、読者にメッセージをいただけませんか?
「私は今60歳なんですが、20年前を振り返っていろんなことを言っても、今の40代の人には意味がないだろうと思います。例えば、昔のゲーム開発はみんな徹夜でプログラムを組んだり、土日に出てきてデバックしたりと、今とはだいぶ環境が違ったわけです。当時はコンピューターもネットワークでつながっていなかったし、みんなが同時にやらないとできない作業もあった。ひとりのコーディング作業がボトルネックになって、次の人が作業に入れないといったこともありました。今はコンピューターがネットワークにつながっているのが当たり前で、クラウドで作業を共有できて、みんながコメントをやりとりしながら、同時に開発を進めることができる。個々が自分にとって一番効率のいい生活のサイクルで働き、それを容認し合っている。ものづくりの手法も環境も大きく変わっているのに、昔の話を出しても仕方ないですよ。
もちろん変わらないところも多少はあるでしょう。だけど、自分たちが20年前にやっていた、チーム編成とか人員の配置や物事の進め方、考え方って、まあ半分は今では通用しないと思ったほうがいいんじゃないかな。これで成功したんだから、この方法が正しいって思う人は多いけど、それってある種、教えるほうの傲慢というところもあると思うんですよね。スポーツ界も今、それで揺れ動いていたりするじゃないですか。この鍛え方が正しいと。多少は合っているところもあるかもしれないけど、半分は間違えているくらいに思っておいたほうがいい。
それに、今40歳の位置づけが変わってきているということもあります。織田信長の時代は人生50年だったけど、これからは人生100年の時代。人生100年と考えると、40歳なんてまだ昔の24〜25歳くらいのイメージだと思うんです。昔だったら40歳は人生の中盤戦で、自己実現のために必死でがんばらないとみたいな年齢かもしれないけど、今だとまだ人生の序盤戦。もうちょっとフラフラしていてもいいんじゃないの? みたいな年齢かもしれません。だからね、60歳の私が40代の人にするアドバイスは、ないです(笑)」
仮想世界の入り口が変わってもやることはそんなにズレない
――これからまた、ハードウェアはいろいろと変わっていくと思いますが、ポケモンというコンテンツはどういう存在であり続けたい、あってほしいと思いますか?
「うちの社是が、『ポケモンという存在を通して、現実世界と仮想世界の両方を豊かにすること』なのですが、その仮想世界の入り口になっているものが、今はスマホやゲーム機の画面であったり、パソコンのディスプレイであったり、テレビスクリーンであったり、あるいはメガネの中のバーチャルな表現だったりする。もし今後入り口が何か別のものに変わっても、我々がやろうとすること自体は、そんなにズレないんじゃないかと思います。ただそういう大雑把な見方の一方で、テクノロジーひとつひとつをきちんと精査していく必要はあるでしょう。例えば『ポケモン GO』を始めるためには、スマホのGPSの精度が高くなり、CPUもそれに対応して遅延なくポジショニングしてくれて、そこそこバッテリーも持つようになるまでに、必要な期間があったわけです。それらが整ったちょうどいいタイミングで出せたから、多くの人にプレーしてもらうことができた。そういうタイミングって大事だと思うんです。
今でも技術的に最先端なものやものすごくハイスペックなものを、構想することはできます。例えば、GPSを5㎝単位の精度でポジショニングできれば、こんなことができるかもしれない……と想像を膨らませてもいいんですが、でも一方で、バッテリーは30分持ちません、みたいなことも起きるわけです(笑)。そういうテクノロジーの先端部分にあまり引っ張られすぎると、普通の人たちが普通に遊ぶ、普段の生活の中での存在のさせ方が難しくなってしまう。だからポケモンは、できればひとつ後ろの技術で一番普及しているものを活用して、より豊かな生活を実現していければと思っています」
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©2018 Pokémon. ©1995-2018 Nintendo/Creatures Inc. /GAME FREAK inc. ポケットモンスター・ポケモン・Pokémon・モンスターボールは任天堂・クリーチャーズ・ゲームフリークの登録商標です。
シリーズの原点となった『ポケットモンスター 赤・緑』
ゲームフリークが開発し、1996年にゲームボーイ用ソフトとして発売された初めてのポケモンソフト。1998年以降、アメリカやオーストラリアでも販売された。
©1995 Nintendo /Creatures inc. /GAME FREAK inc.
一番のターニングポイントだったと語る『ポケットモンスター 金・銀』
1999年に発売、『ゲームボーイカラー』に対応した第2作。開発の遅れから発売が延期となる一方で、テレビアニメなどの影響もあり人気が過熱。発売直後は品薄状態となった。
©1995,1999 Nintendo /Creatures inc. /GAME FREAK inc.
取材・文/太田百合子 撮影/干川 修