
その昔、「携帯電話」がまだ無かった頃。お出かけ先から電話をかけるには、「公衆電話」から電話を掛ける必要がありました。
そもそも「電話機」とは……。マイクとスピーカー、ベル、電話番号を入力する装置から構成されている、番号の指定をしたり、会話をするための装置です。
そして「公衆電話」とは……。不特定多数が利用できる「電話機」の事を指し、公共性が高いサービスとして存在しています。
そもそも「電話」のサービスが始まった時点では、電話機自体がとても高価だったため、一般家庭で電話機を所有する余裕が、ほとんどありませんでした。
アパートや借家では、大家さん宅の電話を借りるのが一般的だった様な気がします。
そのため、誰でも気軽に電話をかけられるよう、広く「公衆電話」の設置が行われるようになりました。
戦後、数多く見かけた公衆電話は、筐体が赤い色をした「赤電話」と言われるものでした。
「赤電話」とは…。電気通信事業者が、電話の設置場所の運営者に、その管理を委託している、委託公衆電話の事を指します。
1952年頃から、たばこ屋の店先や、公共施設などに、数多く置かれる様になりました。
赤電話で使える硬貨は「10円」のみ。
長距離電話や長時間通話をする場合は、多量の10円硬貨を用意する必要があり、利便性が悪いものでした。
1980年代に筆者が東京に住んでいた頃、実家の山口県まで、毎週日曜日、夜8時過ぎに、電話料金が安くなる時間帯に合わせて、祖母宅に、近況報告の電話を掛けていたのですが、ある日、自宅の固定電話が故障した時がありました。
その際、一時的に公衆電話で電話をかけたのですが、まあ10円硬貨の減るスピードの速い事速い事。たしか十数秒~数十秒? でカウントが進み、あっという間に何十枚も用意した10円硬貨が無くなってしまいました。