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2018.05.04

経営の神様・松下幸之助に学ぶ「ものづくりの矜持」

【経営の神様・松下幸之助に学ぶ「ものづくりの矜持」】

1918年(大正7年)、妻のむめの、むめのの弟・歳男とともにわずか3人で設立した「松下電気器具製作所」。「パナソニック」に社名を変え創業100年を迎えた現在、グループ合わせて27万人を擁する巨大企業へと成長した。パナソニックは車載用電池やIoTなどの新しい分野にチャレンジを続けているが、その根幹には常に創業者・松下幸之助の哲学が受け継がれている。その神髄に迫ってみた ――。

◎小学校卒業前から丁稚奉公で商売を学び、23歳で起業

 松下幸之助が「経営の神様」と呼ばれるようになったのは、前回の東京五輪が開催された1964年のある出来事がきっかけだった。

 高度成長のいきすぎから金融引き締めが行なわれ、景気が急速に後退する中、松下電器産業(現パナソニック)も減収減益に見舞われ、系列の販売会社や代理店の多くが赤字経営に陥った。深刻な事態を打開するため、同年7月、熱海で開催されたのが「全国販売会社代理店社長懇談会」、世に言う「熱海会談」である。

 販売店からは苦情や要望が尽きず、会議は3日間にわたった。最終日、壇上の幸之助は涙を浮かべて団結を訴えた。

 まず我が社自身が改め、そのうえで販売会社にも求める点があれば改善を求めて、危機を打開していくしかない。売り上げの減少などはこの際、問題ではない、と。

 その後、会長職にあった幸之助は自ら営業本部長代行として現場に復帰。陣頭指揮をとって一地域一販売会社制度や事業部・販売会社直販取引、新月販制度など新たな販売網の改革を実行し、自社の業績回復とともに販売会社の赤字解消につなげていったのである。

 自らの非を率直に詫び、先頭に立って危機を克服したことで「経営の神様」との呼び名が広まった幸之助の足跡をたどる――。

 1894年、和歌山県で8人きょうだいの末っ子として生まれ、4歳の時に父が米相場で失敗。貧困生活を余儀なくされた幸之助は小学校も卒業していない9歳で丁稚奉公に出た。その後、大阪・船場の五代自転車店に身を寄せる。当時、市内を走っていた市電を見て電気の将来性を予感し、15歳で大阪電灯に転職した。20歳で井植むめのと結婚し、22歳で退社、独立。改良ソケットの開発に取り組み、今から100年前の1918年3月7日、妻むめのとその弟・井植歳男(後の三洋電機創業者)の3人で「松下電気器具製作所」を設立した。

 家庭にコンセントのない時代に電灯用ソケットから電源をとれる二股ソケットをヒットさせ、1923年にはそれまで点灯時間が短いなど不満が多かった自転車用ランプの欠点を解消した砲弾型電池式ランプを開発、消費者の困りごとを解決する電気製品を次々と世に送り出す。

 1927年には当時贅沢品だったアイロンを技術改良と大量生産によって価格を下げたスーパー・アイロンのほか、自転車から外して使える角型ランプを発売。この時初めて「ナショナル」の商標がつけられ、新聞広告を打つなど、当時の中小企業では考えられない大々的な販促宣伝キャンペーンが展開された。

[11歳の頃]五代自転車店で5年4か月奉公する。
[11歳の頃]五代自転車店で5年4か月奉公する。

[1923年]従来の品より長く持つ砲弾型電池式ランプを完成。
[1923年]従来の品より長く持つ砲弾型電池式ランプを完成。

[1927年]角型ランプに初めて「ナショナル」の商標をつけ発売。
[1927年]角型ランプに初めて「ナショナル」の商標をつけ発売。

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