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2018.02.17

冬季五輪の最初の日本選手団に箱根駅伝出場選手がいた!?知られざる冬季五輪の歴史

冬季五輪と日本選手団の歩み(1)初の日本選手団に箱根ランナー!?

平昌五輪が2月7日にいよいよ開幕。DIME3月号ではこの大会に出場するフィギュアスケート羽生結弦選手を特集しているが、当コラムでは冬季五輪の歴史にスポットを当て、歴代の大会を振り返る。第22回ソチ大会まで冬季五輪トータルで、日本選手団は、金10銀17銅18の合計45個のメダルを獲得してきた。過去の冬季五輪と日本選手団の足跡とは……。全三回にわたってお届けする。

■「第1回」開催は紆余曲折あって……

冬季五輪の第1回大会は1924年、フランスのリゾート地シャモニー・モンブランで開催された。夏の五輪(近代五輪)から28年遅れてのことだ。しかし、この大会は開催当時「五輪」とは認められなかった。近代に五輪を復興した中心人物であるクーベルタンIOC会長が「五輪は夏だけのもの」と頑なに反対したためとされる。

IOC内部での押し問答の末、どうにか大会は開催されることとなったが、当時の大会名称は『第8回オリンピアードの一部として、IOCが最高後援者となり、フランス・オリンピック委員会がフランス冬季競技連盟とフランス・アルペンクラブ共同でシャモニー・モンブラン地方で開催する冬季スポーツ大会』という、落語になりそうなほどとてつもなく長いものだった。寿限無寿限無。

なお、この大会が正式に『第1回冬季五輪』と認められたのは、翌1925年のIOC総会でのこと。開催が成功を収めたこともあり、反対意見は皆無に等しかったという。

日本はこの第1回大会に選手派遣を予定していたが、前年9月1日に関東大震災に見舞われた影響で断念。初の選手団派遣は4年後に持ち越された。

■初の日本選手団に元・箱根ランナー!? なんで?

第2回大会は1928年、スイスのサンモリッツで開催された。当時の『オリンピック憲章』には「夏季大会の開催国が優先的に冬季大会を行う」と記載されていたため、本来オランダのどこかで開催されるのが筋だったが、オランダ側は「適当な場所がない」と返上。結果、IOCは冬季スポーツ施設の整うサンモリッツでの開催を決めた。

サンモリッツ大会には、日本からスキー6選手が参加。全日本スキー連盟が選んだ代表選手の中には、1909年の第1回箱根駅伝に出場した早稲田大学OBの麻生武治の名があった。麻生は1923年に日本人で初めてマッターホルンに登頂した登山家でもあり、当時はベルリン体育大学に留学中の身であった。その脚力と語学力も買われて代表入りした麻生だが、初の五輪(ノルディック複合)は途中棄権に終わった。

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