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聞き上手で任せ上手!幕末の名君・毛利敬親に学ぶ部下のマネジメント術

2017.12.17

■若い家臣たちに議論をさせ、話をよく聞いてくれるおおらかな藩主

聞き上手で任せ上手!幕末の名君「毛利敬親」に学ぶ理想の上司

「家臣の言うことに何でも「うん、そうせい(そうしなさい)」と言っていたことから、よく“そうせい候”と揶揄されることがありますが、私は決断力のある人物だったと思います。

敬親は、まず若い家臣たちに十分に議論させ、それをウンウンと黙って聞いてから、最後に必ず「で、いつやるんだ?」と言っていました。上から一方的に「こうしろ!」とおさえつけるようなことはしないのです。

たとえば、岡山県の池田光政など、歴史上で名君と謳われて目立っていた人物は、たいてい周りの人にとっては迷惑な性格をしているんですね(笑)。そのような人は、たしかにカリスマ性はあるし有能ですが、たいがい強烈な性格。近くにいる家族や家臣たちは心労が絶えず、ついていくのが大変です。
敬親には、そういう部分はあまりなかったように思います。むしろ、調和を重んじる性格で、藩の団結に気持ちを砕いていた。たとえば、本藩と支藩との間にあった軋轢を修復しようとさまざまな努力をしていました。

戊辰戦争後、薩長は明治天皇から大いに褒められて、たくさんの賞禄を受け取ります。生涯にわたって毎年25,000石(金15万両相当)ずつ受け取れるというもの(敬親が明治4年に亡くなったので結局2年しかもらえなかった)で、当時としては相当高額でした。敬親は、その半分以上を戦争に貢献した家臣に配りました。常に家臣のことを考えている人だったのです。

質素倹約につとめ、農民に混じって野良作業をしたりして庶民からの支持を集めたといわれているけれど、これはまあよくある帝王学として普通のことでしょう(笑)。あとは藩校の明倫館を拡大して教育に力を入れたり、萩城下で洪水があった後は松本川の下流に放水路を作ったりもしました。

ちなみに、毛利家は“伝統ある武家”として、教育・記録を非常に重要視していました。中世からの資料がこれほど豊富に残っている藩は、他にはありません。

このように、なんとかして家臣・領民を養っていかなければならないという責任感が非常に強い性格でした。その心労が祟ったのか、短命でしたが。ちなみに、萩焼きを焼いたり絵を描いたりと、多趣味な人だったようですよ」

(取材協力)
田中 誠二(たなか せいじ)先生
毛利博物館館長、山口大学名誉教授。日本近世史の研究者として、中国筋を中心に主に萩藩(長州藩)の石高制・藩政史を研究。著書に『萩藩財政史の研究』(塙書房)
毛利博物館/国指定名勝 毛利氏庭園 (公益財団法人毛利報公会)
〒747-0023 山口県防府市多々良1-15-1 TEL 0835-22-0001 FAX 0835-24-2039 Email mouri-m@c-able.ne.jp ホームページhttps://www.c-able.ne.jp/~mouri-m/

取材・文/吉野潤子

※記事内のデータ等については取材時のものです。

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