
モニタ、キーボードやポインティングデバイス、バッテリ等がコンピュータ本体と一体化された、持ち運び可能な二つ折りで軽量なパーソナルコンピューターである「ノートパソコン」。
昔のノートパソコンは、デスクトップパソコンに比べて高額な割には、CPUのスピードやメモリサイズなど、かなりスペック的には劣るものでありました。
当時のユーザーは、低スペックについてはある程度覚悟の上で使用していたものの、一番困った事が、小型パソコン特有の宿命とも言うべき、拡張性の無さでした。
現在の様に、USB端子を内蔵してさえいれば、マウスやキーボードだけでなく、プリンタや有線LAN、変換器を通して外部ディスプレイ接続など、その他の様々な、大抵の周辺機器が接続出来る時代とは異なり、それぞれの周辺機器には、パソコン本体に専用の接続端子がほぼ必須な時代でした。
いわゆるポートリプリケータ・ドッキングステーション・クレードル等と呼ばれる、入出力端子を拡張出来る装置が用意されていれば話は別ですが、それが無ければ拡張性は諦めざるを得なかったのです。
従って当時の小型ノートパソコンユーザーは、低スペックを我慢するだけでなく、本体のみで完結する業務に使用を限定する様な使い方しか出来ませんでした。
そんな中、1997年、とある小型ノートパソコンが登場して話題になりました。
そのノートパソコンとは・・・。
「チャンドラ」。
チャンドラとは小説家のレイモンド・チャンドラーの事ではありません。
そして、具体的な商品の型番でもありません。
チャンドラとは、商品開発時のコードネームであり、複数のメーカーから発売された際の総称です。
(ちなみに「2001年宇宙の旅」の「HAL 9000」の開発者であるチャンドラ博士が由来ではないかともいわれています。)
チャンドラは、IBMとリコーの合弁会社の、今は無きライオス・システムで開発されました。
当初はもちろんIBMのThinkPad シリーズの一つとして発売される予定だったそうですが、丁度その時期、既にIBMではThinkPad 535が発売されており、残念ながら競合商品になるために、発売は見送られる事となりました。
(wikipedia ThinkPad 535の項より参照)
普通ならばそこで商品はお蔵入りになってしまうのですが、そこでなんと!
パソコン通信サービスのNiftyの専用会議室では、既にチャンドラのスペックを知ったマニア達が大いに盛り上がっていた事もあり、ライオス・システムとしても、どうせIBMから商品を出せないのであれば、自分たちの所で販売してしまおうという事になったのです。
1997年1月8日、日本オフィスシステムより数量限定の通信販売で発売した「NP-10」は、すぐに完売するほどの人気を誇りました。
そして、その後、複数の会社(フロンティア神代、エプソンダイレクト、日立など)からも同型機が発売される事となったのです。
今から考えると、実におおらかな時代でありました。