厚生労働省が〝人生100年時代構想会議〟を平成29年9月に設置。「人生100年時代」は多くの人が知るところかと思います。
ある海外の研究では、2007年に日本で生まれた子どもの半数が107歳より長く生きると推計されており、日本は健康寿命が世界一の長寿社会を迎えています。
そんな中、100年という人生を充実したものにするため、幼児教育から小・中・高等学校教育、大学教育、そして社会人の学び直しまで、生涯にわたる学習が重要とされています。
そこでご紹介したいのが、介護施設や老人ホームを中心に高齢者向けの音楽教室を行っている、音楽療法士の内田真由美先生の活動です。
懐かしの童謡や昭和歌謡から、最近の楽曲まで幅広い歌の教室を行う中で、内田先生は数々の〝奇跡の瞬間〟と巡り会ったと言います。
身体を動かすのも大変な方が曲を聴くと楽しく歌える奇跡
さて、内田先生の音楽教室はどういうものか、サービス付き高齢者向け住宅「はぴねす横浜永田」で行われた教室の模様を取材させていただきました。
はぴねす横浜永田は、横浜市の小高い丘陵にある瀟洒(しょうしゃ)な建物。サービス付き高齢者向け住宅と介護事業所を併設し、居室は28.7㎡〜30.93㎡の広々とした全75室になっています。
【参考】はぴねす横浜永田 – 横浜・札幌の高齢者向け賃貸住宅
そちらの4階にある「リラックスルーム」は南向きで眺望に優れ、暖かい陽射しを感じながら入居者や家族がゆったりとした時間を過ごせる、快適な空間。そこで、〝音楽会の日〟と銘打った教室が行われます。
参加したのは男性1人、女性10人ほど。車椅子で参加される方もいらっしゃいます。こちらの施設での生徒さんは10名ほどですが、ほかの施設では30名、40名と大人数でのご参加もあるそうです。
まずは、内田先生の元気なご挨拶から教室が始まります。そして、早速、先生の演奏と歌に合わせて、生徒のみなさんの元気な歌声が、リラックスルームに響きます。
曲目は「瀬戸の花嫁」「バラが咲いた」「ブルー・ライト・ヨコハマ」「高原列車は行く」など、昭和を彩った名曲が中心。休憩をはさみながら20曲弱を楽しみます。
「忘れな草をあなたに」など、一部の曲ではハモって歌うことも。内田先生が下のパートを歌い、みなさんがメインのメロディーを歌います。
昭和歌謡だけではありません。「涙そうそう」や「糸」などの平成ソングも歌います。もちろん、参加された生徒さんにとって、最初は〝知らない曲〟だったかもしれませんが、歌詞を見ながらちょっとずつ覚えることで、ご年配にとって〝新しい曲〟を歌う……そんな出会い・学習の機会になっています。
さらに、童謡「故郷(ふるさと)」は、内田先生と共に〝手話〟をしながら歌います。身体を動かしながら歌うことで、生徒さんの声も一層、伸びやかとなります。
取材させていただいた音楽教室は約1時間。あっという間に楽しい時が過ぎます。
「楽しいじゃないですか、歌うのは」と内田先生
内田先生は現在、サービス付き高齢者向け住宅「はぴねす横浜永田」のほかに、在宅介護サービスや特別養護老人ホームなど、様々な施設で高齢者のみなさんへ〝歌う幸せ〟を届けています。
多忙な日々を過ごす内田先生はなぜ、高齢者向けの音楽教室を始めたのでしょうか?
内田先生:「介護施設の先輩から、『デイサービスで歌の伴奏をしてくれない?』と誘われました。元々歌集は当時勤務していた施設のレクリエーション用にあって、その中から弾ける曲を伴奏してみよう……そんな感じでみなさんと歌い始めたのが、音楽教室を行うきっかけです。
最初は、おもちゃのようなキーボードを使い、週1回、少人数だったのですが、徐々に参加されるみなさんが増え、その後、音楽教室用として歌集をきちんと作り、楽器も揃えて今に至りました」
内田先生は、ご年配のみなさんと合唱する中で、数々の〝奇跡的な瞬間〟を体験したと言います。
内田先生:「たとえば、パーキンソン病の生徒さんがいらっしゃいます。身体の動きを制限される難病ですが、歌はしっかりと覚えていらっしゃって、一緒に歌ってくれるんです。また、普段はものを持つのも難儀している車椅子の生徒さんが、歌集を自分で持って歌っているのにも感動します。指揮するように手を振り、もう片方の手で歌集を持って歌っているみなさんを見ると、うれしくて涙が出そうになります。
それから、私の教室はだいたい、1時間ほど一緒に歌うのですが、高齢者のみなさんができる、その活力がすごいと感心します。歌は心肺機能の維持や向上につながり、喉の筋肉を鍛えるのにも良いとされていますし、歌っている時と普段ではみなさんの反応が違うんです。デイサービスで行う音楽教室の生徒さんは、家に帰ったら顔の表情が違い、声がよく出ていると家族に言われることも多いようです。歌って、良いことだらけなんです」
また、熱心な生徒さんのために「合唱クラブ」という活動も行っています。
内田先生:「〝ハモって歌いたい〟という方のために4年くらい前から、10人ほどまでの限定で『合唱クラブ』を、毎週月曜日と木曜日の30分間で始めました。子供たちが歌っている、知っている曲を中心に練習しています。最初は私が下のパートを歌い、みなさんには主旋律を歌っていただくつもりだったのですが、『下のパートを歌いたい!』という生徒さんがいらっしゃったため、みなさんでハモリ(ハーモニー)の練習をし、最近の新しい歌にもチャレンジしています。
それから、生徒さんに新しい曲を覚えてもらい、お孫さんやひ孫さんと一緒に歌ってほしいと始めたのが、手話をしながら歌うことです。『家族と一緒に歌っている』と生徒さんに言われると、本当にうれしいです。認知機能が低下した生徒さんも繰り返し練習することで、新しい曲を覚えて歌えるようになれる……高齢のためできないことが増えていく日々の中で、ご本人の大きな自信になってくれると思うんです」
現在、内田先生は特別養護老人ホームで1日3回のレッスンを週1回行い、デイサービスでは月に5回、有料老人ホームで月2回、サービス付き高齢者向け住宅で月2〜3回、認知症の方を対象として、少人数で共同生活を送るグループホームで月に1回レッスンしていますが、今後は歌声喫茶を開催したり、歌だけではなくピアノを高齢者のみなさんに教えたいと、新たな取り組みにも意欲的です。
内田先生:「だって、歌うのって楽しいじゃないですか。高齢者に限らず、普段言いづらい言葉でも、歌が伝えてくれるんですよ。『ありがとう』『ごめんね』『大好き』そんな想いを歌にのせて、大切な人へ伝えてほしいって思います。だから、ひとりでも多くの人に歌ってほしいんです」
音楽教室で出会った生徒さんの中に、教室が終わったあと毎回、「夢のような時間だった」と喜んでくれる方がいらっしゃったそうです。しかし、教室に通えなくなり、こんな手紙をいただいたそうです。
「思いがけず体調が悪くなりまして通えなくなりました。
内田先生にはいろいろお世話になりました。
時間も忘れて歌ったことを思い出と致します。
本当に楽しい時間でした」
人生の先輩から、このような想いを伝えていただける……これが歌うことの素晴らしさだと、内田先生は多忙な中で教室を続けている意味を教えてくれました。
内田先生:「歌が大好きで、歌のためなら色々なことを頑張れる生徒のみなさん。そんなみなさんとの1回1回の出会いを大切にして、私ができることをやっていきたいです」
内田真由美先生
洗足学園音楽大学ピアノ科を卒業。メンタル心理ミュージックアドバイザーで音楽療法カウンセラー
人生100年時代に〝音楽〟は必要か?
筆者は50歳を超え、ちょうど親世代が介護施設などでお世話になる頃合い。30歳半ばを超えた読者のみなさんなら、同じ境遇の方も多いかと思います。
今回、内田先生の音楽教室を拝見して強く感じたことに、〝音楽の持つ力〟があります。
仮に長年忘れていて、曲名さえも記憶の彼方にあったとしても、若かりし頃歌った名曲は、聴くだけで思いだし、すぐに口ずさめるものでしょう。
諸先輩にとっての思い出の曲が昭和歌謡であるなら、30歳〜50歳代の人にとっては〝平成ポップス〟が忘れがたい曲になるのではないでしょうか。
やがて歳を重ね、自分たちが親しんだ〝平成ポップス〟を歌う時が訪れ、その演奏を〝令和ポップス〟を聴き育った人が介護施設で行ってくれる……それは世代をつなぐ素敵な事ではないでしょうか?
名曲が紡ぐ思い出は、永遠なのかもしれませんね。これこそ音楽が持つ〝アンチエイジング〟と言えるのではないでしょうか。
取材・文/中馬幹弘