コロナ禍を機に、一気に加速した「DX」だが、行きつく先にはどんな未来が待っているのか。2020年の都知事選にも立候補した小説家、沢しおんが2040年のTOKYOを舞台にIT技術の行く末と、テクノロジーによる社会・政治の変容を描く。
【これまでのあらすじ】
二十年のうちにデジタル化が浸透した二〇四〇年の東京。都庁で近々役割を終える「デジタル推進課」の葦原(あしはら)は、量子ネットワークから消えた住民データの調査を情報公開課と進め、刑事の常田(ときた)と水方(みなかた)は橘(たちばな)広海(ひろみ)の行方をリアルとメタバースのそれぞれで追っていたが──。
生活は全て深層学習の糧
デジタルツインのメタバースに入った水方は、多くのアバターでごった返す新宿駅前で表示の変化を確認しながら、ターゲットを絞り込むための調整を始めた。
「自動識別フィルターからやるか」
メタバースで活動するアバターを、様々なパラメータで区別しフィルタリングしていく。まず生身の人間がライブ操作をしているアバターを半透明のシルエット表示に変更した。そして次に企業が広告や商取引用に設置しているものを同様にした。
「多いな。まだ絞り込める。ほかには……そうか、故人か」
水方はフィルター設定一覧から「メモリアルアバター」の項目を指定した。その瞬間、通勤者と思われるアバターのほとんどが一斉に半透明になる。
故人の生前の行動をトレースしたアバターたちによって通勤ラッシュが引き起こされていたのだった。
「死んでも毎日通勤させられるなんて、浮かばれないんじゃないのか」
メモリアルアバターは、SNSに多く残されている故人に関するデータを起点に学習をし、他人とのコミュニケーションの仕方や日常生活のルーチン、物事に接した際のリアクションの取り方までをも、ボットを動かす呪文(プロンプト)にする。
水方の記憶では、高校を卒業する頃まではAIに故人の人格を演じさせることへの抵抗感が人々の間に根強くあったと覚えている。
だが、令和関東大震災が起こってからそれも薄くなった。復興時、とくに感染症拡大下におけるコミュニケーションインフラとしてメタバースが重宝されていく中で、震災で亡くなった人々を偲ぶニーズが増えたことが背景にあった。
メタバース上に再現される故人の行動は、大切な人を亡くした家族や友人にとってはひときわ心を動かされるものかもしれない。だが自分はそう思えない。墓石に手を合わせるほうが人間らしい──。
そんなことを考えているうちに水方は自分の姉のことを思い浮かべていた。
AIは水方が高校生の頃に流行り始めた。画像をアップロードすると似た絵のバリエーションを次々に描画するものや、質問文を入力するとまるで人間が書いたような回答をしてくるものが特にSNSでバズった。
ネットやサブカルチャーにどっぷりと浸かっていた大学生の姉が水方へ使い方を教えたことで、見事にAIとの対話に嵌ッた。
今となっては若気の至りに思えるが、流行りのスマホゲームに出てくるキャラクターのエロティックなイラストを描かせたり、入出力の制限を回避してポルノ小説を書かせるにはどういった呪文(プロンプト)で指示すればいいかの思案に明け暮れた。
そんな水方を当時の姉は「将来はAIを操ってメシを食ってくつもりか」と煽り「老いてボケる前にAIへ思考を全部移植して、私に永遠の命を与えてくれ」と冗談めかして言った。
だがその後、被災した姉は帰ることなく、水方は姉の冗談を現実にすることはなかった。
その代わり、姉ゆずりのITへの興味が、巡り巡って水方をサイバー捜査官という職業に辿り着かせた。
「移動経路、小滝橋通りを大久保方面へセット」
水方は設定画面から、目的地への経路を音声入力した。
橘広海は失踪前に、面倒な〝集会〟へはボットに代理で行かせていたという。もし橘のボットがメタバース内で活動したままなら、習性で同様の集会に参加するに違いない。
失踪に関係する配送用ドローンが向かった『東京レガシーの会』。その講演会のメタバース会場に水方は向かっていた。現実世界では常田刑事が潜入しているはずだ。
***
葦原が分庁舎(はなれ)に戻った時、部屋から鷹見(たかみ)が出てきた。会釈をして通り過ぎるのを待ち、中へ入る。
「今、出ていったのは秘書官の鷹見さんですよね。何かあったんですか」
大黒(おおぐろ)に尋ねると「ああ、お前さんのことだよ」と眉根を寄せた。
「自分のことで何かありましたか」と言いかけて、葦原は先日〝紙の〟書類を回した時のことを思い出した。
櫛田(くしだ)が気を利かせたおかげであの書面はまだデジタル化されずにこの部屋にあり、住民データの消失は情報公開の対象となっていない。その反面、鷹見に言われた通りにはしていない。そのことを課長の大黒に確認しに来たと考えるのが筋だ。
大黒に詳しく聞こうとした時、PA端末が音声着信を知らせた。葦原は「ちょっと電話してきます」と廊下へ出た。
「ねえ、ヌーメトロンって何?」
橘樹花はいきなり質問をぶつけてきた。そんなことは音声じゃなくても聞けるじゃないか。そのほうが答えるにしたって適当な公開資料を送れば済む。
「東京都で使ってるAIのことですよ。でっかいコンピュータの名前」と、ざっくり答えて済ませようとする。
「それは友達が教えてくれた。私が聞きたいのは、何で個人情報とか知ってるのかってこと」
「個人情報を知ってるも何も、ヌーメトロンは住民のデータを参照して扱うので当然のことです。都道府県ではガバメントクラウドをはじめ量子ネットワークやブロックチェーンも織り交ぜてデータインフラとして活用していますし、そこを通るデータは四六時中何かしらヌーメトロンが処理をしたり、市区町村からの照会に応えたりしています」
「何言ってるのかサッパリわかんないんだけど」
「ええと、橘樹花さんがどこに住んでるとかそういう情報のことを言ってるんですよね」
葦原は、高校生だから個人情報の定義まで詳しくわからないのだろうと思ってなるべく簡単に聞き返した。
「兄が失踪してることをAIの先生に言われたんだよね。これって個人情報漏れてるってでしょ」
「プライバシーの侵害ってことですか」
「それ。ヌーメトロンって何様? なんでAIの先生がそいつと繋がってんの?」
「逆にこっちはAIの先生というのがわからないんですが、ちょっと状況整理したいんで、夕方こちらからかけ直します」
「都の職員なのに都立高校のことわかんないの?」
通話を終了する瞬間、スピーカーから樹花の「ハァ?」と訝しがる声が聞こえた。
部屋に戻ると、大黒がすぐ声を掛けてきた。
「今の電話、データ消失の件だろう。私と谷津でやっておくから、今後一切関わらなくていい」
「いえ、でも情報公開課で対応して以来、自分宛に連絡が来てしまって」
「それも今後全て情報公開課でやってもらえ」
「さっきの鷹見さんはそれを伝えに来たんですか?」
「ああ、知事とヌーメトロンとの会議で、葦原と情報公開課の淡路主事の名前が出たそうだ」
「知事が自分を?」
「探りを入れてくる職員がいるとヌーメトロンから言ってきたらしい。お前さん、何を調べようとしたんだ?」
葦原の頭の中で、さっき樹花が言っていた「ヌーメトロンって何様?」のフレーズがリフレインした。
「それに、明日からは選挙管理委員会の応援に行ってくれ。いよいよ知事選挙が近いからな」
「応援ですか。はい、それは了解です」
即答しながらも、露骨に遠ざけられたものだ、と葦原は感じた。(続く)
※この物語およびこの解説はフィクションです。
【用語・設定解説】
故人のAIボット:2040年ではAIに対する価値観が変わっており、人間の代わりに何かをさせることを厭わなくなっている。倫理や許諾の点で議論を呼んでいた故人のAIボットも同様でニーズに合わせて浸透したが、放置されゾンビのようにメタバースで活動し続けているものもある。
講演会のメタバース会場:この物語では現実でのイベント開催とメタバースの二元中継がスタンダードになっている。東京レガシーの会は、行き過ぎた情報化社会に警鐘を鳴らし、かつての生活へ立ち返ることを旨としているが、支持者を繋ぎとめるためのコミュニケーションインフラとなったメタバースのことは無視できないようだ。
沢しおん(Sion Sawa)
本名:澤 紫臣 作家、IT関連企業役員。現在は自治体でDX戦略の顧問も務めている。2020年東京都知事選にて9位(2万738票)で落選。
※本記事は、雑誌「DIME」で連載中の小説「TOKYO 2040」を転載したものです。
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