「フードロスを減らし、食品自給率を上げる食農ビジネス革命の一助になれば」と、従来とは異なるシステムの八百屋を立ち上げたリビングルーツ代表、三浦大輝(27)。彼は昨年、『渋谷の八百屋発 食農ビジネス革命』(扶桑社)という本を出版した。
「長野県産 曲がり長ネギ」「つけものやソテーに!西東京産 あやめ雪かぶ」「加熱すると甘みが出ます 長野県産有機ターサイ」等々、産地名をはじめ、うま味や栄養や特長が記された野菜が並ぶ八百屋、「菜根たん」。渋谷東急本店地下、食品売り場の店は百貨店の改装ため、1月末で閉店したが現在、新店舗の物件を検討中だ。東京の根津と埼玉の大宮の八百屋、「菜根たん」は不定期に営業している。リアル店舗の他に、保育園の給食への有機野菜の卸し、SNSを活用した販売では年間1億円近い農作物を売り上げる。
三浦さんは47都道府県の生産農家と関係を自ら築いた。全国を回りネットワークを構築したのだ。新鮮で安全な農作物を独自のルートで仕入れ販売する、そこが彼の強みである。
食べ物もいつどうなるかわからない
そもそも仙台市泉区出身の三浦大輝が、八百屋を手掛けるきっかけとなったのは、15才の時に体験した東日本大震災だった。
「授業中に経験したことがない揺れが来て、津波で街が崩壊して……。地震から間がない頃は、スーパーに2時間並んでカップラーメン1個と、せんべいしか買えなかったとか。断水中は水の配給に2時間並んで、やっとバケツ2杯分の水を手に入れたとか」
いつどうなるかわからない。当たり前のもの、特に食べ物が手に入らなくなったときの切実さを経験した。家は被災し高校3年間は被災者住宅から通った。原発の事故で福島県産の農作物の出荷停止が続いた。母親はネットで調べて、九州産の食材を取り寄せていた。そんな体験は、食べ物を確保するにはどうしたらいいかを学ぶことにつながっていった。
高校卒後は進路が見つからず、1年間旅行等に費やす。人と仲良くなる、仲間作りは三浦の得意とするところだ。熊本では知り合った農家に2週間ほどお世話になり、農作業を手伝った。
「お世話になった農家は、有機農法にこだわり、在来種の珍しいレンコンを生産していたんですが、そのレンコンは台風が来ると茎が折れてしまうとか栽培が難しい。手間に見合うような収入にはならないという話を聞いたり。地域の道の駅には果物も含め、すごい数の農作物が並んでいて、それにも驚かされました。農業を勉強したいという思いが膨らんで」
マルシェに『熊本復興支援』ののぼり
東京農大に進学。入学してほどなく熊本大地震が発生する。
「すぐに、お世話になった熊本の農家に電話したんですが案の定、被災されていて」
自分にできることはないか。
そんな思いがこみ上げてきた。道の駅も開ける状態ではないし、地元の飲食店も営業していない。ほぼ県内の消費に頼っている生産農家は農作物の在庫を抱えて困っていた。
「熊本の野菜を買って、東京で販売するというシンプルなモデルでやってみようと。知り合いの伝手で、中目黒と代官山の駅の近くにスペースを借りることができて。テントの中のワゴンで野菜を売るマルシェを立ち上げたんです。熊本の有機野菜の生産農家のグループに農産物に出展をお願いしました。
農家さんは“売れるだけありがたい”といってくれて。本来は入金してから商品を送ってもらうのですが、僕らはお金がありませんから。最初に商品を送ってもらい、お金は後払いにしてもらいました。『熊本復興支援』ののぼりを立ててレンコン、ミカン等の野菜や果物、飴やレンコンそば、うどん等の加工品も並べました。大学生のボランティアで運営したんですが、多いときは日に8万円ぐらい売上げたこともあります」
決断のタイミング、学生よりビジネスの道、
――しかし復興支援も、時間の経過とともに善意の熱意は冷めるのが常です。
「僕ら学生なので、平日はマルシェを開けない。土日だけのオープンではアルバイト代にならず、1年もやれば熊本震災復興の応援の熱も冷めていったのは事実です」
――さてどうするか、
「決断するタイミングだと感じました。ボランティアで農家を支えようとするのではなく、ビジネスの仕組みを作って頑張ってみようと」
――大学を中退して事業を起こす、思い切った決断ですね。
「大学より現場で学ぶ方が刺激だったし、熊本の農家さんと1年ほどお付き合いをして、“最初だからお金はいい、応援するよ”とか、親切にしてもらったんです。そんな生産者に対して、“農作物の販売はもう止めます”とは、言えませんでした」
大手企業の社長の息子と知り合い、意気投合して資本金の出資を仰ぎ、2017年に会社を設立。農作物を売るマルシェを増やしたが、手伝ってもらった学生ボランティアでは商品の説明も丁寧さに欠け、思うように売り上げが伸びなかった。飲食店への卸しもイモのサイズが小さいとか、繊細なクレームが入る。会社のスケールアップできず、赤字が続き2019年には事業を停止。三浦は社長を辞した。
「大学も中退したし、その頃付き合っていた彼女にもフラれて、泣きっ面のハチというか」
独自の農業ネットワークの確立
だが2年ほどの会社経営で、彼はその後のビジネスモデルの基礎を築いている。
「こだわりを持って農業に取り組んでいる生産者をネットで調べて、訪ね歩いたんです。今後の投資だという思いでした」
三浦は47都道府県の農家に足を運び、生産者と会って話をして、自分なりの農業ネットワークを確立していく。その実績が生産者から消費者に渡るまでのすべてに関わるという彼のビジネスモデルのベースとなっていった。
これまでの流通経路とは異なる、三浦の農作物の卸しと小売り手法は、明日公開の後半で詳しく解説する。
取材・文/根岸康雄